悲しかった距離
それは、一月にも満たない期間の記憶。
『ローリー、お前髪に埃ついてるぞ』
どこ?と聞くと、アリオンは笑った。
『ほら、ここだよ。どこでこんな埃つけたんだ?』
笑いながらアリオンは私の髪に触れて埃を取った。それを私に見せてくるので、私は少しムッとしながら学園祭の準備で、と答えて……。
目をパチリとさせる。
そうだ、そうだった。アリオンは本当に『最初の頃』は、私に対して『全く触らない』なんて気は遣ってなかった。
「そうだわ、違った!アリオン、ユーヴェンに紹介された直後は全く触らないなんて事してなかったわ!」
今思い出した事実につい叫ぶと、カリナとスカーレットが目を丸くした。
「え?」
「そうなの?」
ぎゅっと眉を寄せながら顔を厳しくする。
「そうなのよ!アリオン最初の頃は髪にゴミついてるって、普通に髪に触ってゴミ取ってくれてたもの!やっぱりアリオン、私が女子にハブられたの気にして変な気を遣うようになったんだわ!」
それをしたのはほんとに最初の頃のそれだけで、ハブられた後は何かついているとなると指摘してそっちじゃない、みたいな感じの指示をされるようになった。ちょっとわからないとすぐに鏡を差し出されるのだ。
――アリオン手持ち鏡いつも持ってたの、絶対私に差し出す為だったわね……!
変な気を遣われていた事が悲しくて、唇を噛む。
「ローリー……」
隣に居たスカーレットが、背中を撫でてくれる。
「私だってクラスの女子達と喧嘩したのよ!だからアリオンは気にしないでって言ったのに……。少しは気を遣われてるの、わかってたけど……。でも、私……もしかしたら……他に何かしちゃって、嫌になったのかな……って、思ってたのに……」
そうだった。私は女子にハブられた事より、アリオンと少し距離が空いたことの方が辛かった。
最初の頃はまだ仲良くなってから日が浅かったから、アリオンに嫌われたかもしれないと思ったのだ。今のように、アリオンが私を嫌うような事はないなんて、思えなかった。
それで……ユーヴェンに話したら、アリオンが気にし過ぎで過保護なだけだから大丈夫だと慰められたのだ。
アリオンをよく知っているユーヴェンの言葉に安心した。
その時初めてユーヴェンを眩しく思ったような気がする。
思い出すと泣きそうになる。
「悲しかったんだね……」
カリナの言葉に眉を下げて気持ちを吐き出す。
「だって、距離が空いたの……。アリオンによく話し掛けてたから、接し方が変わったの、わかったのよ。少し距離が空いたの、わかっちゃったの。あんな風になったから、ちょっと気にしてるだけ。ユーヴェンもアリオンが気にし過ぎで過保護なんだって言ってた。そう、思うようにしてた。だから、ずっと……アリオンが私のことを『妹のように』思って過保護にしてるから、変に気にし過ぎなだけって……私自身も、思おうとしてたの。……だってそうじゃないと……嫌われたかもって、考えちゃったから」
だから忘れていた。最初の頃を思い出すと、変わってしまったとわかってしまって辛かった。
「そっか……」
カリナも私の近くに寄ってきてくれる。私はそんなに辛そうな顔をしているのだろうか。
カリナがきゅっと手を握ってくれた。
「……ユーヴェンにアリオンが気にし過ぎで過保護なんだって言われた時、お兄ちゃんが私に男を近寄らせたくないって言ってたの、思い出したの。だから、アリオンも私を『妹のように』思ってるから、自分自身ですら近寄らせないんだって……思おうとしたの……。それで、その後すごく過保護だったから当たりだったんだって……思ってたの」
でも今は分かる。アリオンは私がハブられたのを気にして、少し態度が変わったのだ。
そしてそれは、男子の遊びに混ざって他の男子とハイタッチをし始めて、はっきりと『全く触らない』という形になった。
そして私は寂しくて怒ったのだ。
「アリオンのバカ……」
怒りなのか、悲しいのか、震えてしまう。
スカーレットとカリナが、手を優しく包んでくれる。
「大丈夫よ、ローリー。今は全然違うでしょ?ブライトはあなたを全然離す気なさそうよ」
「ふふ、そうだね。今はすごく気持ちを伝えてくれてるもん。ローリーだって、ブライトさんの事すごく信じてる」
二人の言葉に優しいアリオンを思い出して、こくりと頷く。少し距離が空いてた時だって、アリオンはずっと優しかった。
でも。
「明日アリオンに怒ってやるわ……」
アリオンに気にし過ぎだって、また怒ろうと決めた。いつもあの事を気にし過ぎって怒ってきてたけれど、今度はそうされて悲しかった事も伝えてやる。
アリオンはきっと眉を下げて本当に申し訳無さそうに、悪かったと謝ってくるだろう。それでアリオンに、言うんだ。
気にされてる方が、悲しかったって。
……それでアリオンにもどう思っていたか、聞くの。
ちゃんとあの時の気持ちを全部、伝え合うの。
……誤魔化そうとしたら明日一日口をきかないと言ってやる。全部指差しで会話の代わりにしてやる。
そんな事を言えば、アリオンは絶対に観念して話してくれる。
そう考えると少し気持ちが楽になってきた。
「明日?ブライトさんに会うの?」
カリナが目を瞬かせて聞いてきた事にハッとする。
そういえばまだ話していなかった。
「うん……。あの……明日、アリオンと……デート、するの……」
二人に覗き込まれながら言うのは少し恥ずかしい。
デートの事を思い浮かべると自然と頬が緩む。
スカーレットとカリナは楽しそうに笑う。
「あら、いいわね」
「ふふふ。でも怒っちゃうの?」
「うう……だって……許せないんだもん……」
頬を膨らませながら笑っている二人に返す。
「そうなのね。……でもそんな日に怒ったら喧嘩になって、一日引きずったりしないの?」
スカーレットの言葉に目をパチクリとさせる。
正直私がアリオンに怒って長引く喧嘩になった事は……ない。
昨日も怒ったけど、ちゃんとアリオンが帰るまでにはもともと許すつもりだった。
お兄ちゃん相手だと長引かせてしまうけど、いくらお兄ちゃんみたいだとはいえ、アリオン相手にはそんなに長引かせたくない。
「たぶん怒ってる時は悲しくなるけど……。アリオンが謝ってくれたら許すもの。だから引きずらないわよ?」
アリオンとは後を引くような喧嘩はした事がない。
だから明日アリオンを怒ったとしても、その後いつも通り出掛けられるはずだ。
「私とカインみたいに怒り合ってすごく喧嘩になるわけじゃないのね……」
スカーレットが驚いたように言う。
スカーレットとフューリーさんはそうなってしまうという事か。
……だから余計に拗れていたのかしら。
「アリオンとはよく言い合ったりはするけど……本気の喧嘩になった事は……ないわよ?私がアリオンに怒る時はアリオンも真面目に聞いて、大抵アリオンが悪いと自覚してる事が多いからすぐ謝るし……。アリオンって小言はよく言うけど、私に怒る事なんて稀だし……まあ最近はよく怒られてるけど……。あ」
そう言って気づく。
「どうしたの?」
首を傾げたカリナに、バツが悪くなりながら答える。
「私がアリオンに怒られてしゅんとすると、いつもアリオンが怒り過ぎたって謝ってたわ……」
この前もそうだった。アリオンがしゅんとした私を見て謝っていた。
あんまり喧嘩が長引かないの、アリオンのお陰よね……。
「ふふふ、そっか」
カリナが優しく笑う。
「うう……」
そう考えるとアリオンに悪い気がしてしまう。
いや、でも今回怒るのはアリオンが昔気にし過ぎていたのが悪いのだ。だから怒る事は決定だ。




