―二人の距離―
落ちた沈黙の中で魔法発動の光が消えた。
それを合図にするようにメーベル医務官は口を開く。
「…………魔力は回復した。離せ、リック」
メーベル医務官の声は、まるで何も受け入れないかのように固い。
「ユリア」
手を握りながらリックさんは願うような声でメーベル医務官を呼んだ。
この二人の会話に俺まで息を詰めてしまう。
そして、メーベル医務官が顔を上げた。
「…………リック……お前も今のこの状況を利用しているだろう?」
鋭い眼をリックさんに向けたメーベル医務官に、リックさんから話を聞いていた俺は息を飲みそうになった。しかし俺からバレる訳にはいかないので必死に堪える。
リックさんはピクリと眉を動かしただけだった。
「……」
しかしその沈黙を肯定ととったのだろう、メーベル医務官は薄く笑った。
「リック、お前が何をしようとしているのかまでは知らない。けれど……お前の事だ。自分の身が危うくなるような事をしようとしているんじゃないのか?私は……そんなお前にこれ以上頼りたくはないんだ」
突き放すようなメーベル医務官の言葉には、リックさんへの心配が見える。
確かにリックさんは貴族の方相手していようとしている分、心配されるのもわかる。メーベル医務官だって、自分が誰を相手にしている人が誰なのかわかっているのだ。だからこそリックさんを遠ざけようとしているのだろう。
――リックさん、バレたら止められるって言ってたもんな……。
それでもリックさんが口を開こうとした時、メーベル医務官はそれを遮るように声を出した。
「話は終わりだ。ブライト君を早く治さなければいけないだろう?」
リックさんはその言葉に息を短く吐いた。
「そうだね……」
そうしてリックさんはメーベル医務官の手を離した。
「さて、ブライト君。待たせてしまって申し訳なかったね。透過魔法で患部を確認させてもらえるかい?」
「は……い……」
――お、俺メーベル医務官に話を終わらせる理由にされた……!
リックさんも俺の怪我を気にしているようだった。それを引き合いに出されては話を終えるしかないのだろう。
――俺があとでいいって言ったらまた厳しく言われるだろうし……!
たぶん怪我させられたのはわざとだけれど、必要以上に怪我をさせる気も長引かせる気もないのだろう。
……メーベル医務官はそんなリックさんの性格もわかっていて俺の怪我を理由にしたのだと思われる。
メーベル医務官は透過魔法を描きながら口を開いた。
「リック……魔力を渡してくれてありがとう。助かったよ」
患部を診ながらだけれど、メーベル医務官は柔らかい声でそう言った。どんな顔をしているかは見えない。
「……ユリアに魔力を渡すのは……昔から僕の役目だ」
そう返したリックさんの声は、悔しそうな……それでも優しい声だった。
「ふ、そうだな」
返事をしながら透過魔法を展開したメーベル医務官の口元は、緩やかに弧を描いていた。
暫く俺の身体を透過魔法で診ていたメーベル医務官は、足だけではなく全身を診てから治癒魔法を展開した。治癒魔法の光が俺の身体を包む。
「よし、治ったよ。感触はどうだい?」
その声掛けに目を瞬かせる。かなり身体の調子がいい。俺がリックさんとの模擬戦中に治していた箇所も実は少し痛みがあったのだが、それもなくなっている。
骨折していた足も力を入れてみるが何の違和感もない。
「あ、大丈夫です。すごく滑らかに動きます……。こんな風に骨折も違和感なく治るものなんですね……」
正直骨折ともなると自分で治すと少し痛みがあったり等の違和感があったのだ。だから他人の骨折を治した時は治した後一応医務室に連れてきていた。……あと母に軽い傷以外は応急処置した後すぐに医師に診せるようにとかなりの剣幕で言い聞かせられていたし。制裁するような相手に対しては考慮なんてしなかったが。
――まあ自分の怪我だと医師に診せずに放置してたんだが……。
だから正直ここまで違うものかと驚いてしまった。
「はは。一応私も医師だ。かなり医学を学んだからね。ブライトくんも応急処置は一級品だが、やはり応急処置の域は出ない。君は他人の骨折などの大きな怪我は応急処置をしてから医務室に運んでくるが、自分の怪我に対しては自分で治してそのままにしているんじゃないか?それはあまりよくない」
メーベル医務官の苦笑しながらの指摘に目を泳がせる。
「……はい……」
しかし誤魔化すわけにもいかずに頷いた。
「君の母君が医師なのだろう?あくまで応急処置だと言われなかったか?」
「……はい、言われています……」
正に母に言われていた事を当てられて肩が縮こまる。
「そうだろう?きちんと医師の母君の言う事は聞いておきなさい」
「はい……」
「騎士を長く続けたいならその都度きちんと治すのは大事な事だよ。覚えておきなさい。私達はブライトくんが応急処置してくれているだけでも助かっているから、気も遣わなくていい」
「わかりました……」
メーベル医務官にそう諭されるとなんだか医師の母や姉を思い出す。……いや、母や姉の言い方よりだいぶ優しいが。
反省している俺の肩をリックさんがポンと叩いた。
「アリオンくん、今度からはちゃんと骨折とかの怪我を治した後には医務室に行くようにね。君もこれでよくわかっただろう?医師の治療は君のとは質が違うんだ」
「う……はい」
もしかして俺が怪我をさせられたのは、俺が自分の怪我であまり医務室に行かないのを知られていたからなんだろうか。
こうはっきりと自分の応急処置と医師の治療の違いを体感させられてしまっては、今までのように自己治療だけで放置は駄目だと感じてしまう。
――それに......たぶんリックさんも心配してくれてんだろうし......。
俺は騎士をこれからも続けていくつもりなのだ。ローリーに心配をかけるわけにもいかないし、これからは応急処置をした後、きちんと医務室に行こうと思った。
俺が頷いたのを見たリックさんはメーベル医務官に手を伸ばした。
「ユリア。手、出して」
「はあ……心配性だな」
その言葉に苦く笑うメーベル医務官に、リックさんは少しムッとしたように眉を寄せる。
「うるさいよ。僕はユリアが大事なんだ。心配して当たり前だろう」
メーベル医務官は目を伏せて、仕方ないように笑った。
「……わかった。ありがとう、リック」
返事と共にメーベル医務官の手がリックさんの手の上に重ねられた。
再度魔力変換術式を描いて発動させたリックさんは、メーベル医務官が重ねた手をしっかりと握る。
「ユリア」
「なんだ?」
名を呼んだリックさんを見たメーベル医務官の青緑色の瞳を、強い意志を持った紺碧の瞳で射抜いた。
「僕を舐めるな」
その力が籠った声に、メーベル医務官が目を見開いた。リックさんはそのまま続ける。
「僕はユリアの意思を尊重しているだけだ。君が公表してもいいと言うのなら、僕はすぐにでもユリアとの関係を全員に知らしめる準備はある」
息を呑んだメーベル医務官はぐっと眉を寄せて辛そうな表情をした。
俺にもリックさんの真剣な想いが伝わってくる。
「大事な人が傷つけられて、それで怒らずにいろって言うのか?僕には無理だ」
「しかしリック」
咎めるように呼んだメーベル医務官に近づいて、リックさんはしっかりと目を合わせた。
 




