喧嘩と意地っ張り
「ローリー、そんな怒んなよ」
少し斜め前を歩いているアリオンが、眉を下げながら私の顔を覗き込んでくる。
私とアリオンはマスターのお店を後にして帰っている所だ。今日も自然とアリオンが送ってくれている事には感謝しているけれど、それよりもアリオンのお店を出る時と出た後の所業に怒っているのだ。
私はふいっと顔を背けた。
「アリオンなんて知らないもの」
「そんなん言うなよ。悲しいだろ」
そう少し落ち込んだ声で言われると弱い。けれどアリオンが悪いのだ。
「アリオンが私がお手洗い行ってる間にお会計済ませちゃったのが悪いんでしょ。しかもお金受け取ってくれないし」
今日こそは払おうと思っていたのに、いつの間にか支払われていた。お店の中であんまり揉めるのも悪いので、マスターとリュドさんに挨拶してから退店した。マスターはなんだか苦笑していたし、リュドさんは豪快に笑っていた。
問題はその後だ。またアリオンが私の分を受け取ろうとしなかった。そこから言い争いだ。主に私が言って、アリオンは受け流しているだけだったけれど。こんな風な喧嘩になった事もなんだか悲しくて虚しくなってきたので今は拗ねている。
――私が受け入れればいいのかもしれないけど……!
アリオン相手だと怒ったりすると、やっぱりなかなか素直になれない。
「ローリー、明後日奢ってくれるんだろ?今日ぐらい許せよ」
そう言ってきたアリオンにジトッとした目を返す。
「いつもそう言うじゃない」
言うとまた顔を背ける。
「……ローリー」
アリオンの困ったような声が私を呼んだ。
「何よ」
ムスッとしたままつんとして返すと、アリオンが苦く笑った。
「今日はローリー、リュドさんに奢ってもらってたろ?だから俺も奢りたくなったんだよ。なんというか……負けたくなかった、というかな。だから、悪かったよ」
首の後ろを掻きながらアリオンが言った言葉に、少しだけ溜飲が下がった。
たぶん……リュドさんが言ってた、嫉妬深い、という所なんだろう。少し口元が緩みそうになるけれど、これを許したらまたやりそうな気がするので、なるべくアリオンを厳しい目で見る。
「何それ……わけわかんない。……謝るって事はお金受け取ってくれるの?」
聞くと、困ったように笑った。
やっぱりお金を受け取る気はないらしい。
頬を膨らませて、アリオンを見た。
「……ローリー、また今度奢ってくれればいいよ。いつもそうしてたろ?」
覗き込みながら言ってくるアリオンに、私は溜め息を吐いた。
「そうだけど……最近奢ってもらい過ぎな気がするもん……」
少し肩を下げながら私は言葉を落とす。
すると、アリオンは灰褐色の瞳を私の碧天の瞳と合わせて苦笑交じりに言った。
「俺がお前に構いたいだけなんだよ」
その言葉にパチパチと瞬きをしてから、少し疑わしい目でアリオンを見た。
「……アリオンって貢ぎたい人だったの……?」
私が言った言葉に、楽しそうにアリオンは笑って頷いた。
「はは、そうかもな。ローリー限定だけど」
また、それだ。恥ずかしい言葉だ。
「むー……」
アリオンの言葉が恥ずかしくてそっぽを向きながらむくれた。
「今度はんな事しねぇから。約束する。だから機嫌直してくれよ、ローリー。このままお前ん家着いて別れんの嫌だぞ、俺」
確かにアリオンの言う通り、もう私の家が近い。見慣れた景色になってきている。
「……アリオンが悪いのにー……」
不貞腐れながら言うけれど、私だってアリオンと喧嘩したまま別れるのは嫌だ。
それに、約束してくれたからきっともう大丈夫だ。そう思って、ちらりとアリオンを見た。
「ん、俺が悪いよ。でも、お前がまた奢ってくれるって事は……また一緒にご飯や飲みに行くって事だろ?約束してるみてぇで、俺は嬉しいんだよ」
きゅっと唇に力を入れた。私もさっきデートの事で同じ様な事を思った。
「……屁理屈……」
さっきまで不貞腐れていた私が口に出すのは、そんな可愛くない言葉だ。怒っていたところから、なかなか素直になれない。
――同じ考えだって知れて、嬉しいのに……。
そうしていると、見慣れた自分の家まで着いてしまった。途端、私は眉を下げてしまう。
「ローリー、ほら、家……着いちまった。このまま帰りたくねぇんだけど」
玄関の前でアリオンが、私と目を合わせて寂しそうに言う。ぎゅっと自分の手を握り締めた。
――私だって、アリオンとこのままは嫌だもの……。
すうっと息を吸ってから、吐いた。
「……わかったわよ。次は私が奢るから。私が奢る前に奢ろうとしたら、二回目のデートも私持ちね?」
そうやって笑って宣言する。
アリオンは少し口端を引き攣らせた。
「うっ……嫌な所ついてくるな、お前……」
「ふふふ、アリオンが悪いもの」
そのアリオンの悔しそうな言葉に思わず笑みを零した。
私の笑みを見ると、アリオンは安心したように笑って言った。
「そうだな……俺が悪いよ」
アリオンの言葉と表情に、流石にバツが悪くなった。
アリオンのコートの端を少しだけ掴む。
「アリオン……あの、私も……意地張って、ごめんね……」
顔を俯けて素直になれなかった事を謝る。兄相手でもそうだけど、つい意地を張ってしまう事があるのが私のいけないところだと思う。
アリオンは優しく笑ってくれた。
「意地張ったのは俺もだよ。だから謝んなくていい、ローリー」
アリオンがコートを掴んだ手を包むようにしながら言ってくれる。
アリオンの大きくて温かい手を感じながら、私は包んでくれていたその手を握った。
握り返してくれた手に笑みを零しながら、アリオンを見上げてお礼を言う。
「うん……ありがとね、アリオン。……奢ってくれて」
「ん。どういたしまして」
アリオンは頷いて、優しく目を細めて笑った。
優しく繋いだ手を握り直してくれる。
「ローリー。俺、今日会えてすっげぇ嬉しかった。マスターの店に行ってくれて、呼んでくれて、ありがとな」
嬉しさが溢れたような笑顔に、心臓が、ぎゅっとなる。
――やっぱり、コロッといってもおかしくない……甘さよね……!
リュドさんの言葉を思い出しながら、必死に耐える。アリオンの事を、ちゃんと好きにならないといけないのだ。
――コロッとは……駄目……!
それでもアリオンの嬉しそうな笑みを見ると、自然と口端が綻んだ。
だから、今日聞いた嬉しかったことをアリオンに問い掛けてみる。
「アリオン、会えない間私の事、すごく気にしてたんでしょ?」
私がそう聞くと、アリオンは少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「お前なんで知ってんだよ……。……って、あー……ユーヴェンか」
すぐに思い当たったのだろう。恐らくユーヴェンにしか言っていなかったのだ。
ふふふ、と笑みを漏らす。
「うん。今日帰りにユーヴェンに会ってね、聞いちゃった。ふふ、その時ユーヴェンったらアリオンみたいに私を家まで送ろうかって言うんだもん。ちょっとびっくりしちゃった」
私の言葉に、アリオンは少し目を細めて面白くなさそうな顔をした。
「……へぇ……」
あまり感情が籠もっていない声に、むず痒くなる。
きっと、これも嫉妬だ。
だから、苦笑交じりにちゃんと答える。
「断ったわよ?ユーヴェンは今日、フィルくんとノエルくん迎えに行く日でしょ?それにマスターのとこに行こうと思ったから、いつもの別れ道までは一緒だったけど。それで、そんな事言い出したのはアリオンがすごく気にしてたからって言ってたわよ」
別にユーヴェンだって、アリオンがすごく気にしていなければ、まだ早い時間帯だったし家まで送ろうかなどと言わなかったはずだ。どれ程アリオンは私の事を気にして言っていたのだろう。
それを考えるとおかしくて笑ってしまった。
アリオンは眉を寄せたまま難しい顔をしている。
「……あー……ったく!」
そうやって声を上げたかと思うと、髪をぐしゃぐしゃと搔き回した。
「どうしたの、アリオン?」
その仕草に目をパチパチとした。
すると、灰褐色の瞳がこちらを向く。その顔は難しいままだ。




