―伝えない言葉―
――俺を見て欲しい。
湧いた欲望のままに口を開いた。
「ローリー」
名前を呼ぶ。それで俺を見てくれるとわかっていた。
本当に、フューリーと変わらない。
「何?」
俺の思惑通りに振り向いて、不思議そうに首を傾げるローリー。振り向いてもらえたことに安堵する。だが、そんなものは一時的だと知っている。その事にやり切れない気持ちが湧く。
本当は何もないが、呼んでしまったからには何か言わなければ。一瞬の間で思い出したのは、ローリーにもともと言おうと思っていたこと。
「今日飲みにでも行かねぇ?」
もともと、誘おうと思っていた。でもそれは俺の願望ではなかったのだろうか。口から零れ落ちた言葉がローリーの為になっているのか考える。
……泣いていたのなら、もしかしたら飲みたい気分かもしれない。だから対応としては間違ってないのではないだろうかと、必死に正当化した。
「それ、いいわね」
心なしか目を輝かせながら言うローリーに間違ってなかったと安堵すると同時に、何があったんだと疑問を抱く。
泣いていたことも理由も言わないかもしれないが、少しでもローリーの気が晴れるようにしたい。
そう強く思った。だから、その名を出した。
「あとはユーヴェンでも……」
いつものように三人で飲めば気晴らしになるんじゃないだろうか、そんな軽い考えだった。それに二人きりは今の状態では落ち着きそうにないからとの打算もあった。
そんな考えでユーヴェンの名前を出した時。
輝いていたはずのローリーの瞳の奥に陰りがかかった。
心臓が、嫌な感じで跳ねた。
「……呼ぼうと思ったけど、あいつ今日残業しなきゃなんねぇって言ってたわ」
ローリーに近づいた時とは違う、責め立てるような心臓の鼓動が耳の奥で鳴る。
不審には思われなかっただろうか。
無力感と後悔と、気づきと。
「そうなの。じゃあ、二人で行きましょ」
俺の適当な嘘で安心したように笑ったはずなのに、その顔は寂しそうで。
そしてあの陰りは、さっき泣いていた時に見せていた陰りと一緒で。
「ああ、そうしようぜ」
腑に落ちてしまった。
きっと、俺がローリーを好きな事に気づいたように、ローリーも気づいたんだ。
――ユーヴェンを好き、だと。
考えただけで、頭を強い衝撃が襲ったように錯覚する。
ローリーが泣いていた場面を思い出す。
――あの廊下の奥に居たのは、ユーヴェンだ。
強く拳を握った。
――あいつは今、メーベルさんを見てる。
焦燥感に胸を焼く。それと胸を掻きむしりたくなるような息苦しさが俺を襲う。
「じゃあ、えーと……」
飲み会の事を考えているローリーに、何事もないかのように喋る。
全ての感情がぐちゃぐちゃで、ちゃんと笑えているのかすら分からない。
――いや、俺が悟られるわけにはいかない。
「今日は中央公園近くの店にしようぜ。中央公園前の噴水広場で待っておいてくれ。俺の方が遅いかもしれねぇけど、終わったら行く」
ユーヴェンが残業など嘘だ。だから会わないように離れた場所を待ち合わせにする。
――ローリーだって、ユーヴェンへの想いに気づいただけで精一杯だろう。
浮かんだ考えが、じくじくと痛みを広げていく。
「わかったわ」
それでもローリーには、ずっと笑っていて欲しい。
――その為なら俺の気持ちなど、小さなことだ。
そう思いながらも、割り切れない心が軋んでいる。
「じゃあ、またあとでね。アリオン」
「おう」
笑いながら言って去っていくローリーを、背中が見えなくなるまで見送った。
もうローリーが見えないのに去っていった方向を見たまま、柱に頭を凭れさせた。
「気づいた途端、これか」
遣る瀬ない想いを吐き出すように、独りごちる。
渦巻く感情が暴れているから、苦しくて痛い。
ローリーがユーヴェンを好きかもしれないと思ったのはかなり前のことだった。それなのに、俺はローリーが言ったユーヴェンを好きじゃないという言葉を盲目的に信じていた。
――それは俺が信じたかったからだ。思い込みたかった。
気づかずにずっとローリーを想っていた俺が、俺の想いの為に思い込みたかった。
「……好きだ」
伝える事のできない想いを口の中で小さく呟く。
ローリーが去った廊下に、寒さをはらんだ風が吹いた。




