握り締めた手
今日は、ユーヴェンとカリナと三人で遊ぶ日だ。コートを着て忘れ物がないかを確認する。
どうするか迷ったけれど、行くことにした。カリナにも行けないとは言えなかったし。
『三人で遊ぶのもすげぇ楽しみだし』
あのユーヴェンの言葉が、頭を巡った。少しだけ顔が熱くなる。
それに。
ちらりと自分の部屋のベッド脇にある机の上に置いてあるガラス瓶を見る。その中には色とりどりの飴が入っている。
近づいてガラス瓶の蓋を開ける。その中に入っていた飴を一つ、口の中に入れた。
口の中で溶けていく飴は、とても甘くて美味しい。
アリオンが、話を聞いてくれると言ったから。何かあったら来てくれると、言ったから。
コロコロと口の中で飴を転がしながら、少し笑ってしまう。
――アリオンは、優しいんだから。
だから、勇気が出た。今日も行こうと思えた。
――アリオンのお陰ね。
小さく笑みを零してから、用意しておいた鞄を持って部屋を出る。
アリオンに言われた通り、早くは出ないけれど時間には遅れないようにしなければ。
下に降りて玄関の扉を開ける。まだ口の中に飴が残っていた。
待ち合わせの中央広場にそろそろ着くかという頃、大切に舐めていた飴が全て消えてしまった。
――あ、なくなっちゃった。
なんだかものさみしい気持ちになる。
――でもこれからユーヴェンとカリナと会うんだし、しょうがないかな。
待ち合わせの中央広場に着いて、辺りを見渡して二人が来ているか探す。
ユーヴェンも遅れないようにすると言っていたし、来ていると思うんだけど。
すると、噴水を挟んだ向こう側にユーヴェンとカリナがいた。ベンチに並んで座って話していた。その二人の様子は仲睦まじそうで、楽しそうに笑い合っている。
その光景にぐっと鞄を握り締めた。
ゴクリと、息を飲んだ。
私は今思えば……二人でいるのを見るのは、あの日以来だった。
ぎゅっと心臓が掴まれたように苦しくなる。こんな風になるなんて思ってなかった。
さっき消えた飴の味を思い出す。甘くて優しい、飴の味。温かい気持ちが少しだけ、胸に湧く。
――大丈夫。
逃げてばかりじゃいられない。二人の幸せを想うなら、ちゃんと接しないと。
そう思って顔を上げた時、二人の目の前で小さい子供が転んだ。二人はすぐに駆け寄る。
大泣きしそうになった子供をユーヴェンが立ち上がらせて、カリナはハンカチで怪我した場所を優しく拭いた。ユーヴェンが何かを差し出すと、泣きそうだった子供が微かに笑った。ユーヴェンがその子の頭を撫でて、カリナも優しい笑顔でその様子を見ていた。
そうしていると親が駆け寄ってきて、カリナとユーヴェンに頭を下げている。子供は笑って二人に手を振って、親に連れられて去っていく。二人も子供に手を振っていて、ふと顔を見合わせて照れたように笑い合った。
……あの二人は似ていると思う。真っ直ぐな所がそっくりで、優しい所もそっくりで。それで、とてもお似合いの二人だと、思っている。敵わない。そう思う。
そう、だから、私は諦めるんだ。
ドクドクと鳴る心臓を深呼吸をして落ち着ける。ふと、口の中にもう飴の味が残っていない事に気づいた。それが、寂しくて、心細い。
それでも前を向いた時、ユーヴェンがカリナの頭を撫でた。
息が止まった。
思わずやってしまったようで、ユーヴェンはカリナの頭に手を置いたまま、真っ赤になって固まっている。カリナも真っ赤に顔を染め上げた。
はっとしたユーヴェンがカリナの頭から手を急いで離す。ユーヴェンは両手を上げた格好で、顔を真っ赤にしたまま申し訳なさそうにしている。カリナは首をブンブンと振っているけれど、赤い顔はそのままだ。
そんなカリナがそわそわと辺りを見回し始めた。もしかしたら、来るはずの私を探しているのかもしれない。
――見つかっちゃう。
私は後ろを振り返って、来た道を走って戻る。途中で路地を見つけると、そこに入って急いで伝達魔法を構成する。
手が震えていて、なかなかうまく構成できない。
見つかってもよかったはずなのに、どうして逃げてしまったのか。なんで、何かに追い立てられるように伝達魔法を構成しているのか。
――だって、ユーヴェンのあんな顔、見たことなかった。
私を撫でる時は、何でもないように撫でているくせに。カリナを撫でた時は、あんな、顔を真っ赤にして、恥ずかしがって。
私は、ちゃんと、わかってなかった。応援するってことは、これからずっと、あんな場面を見ても普通でいなければいけないってことだ。
どうして、こんなにぐちゃぐちゃなんだろう。二人が、惹かれ合っていることぐらい、わかっていたのに。
ぐっと唇を噛み締める。涙はまだ、零れていない。だから、大丈夫。
伝達魔法がなんとか構成し終わる。そこに、「体調が悪いから行けない。ごめん」、そう書いた。震えている息を、吐き出す。ぎゅっと目を瞑ってから、開いて上を見る。狭い路地から見た空は、なんだか遠い。
けれど、今日も綺麗に碧く、晴れていた。
伝達魔法を、二人に送った。
『なんかあったら言えよ。演習終わったら、行くから』
アリオンのその言葉を、思い出す。
「アリオン……」
誰もいない路地に、ポツリと震える声が落ちた。
ゆっくりと歩き始める。帰らないと、いけない。
体調が悪いと書いてしまったのだから、あまり出歩いてはいけないだろう。
アリオンは、ほんとに来てくれるのだろうか。
ううん、言ったら絶対来てくれる。
――だって、アリオンだもん。
アリオンの柔らかい声を思い出して、ぐちゃぐちゃで冷たかった心が、少し温かくなる。
でも、今は演習中だから伝達魔法も送れない。
それにあんまり路地に長くいるのもアリオンに文句を言われそうだ。
アリオンが言い募っていた過保護な言葉を思い出して、少し口端が綻んだ。
とりあえず中央広場に繋がる道は避けて、反対側の大きめな通りに出よう。
「……ねぇよ。いきなり何の質問だよ」
反対側の通りに近づくと聞こえてきた声にぱっと顔を上げた。
――アリオンの、声だ。
気持ちが、少し上向く。
合同演習は……確か、午前中が他部隊との模擬戦と訓練で、午後になると合同で王都を見廻りに行くと兄が言っていた。兄がもしかしたら会えるかもね、と嬉しそうに笑っていた顔を思い出した。……私はこれから帰るから、兄に会うことはたぶんない。
――そっか、もう午後だから見廻りに出てるんだ。
ちょっとくらい、話し掛けてもいいだろうか。でも、合同演習中なのは変わらないし、ダメかな。
そんな事を悩んでいると話し声が聞こえてきた。
「えー!嘘!?嘘でしょ!?はっ!ブライト、まさか気づいてないとかは……ないよね!?」
スカーレットじゃない、女性の声だ。
「……何の話だ?てか見廻り中なんだから無駄話するな」
それに応える、アリオンの声。
なんだろう。カリナとスカーレット以外に、女性に対して普通に話しているアリオンを、初めて見た。いや、聞いた。
――そういえば、スカーレットが同じ騎士には普通に話してって言ってたっけ。
路地の壁になんとなく凭れる。
なんでか、話し掛けようと思っていた気持ちは、なくなってしまった。
「うわー、え、これはどうなの?」
「大丈夫だ、俺は知ってる!前に聞いた時とは反応が違う!だから気づいたな、ブライト!」
男性の声が聞こえる。こっちも同僚の騎士だろう。
――そっか、合同で見廻りするって言ってたから二人だけな訳ないよね。
そう、思った。
「お前ら真面目に見廻れよ。先輩達がいるからって気ぃ抜くな」
アリオンの呆れたような声が聞こえた。
「いやー、それが俺もその話ちょっと気になるんだよねー」
「私も気になるわ」
男性と女性の声。アリオンが言っていた先輩達だろうか。
「先輩達まで何を言ってるんですか!?早く次行きましょうよ!」
アリオンが急かしてこの場を離れようとしているのがわかった。
やっぱり話し掛けるなんて事は、できそうにない。
「じゃあ次行きながら話すかー、ブライト」
楽しそうに言った男性の先輩の言葉に、アリオンは苦々しそうな声で返す。
「いや、だから……!」
「へーき、へーき!ちゃんと見廻りもするから!」
みんなで笑う声。
「やっぱり先輩達最高です!」
同僚だろう、女性の声。
「だろう?」
「ちょっと待ってくださいよ!俺の意見は無視なんですか!?」
からかわれている感じのアリオンは、気を遣った様子もなく話している。
「だって面白そうなんだもの」
面白そうに笑う女性の先輩の声に、同僚の男性と女性の楽しそうな声が応える。
「だってよ、ブライト!」
「ブライトもう観念しちゃいなさい」
「なんでこうなるんだよ……!」
アリオンが悔しそうな声で言って、そのまま声が遠くなっていく。
何の、会話だったんだろう。わからなかったけど、楽しそうだった。
反対側の道には出ずに、トボトボと戻る。そっちの道にも、出たくない気分だった。
大丈夫。
路地の道が少し長くなっちゃうけど、家へは帰れる。
王都にずっと住んでるんだから、色んな道をちゃんと知っている。路地や路地裏はどうしても、人が少ないから避けていただけだ。
……だって、アリオンが心配しそうだったから。
ぎゅっと鞄の持ち手を握り締めた。
――早く、家に帰ろう。
***
家を見ると、ほっとした。早歩きで戻ると出てからそんなに時間は経っていないように思う。
玄関を開けて入ると、鍵を閉める。そのままコートを脱ぎながら二階の自分の部屋へと入る。
コート掛けにコートをかけると、そのままうつ伏せにベットに倒れ込む。ベットが軋んで音を立てた。体調は悪くないはずなのに、このまま寝たい気分だった。ベッド脇の机の上を見る。
そこには、アリオンから貰ったガラス瓶の飴がある。
『お前が落ち込む時には傍に居させてくれればいい』
そう、言われてた。だから、落ち込んでなんか、ない。泣いてないから、落ち込んで、ない。
ガラス瓶の蓋を開けて、飴を口の中に転がす。
甘くて美味しいはずなのに、昨日や今日の出掛ける前程、美味しく感じなかった。
――……アリオン、楽しそうだった。
当たり前だ。アリオンにもアリオンの付き合いがある。なのに、どうして私をいつも優先してくれるんだろう。
――私、アリオンに甘えてていいのかな。
だって、きっと、アリオンも。
気負わずに、私と喋るように女性騎士と喋っていたアリオンを思い出す。女性に対してはいつも作った顔だったのに、もうちゃんと、普通に話せる人がいる。
だからきっと、いつかアリオンも、ユーヴェンみたいに、きっと、好きな人ができて。
きっと、離れていってしまうのに。
――ずっと、アリオンに甘えてていいはず、ないじゃない。
なんで、思い至らなかったんだろう。私がアリオンの彼女なんて噂は、アリオンにも良くないことに。アリオンが私の事ばかり気にするから、気にしてなかった。そんなの、駄目なのに。
アリオンはいつも、私の事を優先しちゃうから。きっと、昔の負い目からなのに。
――噂、消さないと。
アリオンに好きな人ができた時に、きっと困ってしまう。
『……俺が頭撫でんの、嫌になってねぇか?』
自信がないように言った言葉。私が撫で方が好きだと言うと、嬉しそうに笑った。
『そうか。なら、嬉しい』
あの笑顔を思うと胸が温かくなるけれど、アリオンの未来の事を考えればやめさせた方がいいのだろう。
きっと撫ですぎだと言えば、やめる。恥ずかしいのだと言えば、アリオンも仕方ないと笑って、そこまで傷つくこともなくやめてくれるはずだ。
うつ伏せたまま、ぎゅっとベットのシーツを握った。皺が寄ってくしゃくしゃになる。それをぼうっと眺めてから、目を瞑る。
ちょっと、疲れてしまっただけだ。だから、落ち込んでない。だから、アリオンを呼ばなくても、大丈夫。
ユーヴェンとカリナの姿が浮かんだけれど、もっとシーツを握り締めて消す。考えないようにすれば、大丈夫。
それに、アリオンに甘えないように、しなきゃいけない。
――噂、どうやって消せばいいだろう。
アリオンが消えないと言っていた。私でどうにかできるんだろうか。
でも、どうにかしないと。
だってそのままだと、私が、ずっとアリオンに甘えちゃいそうだから。
ああ、そっか。昨日怖いと思ったのは……。
――アリオンに甘えて頼り過ぎて、アリオンを離せなくなっちゃうのが怖かったんだ。
アリオンにも、アリオンの付き合いや人生があるのに、離せなくなるなんて、いいわけない。
甘やかしてくれるアリオンに甘えっぱなしじゃ、駄目なんだ。
――ちゃんと、離れなきゃ。
言葉を頭の中で繰り返して、刻んでいく。
ベットに横になって目を瞑っていると眠くなってきて、私の意識はそのまま沈んだ。
温かいものが目の端から零れた気がした。




