伝えたいこと
玄関の扉がパタンと閉まる。もうすっかり暗くなった外の空気は冷えていた。
「ローリーどうした?」
外に出るとアリオンは不思議そうに振り向いて聞いてくる。
私はアリオンをちらりと見上げて言う。
「……もう少し、アリオンと話したかっただけ……」
後ろ手に持っているものをきゅっと握った。
「!!そうか。俺もローリーともう少し話せんの、嬉しい」
驚いたように目を大きくした後、嬉しそうに目を細めてアリオンは言う。
「うん……」
そのアリオンの笑みに嬉しくなりながら、頷く。
アリオンの灰褐色の瞳が、キラキラと光っているように見えた。
「明日朝会えんの、楽しみにしてっからな。弁当も楽しみにしてる」
そう言って、いつものように優しく頭を撫でてくれる。それが、嬉しい。
「ふふ、頑張るわね」
だから私も笑って頷いた。
「ローリーが作ったものなら簡単でも嬉しいからな、俺。明日以降も作ってくれるんなら、無理はすんなよ。駄目そうな時は言え」
アリオンは笑いながらまた過保護な言葉を言ってくる。
せっかくこの前作ったお弁当が簡単過ぎたから意気込んでいるのに、出鼻を挫いてくるアリオンにむくれる。
「むぅ……」
「むくれんな。張り切ってくれんのも嬉しいけど、無理されたらかなわねーからな」
アリオンの優しさだとはわかっているので、仕方なく頷く。
「わかったわよ。でも明日は……頑張るからね」
せめて、明日は頑張らせて欲しい。
「ん。すげぇ嬉しい」
「うん」
頭を撫でていた手が、今度は髪を梳いてくる。アリオンのこの仕草も、心地が良い。
少し梳くと、アリオンの指が髪から離れた。
「アリオン」
「なんだ?」
そう呼ぶと、柔らかい声で返してくれるのはいつもの事で、いつからこんな風にしてくれていたのかも分からない。
喧嘩もするけど、いつもアリオンは私に優しかった。
そのアリオンの首元を見ると、昨日と同じで今日も何も巻いていない。
「あのね、ちょっと屈んで?」
そうアリオンにお願いをする。
「ん、おう」
少し不思議そうな顔をしながらも中腰になって、私と目を合わせるように屈んでくれる。
「んっと」
後ろ手に持っていた、昨日貸してくれた紺色のマフラーをアリオンの首に巻こうと腕を伸ばす。そうすると、アリオンの顔にとても近づいた。
「ろ、ローリー!」
アリオンは驚いたのか身を引こうとするので、思わず後ろまで回していたマフラーを手前に引っ張って止める。
「ちょっと。じっとしててよ」
ジト目で見ると、アリオンは少し顔を歪めながらもピタッと止まった。
「ぐっ……」
アリオンの頬が少し赤い気がして、口元が緩んだ。
そうして私はそのままマフラーをくるりともう一周回して巻き終える。
橙色に近い茶髪の髪が、少し手に触れてこそばゆかった。
「うんしょっと。……うん、巻けた。もういいわよ」
そう言ってマフラーから手を離すと、アリオンが屈めていた体を起こす。
「昨日のマフラーか」
アリオンはマフラーを触りながら呟く。
「うん、返し忘れてたから」
パチパチと瞬きをしているアリオンを、微笑んで見ながら頷く。
「……にしてもわざわざ巻かなくても……」
アリオンが少し恥ずかしそうに頭を掻きながら言うので、覗き込みながら笑って言う。
「巻きたい気分だったのよ」
「……ん、そうか。ありがとな」
アリオンは恥ずかしそうに笑ってお礼を言ってくれた。
「うん。私の方こそありがとね、アリオン」
今日、ちゃんとお礼をアリオンに言っておきたかったのだ。
「うん?」
アリオンは何のことか分からなかったのだろう。少し首を傾げた。
「昨日、アリオンが私の話を聞いてくれたから今日普通でいられたわ」
そう言って笑うと、アリオンも優しく笑って返してくれた。
「そうか」
「それにね……私が泣いてる間、アリオンがずっと傍に居てくれたのが、心強くて温かった。……そんなアリオンの気持ちを聞いて、すごく嬉しかったの。だからね、あんなに泣いたのに落ち込んだままじゃなかった」
アリオンのずっと傍に居てくれる優しさが。アリオンの気持ちと想いが、温かったから。
私は今も前を向けているんだと思う。
「ローリー……」
アリオンが少し堪えるような声で、私の名前を呼ぶ。
「アリオン、ありがとう」
自然と笑みが溢れながら、アリオンへと言葉を贈る。
アリオンも破顔して、また頭を撫でてくれる。
「いいよ。お前がそうやって笑ってくれんのが、一番嬉しい」
撫でてくれる大きな手は、温かくて、優しい。
「うん、ありがとう」
「ん」
優しく頷いてくれるアリオンを見て、思わず言葉が零れる。
「私、早くアリオンを好きになりたいな……」
アリオンのコートをきゅっと摘む。
「俺はローリーがそう言ってくれんのが、何より嬉しい……」
アリオンの手がそっとコートを掴んだ私の手を取ってくれる。その手はとても優しく私の手を包んだ。代わりに頭を撫でていた手は髪を梳いて離れていった。
それが少し寂しくて。
「……あのね……アリオン。……付き合ったら……今日以上に触ってくれるの?」
「ごほっごっほっ!お、お前、な、何、言ってんだ!?」
恥ずかしいながらも気になっていた事を聞くと、アリオンは盛大に噎せて顔を真っ赤にした。
その様子に少し目を逸らす。
「……これ、駄目なやつ……?」
今日されたばかりのお説教を思い出してアリオンに聞く。
「……おう、そうだな……ちょっと、それは……やめろ。本気で」
ものすごく真面目な声と顔で言われたので、ちゃんと頷く。
「う……わかったわよ」
ちょっと申し訳なく思いながらも、答えを聞きたかったのにな、と少し残念に思った。
その時アリオンが、顔を背けた上に片手で顔を隠しながら、小さな声で呟く。
「……付き合ったら……そりゃ……付き合う前、以上の事は……す、する、から……」
その言葉に嬉しくなって、繋いでいた手をきゅっと握った。
「!ふふ、うん!」
頷くと、アリオンも手を握り返してくれる。
「……なんで俺は自分で自分の首を絞めてんだ……」
ポツリとアリオンが呟いた言葉に首を傾げると、大きく溜め息を吐いてなんでもねぇよと言った。
顔を隠していた手を離してアリオンがまた私の方を向く。
「ね、アリオン。私お礼したい」
そのアリオンにそう話し掛けるとアリオンは不思議そうな顔をした。
「?何のだ?」
アリオンは自分はすぐにお礼とかしてくる癖に、私がアリオンのした事に対してお礼をしようとすると、別にいいよ、とか言ってくるようなやつだ。
だからきちんと言っておかなければ。
「色々!昨日話を聞いてくれたのと、奢ってもらったの、今日保管庫まで資料持ってくれたのとか、お願い聞いてくれたのとか、兄妹喧嘩収めてくれたのとか!」
言い連ねるとやはりとても色々としてもらっているので、お弁当だけではお礼は足りないように思う。
「別にいいよ、んなの。今日晩御飯ご馳走になったし、明日からは弁当作ってくれんだろ?それで十分。それに保管庫のやつはユーヴェンも手伝ってたじゃねぇか」
やっぱり言ってきた。
ちゃんと後でお礼を受け取らせるように言質をとっておかなければ。
とりあえずユーヴェンの事に関しては返しておこう。
「ユーヴェンはカリナと二人っきりにしてあげたんだからいいでしょ。それに、ユーヴェンのことまだ許してないわよ?」
にっこり笑って言う。
あいつが今日カリナに対して何か言ったか、何かした事に関して許してない。大体ユーヴェンは接する距離が近かったり真っ直ぐ言い過ぎなのだ。男性に慣れていないカリナだと言う認識を私がいない間ちゃんと考えていたのかすら分からない。
「……お前メーベルさんの事、かなり好きだよな……」
アリオンが苦笑交じりに言った言葉にふふっと笑う。
「大切な友達だもの」
そうちゃんと胸を張って、昨日程自分を責めずにこんな風に言えるのは、アリオンのお陰だ。
それを思うと、更に笑みが零れた。
「まあユーヴェンも悪気あった訳じゃねぇから……。あの後も落ち込んでたしな……。……俺はローリーから言われた事で浮かれちまってたから悪い事しちまったような気がするが……」
アリオンは私の言葉に優しく笑ってから、ユーヴェンを庇う。
その言葉に眉を寄せながら返す。
「アリオンは悪くないわよ。ユーヴェンが今回は悪いの。悪気がなかったからって許される事と許されない事があるじゃない。たぶん今回のは許されない分類よ。あいつが無自覚なのが悪いの!」
あのカリナの反応はきっとユーヴェンの無自覚さがもたらした結果だと思う。
――だって私にも覚えがある反応だったもの。
私が気づく要因になったアリオンを見ると、目を瞬かせている。
「?室内に男性と二人っきりなのが駄目だったんだろ?それは知らなかったら流石に……」
「私の勘では違うのよ!ユーヴェンの無自覚さからなの!」
アリオンの言葉を遮って言う。ほぼ確信している。
――カリナの言い方だとカリナ自身も気づいていないかもしれないけれど。
「そうなのか?……でも、無自覚具合ではお前も人の事言えねーぞ」
アリオンが不思議そうに聞いてきた後に付け加えられた一言が信じられなくて声を漏らした。
「え!?」
――私とユーヴェンが同じ無自覚具合だって言うの!?
「だってお前無自覚バカだから」
確かにアリオンから何度も言われているが、ちゃんと教えてもくれないので少し睨みながら言い返す。
「だから何なのよ、それ!」
「はは!でもローリーがそう言うって事はあれか?ユーヴェンが何かしたか言ったかしたって事か?」
楽しそうに笑って話を元に戻してくるアリオンに、口を曲げながら答える。
「たぶんそうだと思うわ」
「よく気づくよな、お前。自分の事は無自覚なのに」
感心したように言ったアリオンの言葉に余計なものがついていたのでむっとする。
「一言余計!何が無自覚なのか教えてよ!」
私がそう言うと、アリオンは少し困ったように眉を下げた。
「あー……まあ、追々?」
その顔のまま苦く笑う。今日の分かられても困ると言っていた言葉よりは進展しているが、すぐには教えてもらえそうにないことに頬を膨らます。
「むー……」
「んな顔すんなよ」
アリオンは言葉と共に頬に触れてくる。少し今までと違う、兄が言った多少、を意識してくれている触れ方に、頬が緩んだ。
「うん……。ね、何でもするから、お礼したい……」
その触れ方に素直に頷くと、少し気持ちが緩んでアリオンにお願いする。
アリオンはその言葉と同時に溜め息を吐いた。
「……ローリー、その言葉も駄目だぞ、お前……」
私の頬に触れていた手を離して額を抑えながら言う。
目をパチパチさせて思わず聞く。
「アリオンなのに駄目なの?」
そう言った所で、この言葉も止められていた事を思い出した。
アリオンは更に深い溜め息を吐いた。
「……うん……その言葉も駄目だからな、お前……」
二連続の溜め息に少し申し訳なくなりながら、もう少し気を付けようと考える。
――ユーヴェンと同じレベルは嫌……。
そんな事を考えながら、許される範囲を考えてから聞く。
「……お礼、しちゃ駄目?」
大丈夫か少し不安になりながら首を傾げて聞く。
今度はアリオンも優しく頷いてくれた。
「んな事はねぇよ。嬉しい」
「ふふ、よかった。じゃあ何がいい?」
頷いてくれたことに嬉しくなりながら聞いてみる。
「あー……じゃあ、昨日言ってた美味いもん一緒に食いに行ってくれたらいいよ」
そう言ったアリオンに私はピタッと笑顔が止まった。この感じは以前に覚えがある。
だからジト目でアリオンを見た。
「……アリオン、それ奢るつもりでしょ?」
アリオンは少し目を逸らすけれど、恐らく言い逃れができそうにない事に気づいたのだろう。観念したように苦笑した。
「……よく気づくなお前……」
そのアリオンの言葉に眉を寄せて睨む。
「昨日美味しいもの奢るって言ってたもの!それでこっちの約束のが先とか言うつもりでしょ!」
以前もされた事を思い出しながら詰め寄る。
「よくお分かりで……」
アリオンは顔を逸らしながら呟く。
「何年あんたといると思ってんのよ!お礼するからって私が言って、それを時々やられてたこと忘れてないわよ!」
アリオンとの約束と、私がお礼すると言った事が被った時にこいつはそう言って結局私にお礼はさせてくれないのだ。お礼はと言うと、俺との約束守ったからそれでいいとか宣う事が何度かあった。
「覚えてたのか……」
失敗したというように眉を下げるアリオンを覗き込む。
「覚えてたわよ!しかもあんたのずるい所は忘れた頃にそれをやってくるとこよ!」
ビシッと人差し指でアリオンをさしながら言い逃れられないように目を合わせる。
「手口までバレてるとは……」
「バレてるわよ!あんた私にあんまり嘘とか吐かない割には言葉巧みにお礼を受け取るとか言わないんだから!お陰で押し付ける方が主流になっちゃうし!今度こそは騙されないんだからね!」
アリオンの全然悪いと思ってない言い様に厳しく糾弾する。
「怒んなって。悪かったよ」
笑いながら言った謝罪の言葉にむっとして突っ込む。
「全然悪いと思ってないくせに。ガラス瓶の飴くれたお礼もしたいんだから!ちゃんとお礼受け取りなさい!これは決定事項なの!」
今回はアリオンの希望を聞いてお礼をしたい。
アリオンの欲しいものをお礼としてちゃんと贈りたいと思った。
「わかったよ。ありがとな、ローリー」
観念したように頷くアリオンに嬉しくなる。
「ふふん。わかったならいいのよ」
ちゃんと言質がとれたことにほっとして笑みを漏らすと、アリオンは仕方ないように微笑んだ。




