甘い記憶
アリオンは苦虫を噛み潰したような顔で、吐き出すように喋る。
「心配なのは、心配なんだよ。だからユーヴェンが送れる日があんならローリー送ってもらった方がいいんだろうなって思ってんだ!でもお前とユーヴェンが二人で帰ってる、っていうのはすげぇ嫌なんだよ。いや、でもお前の安全考えっとそんなんどうでもいいから送ってもらえって言うべきで……」
そのアリオンの言葉は、どちらにしても私を想ってくれていることが丸わかりで。なんだか嬉しくなって笑ってしまった。
「ふふふ」
「なんだよ、笑って」
私の笑い声に、少しへそを曲げたように聞いてくる。
先程喧嘩をしてしまった分、素直になろうと思って漏れる笑みを抑えずに笑った。
「嬉しい、アリオン」
アリオンは目を瞬かせると、視線を逸らして恥ずかしそうに首を掻いた。
照れているその仕草に、更に笑みが溢れた。
「……そうかよ……。…………来週から、ユーヴェンが平気そうな日は送ってもらえよ。ユーヴェンにも言っとく」
少し顔を赤くして、視線を逸らしたまま嫌そうに言ってくるアリオン。
結局心配な気持ちの方が勝ってしまったんだろう。
私は眉を下げて息を吐いた。
「嫌なくせに心配性なんだから」
「うっせえぞ、ローリー」
不貞腐れたような感じで私をちらりと見てくる。言葉は乱暴なのに頭を掻いているので照れているのは丸わかりだ。
ふふっと笑って、問い掛ける。
「ね、ユーヴェンに言わないの?私に告白してくれたこと」
私のその言葉に、アリオンは目を見開いて私を見つめた。
私は微笑んだまま、アリオンの答えを待つ。
「……言ってもいいんなら……言う、けど……」
戸惑うように言ったアリオンに、私はアリオンはやっぱり優しいなと思いながら口を開く。
「アリオンやっぱり私の事考えてくれてたのね。ふふ、言ってほしいわ、ユーヴェンにも」
笑ってそう言うと、アリオンは口元を手で覆った。
「……ん、じゃあ……言う……」
答えたアリオンの顔は少し赤い。
それに、口端が綻んだ。
「うん」
にこにこと笑って頷くと、アリオンもふっと笑ってくれた。
しかしすぐに顔を顰めたので、首を傾げる。
「ただなぁ……言える時間があるかわからねぇ……」
そう溜め息を吐きながら言った言葉に、私は目を瞬かせた。
「そうなの?ユーヴェンとは話してるみたいだったのに」
ユーヴェンはアリオンから今日の予定を聞いていた。そんなに長話は忙しくてできないんだろうか。
「大抵騎士団事務所内での立ち話だからな。大した事は話してねぇよ」
「そうだったのね……」
アリオンの話に納得する。確かに騎士団事務所内での立ち話だと、いつ終わるかぐらいは話せるが私的な事となると無理だろう。
「あー……でも来週中ぐらいには一旦落ち着くらしいし……その後なら通常勤務も増えっから、言えるか……」
「そうなの?」
その言葉に期待が湧く。
通常勤務があるという事は、朝にアリオンが迎えに来てくれるということだ。
「今は巡回の編成を見直し中だから特に忙しいんだよ。編成し終わって毎日の巡回の中に組み込めれば、通常勤務も増えて安定した勤務になるはずだ」
巡回強化は継続みたいだ。そもそも巡回強化が何の為かも私は知らない。
もしかしたら要望があって巡回強化をしたかったが、人員が足りなくて見習い騎士からも動員という話だったんだろうか。
そうであれば、まだ安心できるのだけど……。
でも、あの時の兄とグランドン隊長のひりついた空気が、頭を過ぎる。
「そっか……。でも、何もなければ……よね?」
また少し不安になって、聞いてみる。
「そりゃそうだけどな……。……今んとこ巡回強化で足りるって話だから、大丈夫だよ」
そう眉を下げてから、私の頭を優しく撫でた。
『今のところ巡回強化で足りる』ということは、裏を返せば足りない事態が起こる事を想定している話し方だ。
この前の兄とグランドン隊長の話し方でなんとなくは分かっていたけれど、やはり何か起きているのだろう。
「うん、わかった……」
頷くと、アリオンが繋いでくれている手をきゅっと握る。
アリオンはそれに優しく握り返すと、灰褐色の目を柔らかく細めて私の碧天の瞳に合わせてから口を開いた。
「通常勤務増えたら……朝も送るし、早く終わりそう時は俺が送るよ」
頭を撫でていた手で、私を安心させるように優しく頭をポンポン、としてくれた。
その言葉に口元を緩めながら、言葉を紡ぐ。
「よろしくね、アリオン」
「ん。ま、ユーヴェンもいつもは送れねぇからな、とりあえず早めに帰れ」
もう一度頭をポン、とすると、アリオンは私の髪を梳く。
「わかってるわ」
アリオンを心配させたい訳ではないので素直に頷く。
地肌に触れながら髪を梳くアリオンの指が、少しくすぐったいけれど心地良い。
「なるべく人通り多い所にいろよ。巡回強化で色んな所を騎士がよく回ってるはずだから、なんかあったらすぐに叫ぶか信号弾でも打て。伝達魔法構成するより早いだろ」
「うん」
信号弾は光の弾を打ち上げる魔法だ。光を打ち上げるだけなので簡単で、幼子以外ほぼ全ての国民が使えるレベルの魔法である。緊急事態やその他の合図を他の人に知らせる事ができ、色によって使い分けがされており、白ならただの合図、オレンジなら急病人がいる、そして赤だと助けがいるような緊急事態という事になっている。
簡単なので皆に広く知れ渡っているけれど、この魔法の弱点はただ打ち上げるだけなので一回では場所が特定しにくい事があるところだ。だから連発するのが主な使い方で、しかも皆が知っている魔法の為、犯罪者はこの魔法に対する対抗手段も講じているらしいとまことしやかに噂されている。
――緊急用伝達魔法は難しいし、難儀なものよね……。
それでも今は騎士が多く巡回しているので打ち上げさえすれば信号弾でも大丈夫だろう。
「しかしローリーが叫んだらリックさんがすぐ駆け付けそうだよな」
笑いながらアリオンが言った言葉に、兄の行動を思い返す。
……考えると兄の怖い笑顔しか思い出せなくて、苦笑いをした。
「それは……そうかもね」
アリオンが髪を梳いていた手を止めて、額をコツンと合わせた。
「まあ俺もんな事あったらすぐ駆け付けるけどな」
にっと笑ったアリオンは言うと、すぐに離れた。
「!!」
ぎゅっと唇に力を入れる。
「……うん」
その言葉が嬉しくて、笑みを零した。
アリオンは私の返しに笑うと、髪を梳いていた手でもう一度ポンと頭を叩いた。
「明日、メーベルさん達と話すんだろ」
「うん」
「頑張れよ。なんかあったら言え。明日は早番だし、終わったら行く」
優しい言葉と共に紡がれた言葉に焦る。
「あんた早番だったら、朝早いじゃない!早く帰って寝なさいよ!」
失念していた。疲れているはずのアリオンを無理させたい訳じゃなかったのに。会いたいと思ったのはやっぱり私の我儘だったのかもしれない。
不安を覚えて眉を下げると、アリオンの指が私の頬に触れた。
「お前が俺は早く帰って休まないとって、マスターの店でもご飯食べ終わったら急かしたからまだそんなに遅くねえだろ。だから平気だ」
アリオンは優しくそう言ってくれるけれど、それでも不安は尽きない。
――ただでさえ忙しいのに、無理させちゃった気がしてきたわ……。
会いたくてつい行動を起こしてしまったことを後悔してしまう。アリオンも嬉しそうだったけれど……アリオンの身体が心配だ。
そう思って口を開く。
「でも……今忙しいし疲れてるでしょ?やっぱり……呼ばなかった方が」
「ローリー」
アリオンの親指が、軽く唇に触れた。
「!?」
アリオンのその行動に、それ以上唇を動かせなくなってしまった。触れているのはほんの少しだけなのに、アリオンの少し硬い指が分かってしまう。耳まで、熱くなっているのが分かる。
私が黙ったのを確認すると、アリオンはそっと指を唇から離した。
「俺が、ローリーに会いたかったって言ったろ?ローリーに会うだけでも俺は元気が出んだよ。どんなに忙しくても、お前の顔見れたなら疲れなんて吹っ飛んじまう。だから遠慮なんてせずに呼べ」
先程の行動だけでも限界だったのに、拗ねた顔でそんな甘い言葉を言うアリオンに耐え切れなくて下を向いてふるふると震えてしまう。顔だけじゃなく全身が熱くて、きっと真っ赤になっているのが自分でもはっきりと分かる。
頭が、沸騰しそうだ。
「あ……アリオンの、バカ……」
そんな弱々しい悪態しか言えなかった。
「ふっ、ローリー真っ赤ですげぇ可愛い」
「!!」
その言葉に無言でアリオンの胸をいつもより強めに何度も叩く。
「ローリー、俺を呼んでくれるよな?」
そう言ってアリオンを叩いていた手を優しく掴まれた。そして指まで絡められる。しかも両手ともだ。
「あ、アリオン……」
思わず名前を呼びながら顔を上げてアリオンを見ると、灰褐色の目と私の目が合った。その表情は柔らかくて、愛しいものを見つめるような、優しい表情で。
返事を促すように額を合わせられる。
全身が、心臓になったように、バクバクと大きな鼓動が鳴っている。
もう何も、考えられなくて。
「ん……ちゃんと、アリオンを、呼ぶ、から……」
私が答えると、アリオンはとても嬉しそうに笑った。
その笑顔に、また心臓が跳ねた。
「ありがとな、ローリー」
アリオンはお礼を言ってふわりと笑うと、額を離した。少しアリオンが離れると、いつの間にか止めていた息を吸った。
その時。
額に柔らかくて温かいものが軽く触れた。
今、何をされたか分からなくて、働かない頭のままアリオンを見上げた。
アリオンは蕩けるような笑みを浮かべていた。
「ローリー、明後日のデート楽しみにしてっからな」
そう言って絡めていた手をほどくと、頭を優しくポンと一度叩く。
「ほら、家に入れ」
「うん……」
アリオンに促されて扉を開けて家に入る。
「じゃあな、ローリー」
「うん……」
挨拶を交わし終えると私が扉を閉める前に、先程何かが触れた額の前髪を指でつついた。
「額にキスしたの、嫌じゃなかったか?」
はっきりと言ったアリオンの言葉に、一気に耳まで赤くなった。
「……嫌ではなさそうだな」
にっと笑って言ったアリオンの言葉に、口をはくはくとさせる。何も、言葉が出てこない。
頭も、壊れてしまったように動いてくれない。
「じゃ、明後日な。ローリー」
嬉しそうに笑ったアリオンは、そのまま外から扉を閉めてしまった。
パタンと鳴ったその扉にも、アリオンの行動の余韻が残っているように思えて。
私はその場にへたり込んだ。回らない頭で必死に考える。
――……い、今の……わ、私……。
『額にキスしたの、嫌じゃなかったか?』
アリオンの言葉が蘇る。
そして、髪越しに触れた、柔らかくて温かいアリオンの唇の感触を思い出す。
――ひ、額にキス……さ、された、の……?あ、アリオン、に……?
思い出すと、以前少しだけ手に触れたアリオンの唇と同じ温度な気がして。
声にならない悲鳴を漏らしながら、私は鳴り止まない鼓動と一緒に蹲った。




