―緩んだ笑み―
呆れた様子の二人に俺は残っていた紅茶を飲み干してから呟くように言った。
「……まあ俺は……腹は立ったけど……少し安心した部分もあったからな……」
そう言うと、キャリーは納得したように頷く。
「ああ……ユーヴェンさんがローリーにそういった好意を持ってなくて安心したのね……」
「まあ、そりゃな。今は……あんなだけど……過去は分かんなかったからな……」
キャリーの言葉に少しぼかしながら答える。流石に俺がユーヴェンの事を突っ込むのはどうかと思ったからだ。
キャリーは楽しそうに笑いながらメーベルさんの方を向いて言う。
「今はユーヴェンさん、カリナしか見てないものね」
「!いや、ユーヴェンさんはそんな事……!」
素早く反応したメーベルさんはユーヴェンの気持ちを否定するかのような言い方だ。
――やっぱりあいつが素直過ぎるから混乱してんのかな……。
「ふふ、そうだったわね」
「う……」
キャリーがメーベルさんの言葉を肯定すると、メーベルさんは目を逸らす。
俺はとりあえずユーヴェンに対しての接し方を伝えておこうと口を開いた。
「まあ、ユーヴェンは……素直な奴だから。良くも悪くも真っ直ぐなんだよ。あいつは思った事すぐ言うから大変だけど、嘘は言わねえから。何も深く考えてもねえ、単純な馬鹿だと思っとけばいい」
――ほんとにあいつは頭は良いくせに馬鹿なんだよな……。
少し遠い目をしながら言うと、メーベルさんは少し難しそうな顔をしながらも頷いた。
「……わかった……」
そんなメーベルさんを優しく見守っていたキャリーは、今度はこちらに矛先を向けた。
「それにしても……ブライトが罪悪感から気持ちに気づかなかったなんて、ローリー怒りそうね」
その言葉に思わず呻く。正に俺も思っていた事だ。
「う……」
メーベルさんもキャリーの言葉にさっきまでの難しい顔を、苦笑に変えてから言う。
「そうだよね、今日だって怒ってたもん」
「え?」
思わず戸惑いの声を漏らす。
――ローリーが怒ってた?何にだ?
二人の言い方だと罪悪感から気持ちに気付かない感じの事のようだが……近いような事を他にもしていただろうか……。
――……してたかもしれねえな……。……俺、あの頃は……ローリーにもうあんな思いをさせてたまるかって考えて……どんなものからでも守らねえとって、すごい気合い入れてたんだよなぁ……。
ローリーがハブられた事から入れたその気合いは、かなり空回りしていたような気がする。
『気合いを入れて守る』の一環で全然ローリーに触れずに接していたら、ローリーにかなり怒られた上に悲しませてしまった。
『アリオン、ずっと私とハイタッチもしてくれないのなんで!?私はアリオンの友達じゃないの!?』
そう言って目を吊り上げて怒っているのに、ローリーはとても悲しそうな目をしていた。
正直、あれはかなり堪えた。俺がそんな訳ない、悪かったと、そうしていた理由を話しながら謝り倒すと、とてもほっとしたようにローリーは微笑んだのだ。
……それ程追い詰めたのだと、俺は自分の馬鹿さ加減を思い知った。それからは俺が気にし過ぎていたらローリーは悲しんでしまうのだと思って、なるべく気にしないように接するようになった。気にしていると知れたらその度ローリーに怒られている。
自分の失態を改めて思い出して、少し目を伏せた。
――やっぱり罪悪感で気付かなかった事も白状した方がいいか……。
それでもローリーに悲しい顔をさせてしまいそうだと迷っていると、メーベルさんがにっこり笑った。
「きっと怒られるからその事も一緒に白状した方がいいよ、ブライトさん。言ってなかったら言うからね?」
まるで迷っていたのを断ち切るように言われた言葉に思わず呻く。
「ぐっ……。わかった、言う……」
俺からちゃんとローリーに伝えた方がいいだろう。
人から言われてやっと覚悟が決まるなんて情けない。どうしてもローリーを悲しませそうな事などになると弱腰になってしまうのは俺の悪い癖だ。
自分の情けなさに溜め息を吐いてからなんとなしに聞いてみる。
「ローリー、何に怒ってたんだ?」
キャリーが肩を竦める。
「それはローリーに直接聞きなさい。デートの前に怒ってやるって意気込んでたわよ」
「ふふ、今日ローリーが起きたら真っ先に言われると思うよ?」
目を見開く。……もしかして今日迎えに来なかったら、俺はデートの前にかなり怒られていたのだろうか。
今日迎えに呼んでもらえてよかったかもしれない。
俺とローリーは後に引く喧嘩をするタイプじゃないが……確実にデート時間は削られただろう。
「わかった。怒られとくよ……」
だから大人しく了承する。
――……もしかすると朝早く呼び出される感じだったかもしれねえな……。
それでも白熱するとローリーは説教が長くなったりするから、デート時間が削られないとは限らない。
今日ならまだ少し早い時間だからそこまで遅くなることもないだろう。
そこに「リィン」と鐘のような音が響き渡った。
「あ、伝達魔法だよ」
メーベルさんがそう言ったので窓際に寄ると、栗色の体躯と紺碧の目をした伝達魔法が止まり木に止まっている。
「リックさんからだな」
そう言って窓を開けて伝達魔法を入れる。伝達魔法はふわりと形を崩して文字を浮かび上がらせた。「僕は帰れないからよろしく」と書いてある。
「信頼されてるわね、あんた。何もしないってわかってるから任されるんでしょ?」
それを見ていたキャリーはそんな事を言う。
俺は「わかりました」とだけ書いて伝達魔法を飛ばして窓を閉めてから、キャリーに返事をする。
「無防備なローリー相手になにするって言うんだよ。ローリーも俺を信頼してくれてるんだから、その信頼を裏切る事なんてする訳ねえだろ。……まあ、リックさんに信頼されてるのは素直に嬉しいけどな」
「流石ローリー至上主義……」
キャリーはにっと笑って言った。恐らくリックさんのローリーへの溺愛ぶりをローリーから聞いているから言ってきたのだろう。
「聞きたい事ってもうねえか?」
リックさんからの返事もきたし、話がひと段落ついていたので聞いてみる。なければこのままローリーを連れて帰ろうと思った。
メーベルさんとキャリーは微笑みながら口を開いた。
「うん、大丈夫だよ。色々教えてくれてありがとう」
「色々知れて楽しかったわ。ローリーにも伝えておいて」
キャリーの言葉にはちゃんと『全部』伝えろという事も含まれているような気がして、苦笑する。
「……おう、伝えとく。俺も教えてくれて助かった」
そう言うと満足そうに二人共頷いてくれたので、ローリーを連れて帰る準備をする。
ローリーにかかっている毛布の上から俺のコートをかける。そして中腰になると毛布をコートがずれないようにゆっくりと丸めるように引き抜いていく。引き抜いた毛布は立って一度広げてから綺麗に畳む。
そうしてメーベルさんの方を振り向いて聞いた。
「この毛布、どうしとけばいい?」
何故かメーベルさんもキャリーも目を丸くしている。
「え、あ……ソファーの上に置いといたらいいよ」
それでもそう答えてくれたので、不思議に思いながらも頷く。
「わかった」
俺が座っていたソファーの上に置いた。
俺はローリーが寝ているソファーの横にしゃがむ。そしてローリーに俺のコートを引っ張りながらうまく巻きつける。少しローリーが眉を寄せた。
起こさないように気を付けながら、肩の下に腕を入れ、ローリーの膝の下にも手を入れて抱えながら立ち上がる。ローリーの顔が内側に向くようにしておく。
更に眉を寄せたローリーに少し笑いが零れる。
――流石に途中で起きるかもな。
そう思いながらキャリーとメーベルさんの方を向いて声を掛ける。
「じゃあ連れ帰るな」
俺の言葉に二人共ポカンとしていたので、眉をひそめた。
「……ブライトさんって……」
「……ほんとにローリーに触れないのね……」
メーベルさんとキャリーの信じられないような声に目を瞬かせる。
「は?」
二人共眉を寄せた微妙な表情だ。
「抱える時にわざわざ自分のコート巻き付けちゃうんだ……」
「しかも寝姿をあまり見ないようにか、コート被せてから毛布引き抜くし……」
二人の様子になんだかバツが悪くなり、目を逸らす。
「……なんだよ、寝てるとこなんてジロジロ見れねえし、少しでも接触減らさねえとローリーに悪いだろ」
「告白してもこれなんだ……!」
「ローリーが信じてるはずよね……!」
メーベルさんとキャリーが頭を抱えながら言う。俺は思わず目を泳がせた。
その時、抱えているローリーが少し声を漏らした。
「ん……」
二人の声はそれ程大きいものではなかったが、さっき抱えた時に少し起きそうになっていたからか瞼がピクリと動く。
そして薄く目を開いて綺麗な碧天の瞳を覗かせた。
「ん、ローリー起きたか?」
俺がそう声を掛けると焦点の合っていない目で見上げてくる。
「あ、起きちゃった?」
「起こしちゃったかしら……?」
メーベルさんとキャリーも眉を下げながらローリーを見る。
「まあ抱えたから体勢動いたんだし、仕方ねえだろ……。ローリー、起きたなら立つか?」
二人にそう言ってから、まだ目をきちんと開けていないローリーに話し掛ける。
するとローリーは眠そうにしたまま、首を傾げた。
「…………アリオン……?」
俺を呼ぶので、なるべく優しく応じる。
「うん、どうした?」
俺の言葉に、ローリーはあどけない笑みを浮かべた。
「えへへ、アリオンだあ……」
ローリーはそう言いながら擦り寄って、俺の服をぎゅっと握って嬉しそうに頬を緩めて目を瞑った。
「!!」
俺がローリーの行動に目を見開いた後、またすうすうと寝息が聞こえてきた。
――寝ぼけてたのかよ……!……くそ可愛い……!
顔に熱が集まっている感覚がする。けれどローリーを抱えているので顔を隠せそうもない。
――……ローリー抱えていられるなんて幸せな状況なんだがな!
メーベルさんとキャリーが堪え切れないようにくすくすと笑っているのが聞こえる。
「ブライトさん真っ赤だね」
「ローリーも甘えん坊だったわね」
ニヤニヤと楽しそうに笑っている二人にせめてもの抵抗だと思って、顔を背けた。
「……今のは赤くなっても仕方ねえだろ……」
それでも収まらない笑いが聞こえてくる。
「とってもローリー可愛いけど、頑張って耐えてね?」
「そうね、せいぜい頑張って耐えなさい」
「わかってるよ……」
そう頷くと、メーベルさんがドアを開けてくれるので大人しく通る。途中リビングでメーベル医務官達も居たので会釈した。なんだか生暖かい目で見られた気がしてすぐに目を逸らす。
また玄関を開けてくれたので、扉を抜けると振り向いて挨拶する。
「ローリーをよろしくね」
「しっかり頼むわ」
笑っているメーベルさんとキャリーの言葉は、連れて帰る事に関してだけじゃないような気がしたので、しっかりと頷く。
「……わかった。しっかり守るよ。呼んでくれてありがとな」
そうやって微笑んで答えた。
「ふふ、どういたしまして」
二人が俺の言葉に笑ったところで、メーベルさんが思い出したように言った。
「あ、ブライトさん、ローリー肩を抱かれたこともないって寂しそうだったよ?」
「ああ、抱き締めるのもされてみたいって言ってたわね。抱き締めるくらいしてもいいんじゃない?」
「そうだね、今抱きかかえてるもんね。抱き締めるくらいいいよね?」
「は?」
二人の言葉に目をこれでもかと見開く。今聞いた言葉がすぐには理解できない。
「それじゃまた」
「じゃあね」
メーベルさんとキャリーはとんでもない爆弾を落としてから扉を閉めた。
俺は挨拶を返す事もできずにその場に佇む。
そして言葉を理解すると、全身真っ赤になった気がした。ぐっと歯を食いしばりながらとりあえず歩き出す。
――あの二人はほんとにどうしたいんだ、俺を……!
キャリーはあまりローリーを困らせるなって言ってたくせになんという事を最後に言ってくるんだ。
ちらりと俺の服を掴んですやすやと安心したように眠っているローリーを見る。
――すっげえ可愛いこと、言いやがって……。
肩を抱かれた事がなくて寂しそうってなんだ。抱き締めるのされてみたいってなんだ。
どうしようもなく可愛く思って、つい少しだけきゅっと腕に力を入れた。
――今……もう抱きかかえてるもんな……。抱き込むようにはしたことあるし……軽く、抱き締める、くらいなら……。
別にリックさんにも軽く抱き締める事は駄目だとは言われていない。
――……というか、リックさんが駄目って言った事って……結構進んだ事なんだよな……。
思わずリックさんが言った事を思い出しそうになって頭を振って追い出してから、溜め息を吐いた。
ローリーが確実に俺を見てくれているようになっていることが幸せで堪らない。
――……今日、色々話さねえといけねえし……そん時、抱き締めて、みるか……。
ローリーは驚くだろうか、それとも嬉しそうにしてくれるだろうか。想像して思わず笑みが溢れる。
顔を上げて、澄んだ空気の中で綺麗に光る星を眺めた。ローリーとこうして過ごせている事に、顔が締まりなく緩んでいる。
明日もローリーと一緒に居れる、という幸せを噛み締めながらローリーへの家へと歩を進めた。




