一つずつの思い出
アリオンは二人の声は気にしていないのか、目を細めて私を見たままだ。言葉を紡いでいくアリオンは、まるで会わなかった三日を埋めるようで。
繋がれた手を親指で優しく撫でられる。
「俺、ずっとローリーに会いたかった。三日だけなのにな。会いたくて堪んなかった」
「アリオン……」
その言葉に、アリオンの愛しげに私を見る表情に、心臓が、鳴った。
どう返していいか分からずに、アリオンの名前を呟く。
「この前の弁当もありがとな。すっげぇ美味かった」
「ふふ、ならよかったわ」
アリオンの言葉が嬉しくて、思わず笑みを零す。
それに対して、ふわりと優しくアリオンは微笑んだ。
「……ローリーは、やっぱり綺麗で可愛いな」
「!ば、バカ!な、なんでこんなとこで!」
マスターとリュドさんがいる前でそんな事を言うなんて、恥ずかしくて思わず重ねていたアリオンの手を叩いた。
アリオンはそれににっと笑って、ぐっと握っていた手に力を籠めると、少しだけ顔を近づけた。
「二人きりになったらもっと伝えっけど?」
「!?」
小声で言われた言葉にカッと全身が赤くなった感覚がする。
アリオンは言い終わるとパッと握っていた手を離した。
「ふっ、ローリー……すげぇ可愛い」
そんな私を見て蕩けるように笑うアリオンに、私は恥ずかしさに震えてしまった。
「あ、アリオンのバカ!」
アリオンの腕を叩く。
「マスターもリュドさんも知ってんだしいいじゃねぇか」
悪びれずに言うアリオンに顔を真っ赤にしたまま更に叩いた。
「よ、よくない!」
そこに苦笑交じりのマスターが、アリオンに飲み物と料理を差し出す。私にも出されたマスターとリュドさんのオススメだ。
「ブライトさん、こちらどうぞ。あまりガールドさんを困らせてはいけませんよ」
そう言ってくれるマスターが救いの神のように思えた。
からかわれる事もあるけど、やはりマスターは頼りになる。
「マスター、ありがとうございます。はは、気をつけます。どうも浮かれちゃってて……しかも三日ぶりに会えたのがすげぇ嬉しくって……」
首を掻きながら少し恥ずかしそうに頷くアリオンを見ながら、いつの間にか詰めていた息を吐く。
アリオンの言葉も行動も甘過ぎて、頭が混乱してまともに考えられなくなってくる。
「見ていれば分かりますよ。しかしこうまではっきり仰るようになるとは……私も想像できませんでしたねぇ」
マスターはなんだか感心した様子だ。
「こりゃ見てたら砂糖吐きそうなぐれぇだぜ……」
リュドさんは信じられないようなものを見る目でアリオンを見ている。
アリオンはそれに軽く笑った。
「俺はローリーに自分の気持ちをはっきり伝えるって決めてるんで、これぐらいは当たり前です」
その言葉に、告白された時の事を思い出す。あの時はまさかここまでなんて考えてなかった。
「すげぇな……」
リュドさんの感嘆したような言葉に、私はまたも顔を赤くしてしまった。
***
それから料理を食べながら、アリオンとマスター、リュドさんと話していた。
相変わらずアリオンは私に甘い言葉を言ってくる。マスターが最初の方に注意したからか、最初よりはマシだけど、それでも頭がほわほわして仕方ない。
――言われないのも寂しい気がしたけど、ひ、人前でずっとこれは……恥ずかしい……!
「少しお手洗い借りますね、マスター。リュドさん、ローリーに変なちょっかい出さないで下さいよ」
アリオンはお皿を片付けていたマスターと横のリュドさんにそう言いながら席を立つ。過保護だと分かる言葉にまた顔が赤くなった。
――あ、あんまりお酒飲んでないはずなのに……なんかくらくらする……!
「信用ねぇなあ。分かってるって」
リュドさんがそう言うと、アリオンは私に笑って頭をぽんと叩いてから店の奥へ歩いていった。
――い、いちいち甘い……!
リュドさんはアリオンがいなくなったのを確認してから私に感心したような声で告げた。
「……嬢ちゃん、坊主のあの猛攻に耐えてるってすげぇな……。普通コロッといっちゃいそうだぞ、あれ」
その言葉にリュドさんをバッと見て、向いた勢いのまま声を出す。
「や、やっぱりそうですよね!?あんなの恥ずかしがって当たり前ですよね!?」
そう、あんなのきっと恥ずかしくて当たり前で。
やっぱり『普通』はコロッといっちゃうくらい、アリオンの行動は甘くてドキドキするものなんだ。
「お、おう?」
リュドさんは私の勢いに驚いたのか、目を瞬かせながら身を引いた。
そこにお皿を洗っていたマスターが溜め息を吐いて手を拭きながら現れた。
「……リュドさん……」
マスターが呆れた感じに名前を呟く。
リュドさんは少し困った顔をしていたけれど、頭がいっぱいいっぱいになっている私はそのままアリオンの行動を思い出して吐き出すように言った。
「あ、あれでも……まだ……マシで……!ふ、二人になると……もっと……!!」
そう、二人になるともっと好きだとか、愛しいだとか、そんな言葉までかけてくるのだ。
今日は三日ぶりだからかただでさえ甘いのに、さっき言っていた、二人きりになったらもっと伝える、なんて……どうしたらいいのだろう。
アリオンの事を考えようとすると、アリオンの行動や言葉を思い出してしまって、あの甘さにふわふわして、いつもまともに考えられなくなってしまう。
マスターが困ったように笑って、声を掛けてくる。
「……ガールドさん、混乱してしまっていますね」
そのマスターの言葉におずおずと頷く。
「は、はい……混乱……してます……。でも……その……ああいうの嫌ではなくて……い、言われるのは……嬉しいですし……。なんか……言われなく……なっちゃう方が、嫌で……。でも……あんな風だと……正直……まともに考えられ、なくて……ちょっと……困って、ます……」
しどろもどろになって、組んだ手の親指をくるくるさせながら答える。
嫌ではないのに、思い出すだけでいっぱいいっぱいになって。好きになりたいと思っているのに、アリオンの事をまともに考えらない。
「あ、アリオンの仕事で……この三日、会えなかったんですけど……その……会えないのも、なんだか寂しくて……。本当は今日、この店に来たのも……その……あ、アリオンに……会えるかな……って思って……来たんです……」
この会えなかった三日だって、アリオンの事を考えようとしたのに、思い出すとふわふわするのになんだか寂しくて、ただ会いたくなるだけで……結局考えられなかった。
だから、ユーヴェンにアリオンが早めに終わりそうだと聞いて、アリオンに確実に会えそうなこの店に来たのだ。アリオンは私との約束を、必ず守ってくれるから。
マスターとリュドさんは私の様子に驚いたように、目を丸くしていた。
「……なあマスター……これは……」
リュドさんはマスターに少し放心したような声を掛けた。
「リュドさん、それは言っちゃ駄目ですよ。ご本人が気づくべきことです」
マスターは少し咎めるような口調だ。話が分からなくて、首を傾げた。
「いや、わかってるけどなぁ……」
リュドさんはなんとも言えなそうな顔で首を掻いている。
「あの……?」
二人の様子を不思議に思って声を掛けると、マスターが優しく微笑んだ。
「ガールドさん、自分の気持ちも複合術式と同じです。色々な要素が絡み合っているから、複雑に見えるだけですよ。一つずつに注目していくと、意外と単純であったりします」
「意外と単純……ですか……?」
マスターの言葉に、目を瞬かせた。
複合術式の時と同じように、一つ一つ考えていくと意外と単純に思えるという事だろうか……。
確かに今まではずっと、アリオンの事を一気に考えようとしていたような気がする。
「ええ。まずはゆっくりで構いませんから、一つ一つの出来事を思い返して、その時何を思っていたのかを思い出してください。そうして、一つずつ、自分の気持ちを整理していくのが宜しいと思います」
「はい……」
優しく言ってくれたマスターに、素直に頷く。
確かに、私の頭はもう複雑にこんがらがっているような気がする。いっぱいいっぱいになるのは、その証拠だろう。だから一つ一つ思い返して、こんがらがっているものをほどいていくのが、マスターの言う通りいいのだと思う。
そうしてから。
――アリオンを、好きになるの……。
組んでいた手を、握り締めた。ふわりと口元が緩んだ。
「流石マスターだなぁ。アドバイスが板についてら」
リュドさんが大らかに笑いながら言った言葉に、マスターはにっこりと返した。
「長年の経験というものですよ。リュドさんは後でお説教ですけどね」
「え!?なんでだ、マスター!?」
仰天したように言うリュドさんに私も目をパチパチさせる。
「余計な事を仰っていましたのでね。気づくのが遅くなったらリュドさんの所為ですよ」
「え!?」
マスターはリュドさんに冷たい声を浴びせた。
「?何のお話ですか……?」
余計な事とは何だろう。マスターは基本的にリュドさんの発言を遮る所があるから先に遮っていそうで私には分からない。
さっきはマスターに対する余計な言葉の呟きも聞こえてこなかったのに……。
「お気になさらないで下さい。ガールドさんはブライトさんが居ない時に少し考えてみるといいですよ。ブライトさんと一緒だと考えられないでしょう?」
「う……はい……」
マスターとリュドさんのやり取りに頭を悩ませていると、マスターから助言が告げられる。
マスターの言葉通り過ぎて、肩を縮こませた。
――確かにアリオンと一緒だと、いっぱいいっぱいになっちゃうもの……。
「……ブライトさんも少し攻め過ぎですね……。……しかし今更攻めるのを止めたらそれはそれで拗れそうな予感がしますし……。ううむ……なんとも難儀な……」
マスターは何やらブツブツと呟いているけれど、少し遠いので聞き取れなかった。近くにいるリュドさんは聞き取れていそうだ。
「マスターが悩むなんて珍しいな……」
リュドさんが驚いた声でそう言う。
マスターは悩んでいたのか。確かにマスターはすらすらと助言をしたり、物事を教えてくれるので悩む様子は珍しいと思う。
「人は悩む生き物ですよ、リュドさん。リュドさんはもう少し考えて下さいね」
「俺がなんかやらかしちまったのはわかったよ、マスター……」
マスターの棘のある言葉がリュドさんに降り掛かった。リュドさんは苦笑交じりに頷いている。
――リュドさん自身も気づいてなかったのね……。
それなら私も分かりそうにない。リュドさんは話しているとかなり頭の回転が早くて、色んな経験をしている人、という印象だった。
「ほっほ。あとでじっくり教えて差し上げますよ」
「恐怖しか感じねぇな……」
朗らかに笑ったマスターに、リュドさんは引き攣った笑いを返していた。
……やっぱりマスターには、誰も敵いそうにない。
 




