保管庫への道
何故か先程より軽いはずなのに、資料が重く思える。気持ち重い足取りで保管庫への道を歩く。
二人は保管庫について、どうしているだろう。ユーヴェンはすぐに戻ったのか、それとも話しているのか。
「……どっちでもいいはずなのに」
ポツリと呟く。
やっぱりまだ気持ちが消えていないのが、重たい気分にさせた。
昨日泣いて、だいぶすっきりしたと思ったのに。
アリオンの想いを聞いて、それに応えたいと思ったのに。
「ローリー」
今しがた思い浮かべたばかりの人物の柔らかい声がした。声がしたと同時に資料が軽くなる。
目の前に現れたのは見慣れた橙色に近い茶髪で、会いたいと思っていた人だった。
アリオンは資料の向こうから優しい灰褐色の瞳を覗かせると、苦笑交じりに言う。
「ちゃんと前見ろ、危ねぇ」
「あ、アリオン……えっと、ごめん……」
確かにそうだった。アリオンがいたことに気づかないなんて、周りを見ずに歩いていた証拠だ。
――会いたいって思ってたのに気づかなかったな……。
一拍遅れて手元が空いていることに気づく。
「あ、資料……」
「これ、保管庫に持ってくんだろ?ユーヴェンとメーベルさんに会って聞いたんだよ。俺も手伝う」
アリオンがちょうど今来てくれた理由がわかったけれど。
「仕事とか、訓練、は?」
不思議に思って首を傾げる。このまま少し、一緒にいてもいいんだろうか。
「今は書類仕事中でな、ユーヴェンに手伝ってもらってたんだよ。ユーヴェンが持って行き忘れた書類があったからそれ持って行ってたら途中で会った」
「そっか」
見習い騎士でも正式に騎士に上がった際に困らないようにと今の内から書類仕事もしているのだろう。
そしてユーヴェンはたぶんアリオン相手だったから、待たせていいと思って資料運びを引き受けたんだろう事がわかってしまった。
――ユーヴェンもなんだかんだアリオン相手には遠慮しないんだから……。
でもアリオンに会いたいと思っていたから、会えたのが嬉しかった。その部分はユーヴェンに感謝してもいいかもしれない。
それでも、会えて嬉しい事をすぐには素直に言えなくて。
――アリオンの前では、もう少し素直でいたいのにな。
なのに、昨日の事を思い出すと恥ずかしくて素直になれない。
「でもアリオン、カリナ達に会ってからここまで来たならわざわざ遠回りしてるじゃない。ユーヴェンも戻るついでだって言ってたのに」
だからそんな可愛くない言葉が口をついて出た。
魔道具部署とたぶんアリオンが書類を持って行ったはずの管理課は違う棟だ。恐らく書類を提出した後にわざわざこっちに回ってきたのだろう。
「あー……そこ突っ込むか」
参ったとでも言いたげな声だ。
「突っ込むわよ」
流石に仕事中ではあるし、気になった事は突っ込む。
「いいんだよ、だって俺がローリーに会いたかったんだからな」
「!」
茶目っ気たっぷりに笑うアリオンに唇にきゅっと力が入った。
「仕事中はちゃんと仕事しなさいよ!」
睨むけれど、顔は少し赤くなっているような気がする。
――素直に言っちゃうアリオンずるい!
昨日の事を考えると、これぐらい当然のように言ってくるのはわかっているけれど、心臓に悪い。
「わかってるよ。ただ重いもの運ぶには男手あった方がいいだろ?それに戻るついででもあるしな。ちょっと寄り道しただけだ」
そう言って笑うアリオンはやっぱり優しい。
確かに助かったのは事実だ。さっきまで重たく感じていた資料は今は全てアリオンの腕の中で。
それにアリオンに会えたからか、重かった気分も少し軽くなった気がした。
アリオンが持っている資料の上から三分の一程資料を取る。流石に手ぶらは申し訳ない。
「別に全部載せといてもいいのに」
「いいのよ。ありがとね、アリオン。保管庫までよろしくね」
笑ってお礼を言うと歩き出す。アリオンも嬉しそうに笑ってくれた。
「ローリー、目腫れてねぇな。よかった」
灰褐色の目を優しく細めて、私の顔を少し覗き込んで言ったアリオンにむず痒くなりながら返す。
「ちゃんと言われた通り冷やしたもの」
「そうか、言う通りにしてくれるなんてローリーはいい子だな」
アリオンがにっと笑って言った、子供扱いするような言葉にむくれる。
「何よそれー!子供扱いしないでよ、アリオン!」
「してねぇよ?俺にとってローリーは可愛くて綺麗で大切な好きな人なんだからな。子供扱いなんてしてるわけないだろ?」
楽しそうな笑顔でとんでもないことを言うアリオンにカッと顔が赤くなった。
「バカ!い、今仕事中!」
「はは、悪い。けど移動中の雑談だしいいじゃねぇか」
あんな言葉を放っといて雑談なんて言うアリオンは叩いてしまいたくなるけど、今は資料で手が塞がっていて無理だ。
「あ、アリオン昨日から意地悪じゃない!?」
ちょっと睨むように言うと、アリオンは目を瞬かせてから苦く笑った。
「あー悪い。ローリーの反応が可愛くてな。ついやっちまった。嫌だったか?」
「!……い、嫌では、ない、けど」
――また、反応が可愛いとか言ってくる……!
こんなの恥ずかしくならない方が無理だ。
「けど?」
「恥ずかしい……」
顔が赤くなっているのを自覚しながら言う。
「じゃあ、やめた方がいいか?」
そう少しだけ眉を下げながら聞いてくるので、ちょっとむっとする。
「……聞くのずるい……」
絶対に素直に言わないといけなくなってしまった。だってはっきり言わないと、アリオンはやめてしまうから。
「え、悪い」
ちょっと困惑するように謝るアリオンに恥ずかしくなりながら返す。
「や、やめなくても……いいから……」
別にやめてほしい訳ではなくて、ただ恥ずかしいだけで。ちゃんとアリオンの気持ちを受け止めたいと思うから、言ってほしいと、思っている。意地悪だって言ったのだって、ただの冗談のつもりでやめてほしい訳じゃなかった。
「っ!」
アリオンはなぜだか持っている資料に顔を伏せた。
「アリオン?」
その仕草を不思議に思ってアリオンの名前を呼んでみる。
「いや、ちょっと……」
そう言葉を漏らしたアリオンに、ちゃんと言わなかったからやめるように誤解させてしまったのかと焦った。
「え、や、やめないで、アリオン……」
不安になって今度はちゃんとはっきり言葉にする。たぶんこれで意図はしっかり伝わるはずだと思うのだけれど。
「ぐっ……!……心配、すんな。やめねぇ、から……」
アリオンが顔を伏せながら言った言葉に安心して、笑顔で頷いた。
「うん」
ちゃんとわかってもらえたのが嬉しくて、にこにこと笑っているとアリオンは何とも言えない顔でこちらを見ていた。
「……破壊力がすげぇ……」
「破壊力?」
変な言葉を漏らしたアリオンに首を傾げる。
「なんでもねぇよ」
「うん……?」
不思議に思いながらも資料から顔を上げたアリオンに頷いた。
そうしてはっとする。アリオンに聞かなければいけないことがあったのを思い出した。思い出すだけでも顔が赤くなりそうだ。
それにアリオンには昨日話を聞いてもらったから、ちゃんと言っておきたい。
幸い周囲に人はいない。……さっきの会話も人がいたらもっと恥ずかしかったから助かった。
「あ……あのね、アリオン……」
「ん、どうした?」
アリオンは灰褐色の瞳をちらりとこちらに向けた。
「カリナにね……話そうと思うの。私の、気持ち」
「そうか」
頷いたアリオンの微笑みは、とても優しい。
「そ、それでね……その……あ、アリオンを、好きになりたいって……思ってる、ことも……言いたくて」
また言うのは恥ずかしくて、しどろもどろになりながら言う。
「ああ」
「だ、だから……言っても、いい?あ、アリオンから……告白、されたこと……」
ちゃんと言い切ってから、アリオンをちらりと見上げた。
「おう。言えばいい」
そう言ったアリオンは柔らかい笑顔を浮かべていた。
「うん。ありがと、アリオン」
アリオンの返事と笑顔に安心して笑うと、アリオンが少し覗き込んでくる。
「ローリー、別に俺に気を遣う必要なんてねぇんだからな。お前が言いたいと思った人に言えばいい。相談もすりゃいいし、誰に言ったっていい。俺はお前を変に悩ませるなんて嫌だからな。そんで気になることがあるなら、遠慮なんてせずになんでも聞け」
やっぱりアリオンの言葉は、ずっと優しい。
心が、温かくなる。
「うん……」
私が頷いたことに優しく笑ってから、アリオンは少し言いづらそうに口を開いた。
「……あー……それに、俺も……リックさんには言っちまったし……」
その言葉に驚く。
「え!?お、お兄ちゃんに言ったの!?」
――昨日の今日なのに!?
また稽古をつけてもらってたんだろうか。やっぱりアリオンと兄はすごく仲がいい。
「だってなぁ……大切な妹に告白したんだから言うべきだろ……」
「アリオンってば……」
兄的目線からちゃんと兄に言うべきだと思ったんだろうけど、アリオンってかなり真面目だと思う。
普通は告白したくらいじゃ言わないような気がする。
「付き合ってはなくて、考えてくれるって話まではした……。……悪いな。お前の許可なく」
そう謝ってくるので、ふるふると首を振った。
「べ、別にいいわよ。あ、アリオンの方から……告白してくれた、んだから……誰に言っても、構わない、わ……。え……と……お兄ちゃん、アリオンに何か言った?」
私もアリオンみたいには言えないけれど、別に誰に言ってくれてもいいと思っている。アリオンを好きに、なりたいから……広まってしまっても……問題、ない。
「あー……まあ、君にしては頑張ったんじゃない?って……」
「?何それ?」
過保護な兄だから何かをアリオンに言ったかと思っていたのに、返ってきたのは何だか不思議な返答だ。
なんだか、その言葉はまるで……。
「はは……リックさんには俺の気持ちバレてたからな……」
アリオンの言葉に驚いてしまう。
「え!?そ、そうなの!?」
さっきの言葉でまさかと思ったけれど、本当に兄がアリオンの気持ちを知っていたとは。
そしてそのまま、気まずげに話を続ける。
「あー悪い、ローリー。実は俺の気持ち自体は騎士団内でもかなりバレてる……」
「え!?……あ、そっか……そんな、噂があるって……スカーレットが……」
アリオンの言葉に一瞬驚いてしまうが、スカーレットからアリオンが私を好きだと言う噂があると聞いていた。
それがただの事実だったことに恥ずかしくなってきてしまう。
「俺の気持ちはたから見てバレバレだったっぽいから……この前も詰められたんだよな……」
――バ、バレバレ……。でも私は気づかなかったし……もしかして私って鈍いのかしら……?
少し悩みながら首を捻っていると、アリオンが苦虫を噛み潰したような顔をして謝ってきた。
「あとすまん、ローリー。実はな、俺の失態でフューリーにお前の気持ちもバレちまった……。フューリーは言いふらすようなやつではねぇんだけど……悪い……」
「!そ、そうなの?えっと……それじゃやっぱり……アリオン、前から私の気持ちわかってたのね……」
アリオンがフューリーさんの事を信じているなら、言いふらさない人なのだろうと信じられる。
それよりもアリオンはやっぱり私の気持ちを前から知っていた事に納得してしまう。
それでふと考えると、アリオンが気づいてないのかもって思ったのは、ユーヴェンが私を撫でるのをアリオンが止めた時だった。
――あれ?もしかして……アリオンが、私を好きだったから……止めたの?
そうだとわかってしまうとまたむず痒くなってきてしまう。昨日のおじさんが言ってた独占欲みたいだ。
「怒らねぇのか?」
アリオンが不安そうな顔で聞いてくるので、さっき思ってしまった事をとりあえず頭から追い出しながら答える。
「べ、別に、そんな事で怒んないわよ……。わざとじゃないんだろうし……。というか……どういう状況で悟られたのよ……?」
むしろどんな風にバレてしまったのかが気になる。
アリオンは眉を寄せてから、観念したように息を吐いた。
「……あー……それは、だな……。俺が……お前とユーヴェンの噂があったって話を……聞いた時に……ちょっと……取り乱した、というか……なんというか……」
「へぁ!?」
私とユーヴェンとの噂があったなんて初耳で驚くけれど……それを聞いてアリオンが取り乱したという事にも驚いてしまう。
「……ちょっとの間あったらしいんだよ、そんな噂が……」
何故か悔しそうに言うアリオンに、首を傾げて考える。
「ま、まあ……あんたとも噂があるくらいだし……おかしくは……ないのかしら……」
思えば学園時代は色んな噂があったし、王宮に上がってからは私自身の耳には入ってこなかったけれど、やっぱり人のいる所には噂が立っていくものなのだろう。
「まあ、そんな失態だよ……。悪いな」
反省したように言うアリオンに、少し視線を彷徨わせながら気になったことを聞く。
「……あ、アリオンって……その……そんな噂に……取り乱しちゃうの……?」
そんなのただの噂で、事実無根な事はアリオンだってよくわかっていたはずなのに。
「そりゃ……好きなやつの噂なんだから、当たり前だろ……。……正直、お前との噂は俺とだけがよかったんだよ。お前とユーヴェンとの噂があったなんて嫌だったんだ」
不貞腐れたように言うアリオンにまた顔が赤く染まる。
「そう、なの……」
アリオンの話を聞くたびにアリオンの私への想いが補強されていくようで、目眩がしてきそうだ。
アリオンからの言葉は甘くて、優しくて……心臓に、悪い。
「なあ、ローリー……今日、よかったら一緒に帰んねぇか?」
アリオンは私を少し赤く染まった顔で見ながら言ってくる。その言葉に私も嬉しくなる。
「あ、うん。もちろん、いいわよ」
私も誘おうと思っていたので、笑みを零しながら頷く。
「そっか。嬉しい」
そうやって伝えてきてくれるのが、むず痒い。
「うん……えっと、今日も、魔道具部署で待っていたらいい?」
「おう、迎えに行く」
きっとまた魔道具部署がざわめいてしまうかもしれないけれど、目をキラキラさせていたあの人達なら大丈夫だろう。
それよりも、また迎えに来てくれるのは嬉しいので、笑って頷いた。
「わかった」
そしてもう一つ、さっきの話で言っておきたい事ができてしまった。素直になれるように頑張ろうと思いながら、口を開く。
「……ね、アリオン」
「ん?」
私の呼び掛けにアリオンがこちらを向く。
「その……フューリーさんに……言って、おいてね……?」
「何をだ?」
不思議そうに眉を寄せたアリオンに、少し息を吸ってから答える。
「わ、私が……アリオンの事、好きになりたいって……思ってること……」
「え……」
アリオンが目を丸くした。理由も言わないと、きっと不思議なままだろう。
「だ、だって……ユーヴェンのことを、好きだって……ずっと思われたままなの、やだ……」
ユーヴェンを好きなのをやめて、アリオンを好きになりたいのだから、ユーヴェンを好きだと言う話は忘れてほしい。
それで……アリオンを、好きになるの、だと……思ってほしい。
「……っ!」
アリオンが更に大きく目を見開いた。
「だ、だから……その……て、訂正……して、ほしい……」
吃りながらも最後まで言い切って、アリオンを見上げる。
アリオンはまた資料に顔を伏せていた。
「……ぐっ……」
「駄目?」
そのうめき声に不安になって聞く。好きになってからじゃないと、駄目だっただろうか。
「駄目な訳ねぇだろ。んな事言われて俺がすげぇ嬉しいだけだよ。……フューリーには悪いが、自慢みたいになるな、これ……。いや、まごうことなき自慢だな……」
口端が綻んでいるアリオンにほっとしたけれど、その言葉にはっと気づいた。
「あ……!フューリーさんのこと考えたら、言わない方がいいのかしら?」
スカーレットに片想いしてるのに、アリオンがそんな事を言ったりしたら確かに自慢っぽくなってしまう。
「いや、言う。だって、ローリーが訂正してほしいって言ってくれたんだぜ?そんな嬉しい事、思いっきり自慢したっていいくらいだろ?」
すごく嬉しそうに笑うアリオンに、唇をきゅっとする。
「お、思いっきりは、やめなさいよ!」
流石にもっと大人しく伝えて欲しい。
「んじゃ、すっげぇ自慢する」
「だからやめなさいってば!」
全然意味が変わっていない事に突っ込む。
「ははは!」
心底楽しそうに笑うアリオンに、私もなんだか笑ってしまう。
「もー!」
やっぱりアリオンが笑ってくれていると、嬉しいと思う。
保管庫まではあと少しで、こんな時間が終わるのがちょっと寂しい。
けれどまた一緒に帰る約束をしたので、心がほわほわして、温かった。




