―伸びた背筋―
呼び鈴を鳴らす。ここまで急いで来たが、走っている間にだいぶ頭が冷静になった今は、うまく釣られたような気がしてならない。
――そうだよ。なんでメーベルさんの家に居てキャリーも居んのに「ローリーが緊急事態」なんて事になるんだ……。んな事ある訳ねえのに……。
たぶん俺は都合よくキャリーから伝達魔法で呼び出されただけな気がする。
……それでもやっぱり心配になったから来たんだが。
――普通にローリー迎えに来いってだけでもちゃんと来たんだけどな……。
もう日は暮れてだいぶ経っている。きっとキャリーが気を利かせてローリーを俺に迎えにこさせたんだろう。
誰かが応答してくれるのを待っている間、考えながら息を整える。
「はい。おや、ブライト君。カリナとスカーレットちゃんが呼んだと言っていたね。今開けるよ」
玄関前に立っている俺を、恐らく魔法か魔導具を使って確認したその凛とした落ち着いた声に聞き覚えがあり、自然と背筋が伸びた。
扉が開いた先にいたのは、緑がかった黒髪をショートカットにし青緑色の目を細めている女性だ。
「やあ。久しぶりじゃないか、ブライト君」
「お久しぶりです、メーベル医務官」
そう言って頭を下げる。
「かしこまらなくていいよ。君も私の妹、カリナの『友達』になったんだろう?」
その強調された二文字が恐ろしい。
――やっぱりメーベルさんのお姉さんって……メーベル医務官の事だったのか……。
ユリア・メーベル一等王宮医務官は、以前は騎士団に常駐していた。それがメーベルさんが王宮に入った頃、別部署に異動したらしい。
メーベルさんと同じ年に騎士団に入った俺が知っているのは、時々メーベル医務官が騎士団医務室に応援に来ている為だ。
――溺愛してる妹の為に部署異動したっていう噂があったけど……本当だったんだな……。
ローリーにメーベルさんの溺愛している姉弟の話を聞いた時にまさかと思ってはいた。
メーベル医務官にどう答えればいいか考えてから、顔を上げて口を開く。
「自分にとっては……ローリーの大切な友人、という認識が強いです。もちろん自分自身もメーベルさんのいい友人であれれば、とは思いますが」
正解かはわからないが、自分の素直な気持ちを話す。
メーベル医務官は……朗らかに笑いながらどんな傷でも治す優秀な医務官だ。しかしどんな重傷でも朗らかに笑いながら治す上に、とても厳しい人なのでみんなから戦々恐々とされている。
その上メーベル医務官には今でも恐れられている話があるのだ。
四年程前、メーベル医務官が騎士団医務室に在籍していた頃、小さい怪我で医務室に来る者があまりに多いものだから騎士団総団長のゼクセン様に進言したらしい。
自分で一つも怪我を治せない無能ばかりなのか、と。とは言っても、小さな怪我ばかりでも多く治していたら魔力が減っていく、いざ重傷者が出た時にきちんと治せる程の魔力が残っているのか分からない、そこを分かって欲しいと言った話だったらしいが。
それでも総団長に直接そんな事を言えてしまうメーベル医務官は心が強い。まあその時の上司が騎士団に全然意見を言わない人だったらしく、仕方なくメーベル医務官が直接言ったとは聞いた。……後でその上司は左遷されたと聞いている。もしかしたらそれも狙って直接総団長に言ったのかもしれない。
いくら騎士団内では同等の立場で接するようにとは言っていても、貴族の爵位はなくなっている訳でない。だから上の爵位の方には強く言えない貴族の方も多いらしい。おそらくその時の上司は貴族の方で、ウィースデン公爵家の嫡子である総団長に進言できなかったのだろう。しかしメーベル医務官は生命にも関わる事だから見過ごせなかったのだと思われる。
総団長はメーベル医務官にすまなかった、改善すると約束したらしい。ゼクセン様も実力の上で総団長になった方だ。強さに貴族や平民の区別はない、と常々仰っている。四年程前といえばゼクセン様が総団長に就任したばかりだったから、その性格も周知されていなかったのもあるかもしれないが。そのような方だから、気を遣われているなど言語道断だったのが話を聞いただけでも分かる。
治癒魔法は学園で必ず習う魔法だ。身体への理解度や魔力量によって治せる度合いは違うが、多少の切り傷や軽い打撲くらいなら治せる人が多い。今はそれで治せない怪我なら騎士団医務室に行くように、と指導されている。
そうなったのがメーベル医務官の進言だったのだから、それから数年経った今でも語り継がれていて当然だろう。
思い返していると、メーベル医務官は不敵に笑った。
「ふっ、君の噂は聞いていたけれど、どうやら事実みたいだね。君はローリーちゃんしか見えてなさそうだから安心だよ」
そう言われて内心安堵する。まあ事実を述べただけなんだが。
「ほら、入りなさい」
「はい、お邪魔します」
玄関に迎え入れられるだけでも少し気を張ってしまった。キャリーがあんな伝達魔法を送ったから急いで来たけれど、もう少し心構えをしておけばよかったと少しだけ後悔する。
――まあ、ローリーに早く会いたかったのは会いたかったんだが……。
それもあって走って来た。
メーベル医務官は朗らかに笑いながら口を開く。
「それにしても、ローリーちゃんは可愛いよね」
「はい、可愛いです」
メーベル医務官の言葉にすぐに同意する。
するとメーベル医務官は楽しそうに笑った。
「いいね、迷いなく答える感じ。カリナの大事な友達に変な虫がついていないかは心配だったんだ」
ローリーもメーベルさんのお姉さん達と話していると言っていたから、ローリーの事もよく知っているんだろう。
「……ありがとうございます」
褒められているのかは分からないが、お礼を言う。
「ふふ、しかしあのガールド隊長の妹さんだとは思えない程ローリーちゃんは可愛いよね。どうせなら私の妹になってもらって、姉として可愛がりたいぐらいだ。カリナも喜ぶと思わないかい?」
『あの』と言った部分に必要以上の棘を感じながらも、聞き逃がせない単語が出たので告げておく。
「それは……自分が、ローリーを……も、貰いたいので、諦めて頂きたいです」
メーベル医務官の妹になるなんて、手段が限られてくるじゃないか。冗談だとしても俺には頷けなかった。
とても楽しそうに目を細めてメーベル医務官は笑う。
「へえ。もう付き合ってるの?」
「まだですけど、そうなれるように努力はしています」
俺の言葉に見定めるようにすっと目を細めた。
「なのにそんな事を言うんだね。些か尚早じゃないかい?」
「自分はローリーと半端な気持ちで付き合うつもりはないので、先を考えるのは当然です」
あいつに強制するつもりはないが、俺はローリーといつか別れる前提で付き合うつもりはさらさらない。だから俺の中では付き合ったその先も、もちろん考えている。
――流石に今はあいつに言う気はねえが……。
……付き合えたとしても、ローリーが先を自然と考えられるようになってから伝えればいいだろう。
「ふっ、君は真っ直ぐだね。私はブライト君を以前から評価しているんだよ?治癒魔法の腕もいいしね。重傷者を応急処置して医務室に運んでくれたのは助かったよ。怪我の具合と治した箇所を伝えてくれたのもね。それに君が配置された隊からは軽傷者が全く来ないのも有り難い。巡回強化ではガールド隊長の隊に配属されたのだろう?あんな男の所より、私の下に来ないかい?」
メーベル医務官の言葉に、刃物を突き付けられたような錯覚に陥る。
――言葉の棘がすごくて怖え!
正直メーベル医務官とリックさんの相性は最悪だ。
以前見習い騎士の配置換えでちょうどリックさんの隊に配置されていた時、訓練時の不注意で同僚が大怪我を負った。俺が応急処置を施した上で騎士団医務室に俺と隊長のリックさんで連れて行った。俺は治癒した時に大体の怪我の具合を確認していたので、その時ちょうど騎士団医務室に応援に来ていたメーベル医務官に伝えたのだ。どれくらいの処置をしたかも伝えると、役に立つよ、ありがとうと言われた。
その時はそう言われてほっとしていたのだが……その後のリックさんとの言葉の応酬が信じられないくらい冷えていた。リックさんもメーベル医務官も表面上はとても丁寧なのに、互いにやすりをかけるような言葉を掛け合っていた。
……大怪我を負っていた同僚は気絶しとけばよかった、と言っていた。俺だってその場から逃げ出したかった。
その時治癒を行いながらメーベル医務官とリックさんが話していたのは、リックさんの隊からよく負傷者が出るという話だった。……まあリックさんの隊は厳しい事で有名ではあるんだが。
誰かさんがうまく手加減できないくらい腕が落ちたんじゃないか、と言ったメーベル医務官に、リックさんはにっこりと笑って、以前よりもやりやすいからつい力が入ってしまうんだ、魔力調整が苦手だった誰かさんは今は常駐してないからね、と返していた。メーベル医務官とリックさんは微笑み合っていたが、それは決して友好的には見えなかった。
正直リックさんが一番怖かったのはあの時だ。
だからこの誘いは、治癒魔法の腕が落ちないようによく同僚を治療している俺を評価してくれているのもあるのだろうが、相性の悪いリックさんのお気に入りなんて恐ろしい事を言われているのもあるんじゃないかと疑っている。
リックさんに直接、俺が筋がいいからくれないかい?って言ってるらしいし……。俺はリックさんにそれを聞かされて、冷えた目でどうする、アリオンくん?なんて言われるから本当にやめてほしいんだが。




