触れる
家にまで送ってくれたアリオンにお礼を言ってから今日の朝に考えていた事を思い出す。
アリオンを好きになるのに、思いついた事。
――恥ずかしいけど、言ってみよう、かな……。
「アリオン、あのね……」
「どうした、ローリー?」
アリオンが優しい笑顔で聞いてくれる。それに勇気をもらいながら、言葉を紡いでいく。
「あの……その……アリオンを……好きに、なれるように……その……どうしたらいいか、考えたんだけど……」
私がそう言うと、アリオンは柔らかく微笑んだ。
「そうか、ありがとな。嬉しい。そんで、何か気になることでもあったか?」
ふわりと頭を撫でられながら聞かれたことに、きゅっと唇に力を入れた。
一度深呼吸をして、アリオンを見上げる。
「あのね……その……アリオンにね……もっと……触って、ほしいの……」
「……は?」
アリオンは一言だけ声を漏らすと、笑顔のまま固まった。撫でられていた手も止まっている。
たぶんこんな事を言ったから驚いたのだろう。
少し顔に熱が集まっていくのを感じながら、必死に続ける。
「あ、アリオンいつも……私に、許可、取ってから……触って、くるけど……その……そんなに、許可取らなくても……アリオンなら……その……いくらでも、触って」
「ローリー!それ以上喋んな!」
「え?」
アリオンは突然大声を上げて私の言葉を遮った。なんか昨日も同じような事があった気がする。
そしてその時なぜだか怒られて……と考えてアリオンを見ると、また赤くなってわなわな震えていた。
「お、お前な!いくらなんでも無防備過ぎだろ!?お前は俺の理性をわざわざぶっ壊そうとしてんのか!?」
「えっと……?」
昨日もアリオンの事を信じてるって言ったのに、なんでそんなに怒っているんだろう。
私はただ、アリオンを早く好きになりたいと考えて、思いついた事を言っただけなのに。
「いくら、いくらなぁ、俺がちゃんとするっつってもお前がんな事言っちまうと、お前が変に頷かないように俺が何も言わねーようにしてる意味がねーんだよ!俺を信じてるって言っても限度があるだろ!なんで、お前は俺にんな事言っちまうんだ!?」
信じるって事に限度なんてあるのだろうか。昨日は信じてくれてありがとうと言ってくれていたのに。
アリオンに怒られていることに少し悲しくなりながら答える。
「だって……アリオンを好きに……なりたいから……」
「うぐっ……!な、なんでそれが、お前に……さ、触るって、話しになんだよ」
アリオンは片手で顔を隠してから聞いてくる。
「だ、だって……」
そういえば、なんて言えばいいんだろう。ユーヴェンがよく触ってきてたから、なんてあまり言いたくない。
いい理由が思いつかなくて、ふいと視線を逸らす。
それを、アリオンは鋭く見ていた。顔を覆っていた片手で髪を掻き上げると、いつもより低めの声で呟く。
「……あー……なるほどな。ユーヴェンはお前に軽々しく触れてたもんな」
「あ……」
あまり言いたくなかったことを当てられて、眉を下げてアリオンを見る。
「なんか、ユーヴェンと一緒の扱いされんのは気に食わねぇが……」
そう言うアリオンは少し機嫌が悪そうで、どうしたらいいのかわからなくなる。
アリオンのコートの端を摘んで言う。
「そ、そんなつもりは、ないのよ?」
否定してみるけれど、機嫌が直った様子はなく、灰褐色の瞳が少しだけこちらを向いた。
「まあ、お前だってユーヴェンが初恋だもんな。俺はローリーが初恋だけど」
「!」
アリオンの言葉に顔が真っ赤に染まった。アリオンに恋愛遍歴を知られてしまっていることが恥ずかしくて、それでいてアリオンの私が初恋だとの言葉に嬉しいような恥ずかしいような思いが渦巻いて。
そんな私の様子を眺めていたアリオンは、見透かすように私を見据えた。
「だから俺とユーヴェンを比較してどう違ったのか考えたんだろ?それで、『触って』、な訳だ」
見据えたまま言うアリオンの瞳にはいつもの優しさが見えなくて、不安になる。
――アリオン、怒ってるのかな……。
そう落ち込んでいるとコートを摘まんでいた私の手をアリオンの手が掴む。
「あ、アリオン……」
強い力で握られているわけじゃないのに、なんだか昨日の握り方とは違っている。
アリオンは灰褐色の瞳を私の青い瞳に絡めた。
「ちょっと家、悪いけど入るぞ」
「うん……」
アリオンが聞いてきた言葉に頷くと、アリオンが私の家の玄関扉を開けて中に入る。手を握られている私も一緒に入ってから、玄関の扉がパタンと閉まった。
扉が閉まると同時に、軽く押されて玄関横の壁に私の背中がつく。アリオンはその私を覆うように腕を壁に着く
「……いいよ、お前に触ってやる。ただ……」
そう言ったアリオンの灰褐色の目には熱が籠もっていて。
アリオンが掴んでいた私の手に指を絡めた。
「アリオン?あ……ん……」
名を呼ぶと同時に、アリオンの大きな手が私の片頬を覆うように触れる。大きくてごつごつした温かい手の感触が、私の顎と頬と、そして耳を覆うように触れたことに思わず声が漏れた。
その声に恥ずかしくなって耳まで熱くなる。アリオンの手も目も、いつもより熱くて。アリオンの表情は鋭くて、そんなアリオンに見つめられながら、これから触れられるのだと思うと心臓が早鐘を打ち始めた。
「……ユーヴェンがお前に絶対しねぇような触り方、してやるよ」
ぐっと近づいた熱を孕んだアリオンの声に、全身が熱くなった気がした。顔がぼやけてしまうぐらいの距離にアリオンがいることに、心臓が大きく跳ねた。
アリオンが私の青い瞳を鋭く射貫きながら、指を絡めている私の手をアリオンの唇の近くに持っていく。そこにアリオンの熱い吐息がかかって、ビクッとしてしまう。
アリオンはそのまま、絡めていた私の指を一つずつ丁寧に大きな指で撫でる。それと同時にもう片方の手で耳も丁寧に指でなぞっていく。そのアリオンの指の感触にぞくぞくしてしまって、どうしたらいいのかわからなくて、アリオンを呼ぼうと声を出す。
「ひゃ……あ……アリオン……」
「……ローリー、俺に触れることを許すってことはな……こんな風にされるってことだ。お前、そうされる覚悟はあんのか?」
低い声で言ったアリオンは、耳を触っていた親指を私の下唇の一部に触れるようにして、唇を閉じるように上へ押し上げる。
先程とは違う箇所に触れられたことに声を出たが、唇を閉じられていた為に言葉にはならず、すぐに離された親指によって唇が開くとそのまま声が漏れた。
「んぅ……あ……」
「……可愛い声だな、ローリー」
熱い吐息と一緒に吐き出される声は、アリオンが掴んでいる私の手にかかった。熱い吐息にふるりと震えてしまう。
「アリオン……ん……」
手を誘導するように掴まれて、アリオンの頬に当てられる。アリオンの少し硬い頬の感触を、手のひらに感じる。アリオンの柔らかい唇が少しだけ私の手のひらにかすったのがわかった。
「ローリー」
更に距離を詰めて、アリオンが私の耳元で囁いた。熱と甘さを孕んだ声で私の名前を呼んだアリオンの吐息が、私の手のひらと耳に触れて、声を上げてしまった。
「ひゃ……」
「好きだ……」
耳元で囁かれた柔らかく甘い言葉に、くらくらする。
「……ん、アリオン……」
心臓が壊れそうなぐらい鳴っているのに、もっと聞きたいと思ってしまうぐらい、その言葉が甘くて優しくて。
言った途端に少し体を離すアリオンが、もどかしくて。
「……ローリー……」
その声は、少し切ないような、耐えるような響きで私の名前を呼んでいて。
きっと、このままやめるつもりなのが分かってしまった。
アリオンの頬に当てられていた私の手が外されて、頬にアリオンの手の感触が分かるくらいに触れていた手も、感触を感じないぐらいに離される。
それが、嫌で。
「はあ……これでわかったろ?だから」
「アリオン、やめちゃ、いや……もっと、触って……」
アリオンが諭すような声色で言おうとしていた言葉を遮った。
アリオンに触れられた箇所が熱くて、ドキドキして、心臓が何度も大きく跳ねて。感じたことがないくらいに顔も体も熱くなって。
この胸の高鳴りをもっと感じていたら、アリオンを好きになれるような気がして。もっと触って欲しいと願った。
「!?」
アリオンは私の言葉に大きく目を見開いた。
「だめ……?」
――アリオンを、好きになりたい。
そんな想いから、アリオンを見上げた。
アリオンの灰褐色の瞳に、私の青い瞳を絡める。
アリオンは一度息を飲んでから、ぎゅっと目を瞑った。
「……!!……っ!!だ、駄目だ!」
ぎりっと歯を嚙み締めた後、アリオンは大きく叫ぶと同時に私から大きく離れた。
「え……?」
アリオンの手が全て離れてしまった事が寂しくて、悲しくなって弱い声が漏れた。
「あー!!駄目だかんな!これ以上は!!」
アリオンはぐしゃぐしゃと髪を掻き回しながら、叫ぶように私のお願いを却下する。
「だめなの……?」
離れてしまった距離を詰めるように近づいて聞くと、アリオンはぐっと眉を寄せた。
「ぐっ……!!っ……!!駄目なんだよ!!分かれ、ローリー!!」
頷いてくれないアリオンに少しだけむくれる。
「だって……」
「だっても何もねぇ!あー!もうわかった!お前に少しでも期待すんのが間違いだった!!俺がしっかりしとかねぇと駄目なんだな!お前俺がお前に甘過ぎって言うけど、お前も俺に甘過ぎなんだよ!少しぐらい厳しくしろ、このバカ!」
アリオンの本気で怒ったような声に寂しくて悲しくなって口を曲げる。
「なによそれ……バカって……」
思ったよりも弱々しい声になってしまった私の言葉に、アリオンは眉を下げた。
「あー、もう落ち込むなよ。……はぁ……多少は……触ってやる、から……。……でもさっきみたいに触ってくれとか言うなよ、お前。んな事言うお前が心配になっから」
頭を優しく撫でて、少しだけ譲歩してくれるアリオンにほっとした。でもアリオン相手に言っているのに、何を心配するのだろう。
「……アリオンじゃないと言わ」
「それも言うな」
また途中で遮られる。その事に頬を膨らましてアリオンを見る。
「むー……」
「ほらむくれんな、ローリー。俺には可愛くしか見えねぇんだから」
困ったような顔をしながら笑ったアリオンの言葉に、少し嬉しくなる。
「うん……」
アリオンに可愛いと言ってもらえるのは嬉しくて、いつもは素直になれずに反論してしまうのに、なんだか今は素直に笑みが零れた。
「はぁ……。俺耐えられんのか、コレ……」
「?」
アリオンが片手で頭を抱えるようにしながら言った言葉に、首を傾げた。
そんな私をじろりと見てくる。
「……この無自覚バカめ!」
突然のアリオンの暴言に目をパチクリとさせる。
「またバカって言った―!」
昨日も言われた同じ言葉に、アリオンを軽く睨む。私もバカだとアリオンに言っているが、あれはアリオンも分かっているように照れ隠しに近い。でもアリオンが言ったこのバカはそういった類ではないことくらいは分かった。
そうするとアリオンはむっとしたような顔で私を見てくる。
「俺の努力を少しぐらい推し量れ!バカローリー!……まあ、分かられても困るんだが……」
「なにそれ?」
推し量れって言うのに、分かられても困るなんてそれではどうしようもない話ではないか。
アリオンは大きく溜め息を吐く。
「分かんなくっていいよ、お前は」
そう言って撫でていた私の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「あ!アリオンなんか撫で方乱暴になってない!?」
いつもは丁寧に優しく撫でてくれているのに。これでは頭が乱れてしまうので、文句が口をついた。
「後で直してやっから、文句言うな!今はこうしたい気分なんだよ!」
そう強めに言うアリオンに口を尖らせる。
「もう、なによそれー」
あとで直してくれるなら、まあいいかなと思ってつっこみながらも大人しく撫でられる。いつもの撫で方も好きだけど、遠慮なく撫でるこの撫で方も結構好きかもしれない。
「はあ……俺ってすげぇ……」
「なんで自画自賛?」
「自分を褒めたい気分なんだよ……」
「ふーん」
不思議なその言動に首を傾げて、なんだか疲れたようにしているアリオンを見ていた。




