兄の同期
ギィンッ!ガッ!
朝の冷たい空気の中に、剣戟の音が響く。
私は兄がアリオンに稽古をつけているのを、訓練場の休憩所にあるベンチに座って眺めていた。
兄とアリオンの剣が交わって音を立てる。
「ここで引かない!」
「っ……!……はい!」
アリオンは押されながらも兄の言う通りに引かずに鍔迫り合いをする。
兄はそれに満足そうに笑った。アリオンはぐっと剣で兄を押していく。
体格はアリオンの方が有利だから今の所は優勢のように見える。
「ほら、ここからどうする?」
「っ!」
余裕がある兄の声掛けに、余裕がないアリオンは返事はせずにそのまま行動で示そうとしているようだ。
ぐっと力を入れて兄の剣を振り払った。兄が振り払われた反動で体勢を崩した所を狙って、アリオンが踏み込む。
その時、私の位置から口端を上げる兄が見えた。
――お兄ちゃん、すごく機嫌がいい……。
アリオンが上段から斬り掛かると、兄は剣でそれを受け、そしてアリオンの剣を起点にして、受け流しながら体勢を整える。
気づいたアリオンが剣を引くけれど、兄が体勢を立て直す方が早かった。そしてそのまま流れるように剣をアリオンの首元へと向ける。それに対してアリオンはピタッと止まった。
「はい、終わり」
「はい……」
兄が声を掛けると、荒く息をしながらアリオンが返事をした。
――お兄ちゃんってこうして見ると、やっぱり隊長職をしてるだけあって強いのね……。
アリオンからなんとなくは聞いていたけど、そういった兄の姿を見たことがなく、いまいち実感もなかったけれど……。
この前と今日見ているアリオンと兄との稽古で、兄の動きが凄いことが素人目に見てもわかってしまった。
「途中までは良かったけどね、もう少し早く反応して剣引かないと駄目だねー」
兄は少し機嫌が良さそうにアリオンに注意をする。アリオンは息を整えながら頷いていた。
「はい、わかりました」
兄はアリオンの言葉に頷くと、訓練場の入口付近を見た。そこには背が高くがっしりした体格で、隊長職の制服を着た人が見えた。
「うん、ちょっと休憩しようか。……邪魔者も来たしね」
そう言ってアリオンに声を掛けた。アリオンも兄が見ている方向を見て、はっとしたような様子になる。
私はタオルを持って行った方がいいのか少し悩む。隊長職の人が来たという事は兄に伝達事項があるのだろうし、邪魔をしては悪いかと考えて、結局その場に留まった。
「リック!」
大柄な隊長職の人は大きな声で兄を見るとその名を呼ぶ。やはり兄に用事のようだ。
「ハーヴィー、どうした?」
兄がそうやって応える。名前を呼んでいることからそれなりに親しいのだろうと想像がついた。
「ああ、ここで訓練をしていると聞いてな。少し話がある」
「……ああ、わかった」
兄は真剣な様子で頷く。少し、空気がひりついた気がした。
ハーヴィーという名の隊長の目が兄の傍にいたアリオンへと向く。アリオンはその視線を受けると、背を伸ばして挨拶をした。
「グランドン隊長、おはようございます!」
アリオンが呼んだ名前は、この前ユーヴェンが言っていた……確か第二師団五番隊の隊長だ。それにその名は兄からも聞いたことがある。確か同期だと言っていたように思う。流石に兄が呼んだ名前までは知らなかったけれど。
「ああ、おはよう。……そうか、リックのお気に入りの隊員というのは君か、アリオン・ブライト」
グランドン隊長のその言葉にアリオンが一瞬止まったのがわかった。
次の瞬間。
「はい!?」
素っ頓狂な声を上げてアリオンが聞き返した。
私も初めて聞く話に目を瞬かせた。
――確かにお兄ちゃんはアリオンを気に入ってるんだろうな、とは思っているけど……なんだか……。
「なんかその言い方、僕嫌なんだけど……」
兄が嫌がりそうだと思っていたら、正に本人がとても嫌そうに言った。
――……それに私も少し……面白くないのよね……。
「言われている噂そのままだぞ」
グランドン隊長が淡々と答えると、兄は息を一つ吐いた。
「……ちょっと矯正しなきゃかなぁ……」
兄の地を這うような声に、アリオンの肩が少し揺れたのがわかった。
……正直私も怖い。兄は私に甘いので、昨日みたいに説教されることはあっても本気で怒られた事はない。
――アリオンからお兄ちゃんは厳しくて有名だとは聞いたことがあったけれど、目の当たりにするとは思わなかったわ……。
アリオンを指導している時だって怒ったりすることはなかったのだ。
そんな兄に、グランドン隊長は溜め息を吐いた。
「はあ……お前はそんな事をするから、部下から怖がられるんだ。それで一人の隊員によく稽古をつけているとなればそんな噂になるのは道理だろう」
呆れたようにグランドン隊長は兄に対して突っ込む。兄は肩を竦めてから悪びれる様子もなく話す。
「僕の稽古にちゃんとついてきてくれるのアリオンくんしかいないから仕方ないじゃないか。ついてきてくれない他の隊員が悪いね」
「お前がまず稽古をつける隊員自体が少ないじゃないか」
兄に遠慮なく話すグランドン隊長は、そんな兄の様子に慣れている様子だ。兄から同期だと私が聞いているぐらいだから仲が良いのだろう。
「僕お前みたいに博愛主義じゃないからね。見込みあるやつじゃないと稽古しないよ」
「全くお前は……」
そう言ってまた溜め息を吐くグランドン隊長になんだか申し訳なくなってくる。
――グランドンさんの言い方聞くと……なんかだいぶお兄ちゃんが迷惑かけてる気がする……。
「それより話があるんだろ?早くしなよ。お前が直接来たって事はそれなりの事だろ」
兄がグランドン隊長を促すと、グランドン隊長はアリオンを見る。
「ああ……」
「この場では話せないなら移動するけど」
その視線にアリオンが反応しようとすると、兄が先に答えた。
「……ブライト、お前も聞け」
「自分も、ですか?」
グランドン隊長の言葉にアリオンが驚いた声を返す。見習い騎士の自分に声がかかるとは思っていなかったのだろう。
「なんなの、ハーヴィー。まだアリオンくんは見習いだけど」
そんなアリオンを庇うように兄がグランドン隊長に詰める。
グランドン隊長はそんな兄をちらりと見た。
「お前が稽古をつけてるのなら、それなりに使えるのだろう?今度の件では見習い騎士であっても声を掛けたいと考えている。もちろん選別はするが」
聞こえた話に緊張する。それはきっと、普通ではない、事で。
兄もアリオンもそういう仕事をしていると、ちゃんと分かっていたはずなのに、少し、不安になってしまう。
兄は溜め息を吐いてから、グランドン隊長を少し厳しい目で見る。
「はあ……なるほどね。だからわざわざここまで来たのか。僕が稽古をつけている隊員を自分の目で確かめる為に。仕方ない……わかったよ。ただこのまま話をするのは待ってくれる?先にアリオンくんにはローリーを魔道具部署まで送ってもらう。アリオンくんには僕から言うようにするよ」
兄がそう言うので、少し焦る。慌てて立ち上がって兄達の下へと駆け寄る。
アリオンがふとこちらを見て苦笑した。恐らく送って行くから気にしなくていいのに、と言われそうな気がする。
今兄達がいる所は、隊長二人がいるからか朝練にちらほらと来ている人達からだいぶ注目されていた。話の内容が聞こえないぐらいの距離からだけど、その場に行くと私も注目されそうな事に少し不安を覚える。
けれど、だからと言って話があるというのにわざわざ王宮内で送ってもらう必要などない。
今はまだ朝練でも早めの時間だ。問題の人達が来る可能性は少ないだろう。
向かっている間にグランドン隊長が首を傾げて兄に問うていた。
「ローリー?ああ、お前の妹か」
そうグランドン隊長が言うと、向かっている途中の私をちらりと見た。ぺこりと頭を下げる。
と、同時に兄がグランドン隊長の首元に模擬剣を向けた。
「ハーヴィー、お前に妹の名を呼ぶ許可を与えた覚えはないけど?」
「お前は相変わらず妹を溺愛しているな……」
そんな会話をしているので恥ずかしくなって、焦りながらその場へ着くと同時に、兄を叩くようにタオルを押し付けた。
「ち、ちょっとお兄ちゃん!何を言っているのよ!あの、初めまして。ローリー・ガールドです。兄がいつもお世話になってます」
グランドン隊長にきちんと頭を下げて言う。
兄は私が押し付けたタオルをありがとうと笑いながら受け取ると一緒に剣を下ろす。
「世話になってるのかなぁ」
「お兄ちゃん!」
どうみても迷惑をかけて世話になっているような気しかしなかった。私が咎めるように声を出すと兄は肩を竦める。
グランドン隊長はその兄の様子に苦笑交じりに挨拶を返してくれた。
「ああ、初めまして。ハーヴィー・グランドンだ。……君はお兄さんに似ず、ちゃんとしているね……」
なんだか実感の籠もった感じの声に、更に申し訳なくなった。
「えっと……あの……兄がすみません……」
なのでそうやって思わずグランドン隊長に対して謝ると、兄が憮然とした様子で突っ込んできた。
「ローリーが謝ることじゃないよ、ハーヴィーが余計な事言うのが悪い」
「お兄ちゃんってば!」
更に咎めるように声を張り上げて、兄の腕を叩く。
グランドン隊長は肩を竦めてから兄の言葉に頷いた。
「こいつの言う通り君が謝ることじゃない。こいつの行動や言動は誰のせいでもなくこいつ……リック自身の責任だからな。それに昔からこいつは君の事になると見境がなくなるのはいつもの事だ」
グランドン隊長の言った言葉に、少し気持ちは軽くなったが更に申し訳なさも湧く。
「う……はい……。……ありがとうございます……。あ、あの、お話があるならその、私は一人でも魔道具部署に行けますので……」
少し迷った結果、謝るのも良くないと考えてお礼を言う。それと一緒にここまで来た本題を切り出すと、グランドン隊長は首を振った。
「それをやるとこいつに恨まれそうだから大丈夫だ。私も君がいると思っていなかったから、ブライトにも聞けと言っただけだからね。リックの言う通りブライトに送ってもらうといい」
「そうだよ、ローリー。ハーヴィーもこう言ってるし、気にせずにアリオンくんに送ってもらいなさい」
兄もグランドン隊長もそう勧めてくる。
「で、でも……」
それでも申し訳なくてちらりとアリオンを見ながら思わず声を出すと、アリオンは私の顔を見て笑った。
「リックさんもグランドン隊長もそう言ってるし、ローリーも気にすんなよ。ちゃんと送ってやるから」
そう言ってくるアリオンは優しく目を細めていて、譲る気など一つもなさそうだ。
こうなると私も弱くて、アリオンの言葉に頷いた。
「うん……」
送ってくれるのは、素直に嬉しい。アリオンに渡さなければいけないタオルを握りしめた。
それにはっとしてアリオンにタオルを差し出すと、アリオンは笑いながらお礼を言って受け取る。
その笑みに自然と笑みが零れた。
読んで頂きありがとうございます。
更新が遅くなりすみません。
この数日は更新が遅くなってしまうかもしれません。
また埋め合わせに2回更新する日を作ろうと思っています。
これからもよろしくお願いします。