繋いだ手
日が落ちた街並みを歩く。目が腫れてしまっているので、あまり顔を上げられない。
「ローリー」
「何、アリオン?」
少しだけ斜め前を歩いていたアリオンを見上げると、じっと私の青い目を見ている。目が腫れているので恥ずかしくて、少しだけ視線を逸らす。
「……ローリーが嫌じゃなかったら、手、繋ぐか?」
そう言って手を差し出してくる。顔が赤く染まってしまった。
でも、有り難い申し出だ。顔を上げにくかったので、手を引いてもらえるのは助かる。
けど。
――恥ずかしい……!
そう思いながら、ちらりとアリオンを見上げる。アリオンも同じように頬が赤くなっている。アリオンも恥ずかしいのだと考えると、安心してしまった。
「……繫ぐ」
私は言うと同時に、差し出された手に自分の手を重ねた。
そうするとアリオンは、私の手をぎゅっと握ってくれた。アリオンの大きな手が私の手をすっぽりと包む。
「ん……ありがとな。……引っ張ってやるから、下向いててもいいぞ」
――アリオンもわかってたんだ。私があんまり顔を上げないようにしてたこと。
そういったさりげなく気遣う所がアリオンらしくて。
「……うん、ありがと、アリオン」
アリオンの優しさが温かくて。このままその優しさにずっと包まれていたいなんて、そんな事を思ってしまう。
「いいよ」
アリオンの繋いだ手をきゅっと握る。そうすると、アリオンも握り返してくれる。
――なんだか、ふわふわする。
アリオンの想いが嬉しくて、優しくて、温かい。
夜の街を歩いて行く。人が多いけれど、ぶつかることなく歩くアリオン。足下を見ていると、あることに気づく。アリオンは人にぶつかりそうな時は少し速度を緩めたりしながら歩いていた。パッと顔を上げると、いつものアリオンの後ろ姿が重なる。
アリオンはいつも少しだけ斜め前を歩いていて、私はそれについて歩くようにしていて……。きっと、今までもずっと守ってくれていたんだ。気づかないぐらいにささやかに気遣われていたことに、なんともいえない気持ちが湧き上がる。
「ローリー、何食べてぇ?」
屋台市に着くと、アリオンが振り向いて聞いてくる。その無邪気な顔に、スカートをきゅっと握った。
「え、あ……なんだろ?」
考えていなかったので首を傾げて答える。
「決まってねぇか。俺も」
そう言って笑うアリオンに、同じように笑った。
「んー……何がいいかしら?」
「お、ローリーあれは?」
そうやってアリオンが指差した先にあったのは、牛肉とピラフが一緒になっている絵が描かれている屋台だ。
「あ、美味しそう!」
「んじゃ、あれにすっか」
「うん!」
にっと笑ったアリオンに頷くと、屋台に近づく。匂いも美味しそうだ。
アリオンが屋台のおじさんに声を掛ける。私も気になったので思わず覗く。美味しそうな牛肉を焼いていて、お腹が空いてくる。
「すいません、これ、二つ下さい」
「おうよ!二つで1000リルだ!」
元気よく笑いながら返したおじさんは、値段を言いながら焼いてある牛肉を温め始めた。
アリオンは鞄を探ろうとして、一度止まった。
そして私に小さく声をかけてくる。
「ローリー悪い、一回手、離すな」
そう言って手を離すと、財布を取り出してお金を出そうとするので私は声を掛ける。
「あ、お金……」
「今日ははじめっから俺が奢る約束だったろ」
そういえば公園に行った最初に言っていた。
「うん……」
この前も奢ってもらったのにな、と思いながらも頷く。
離された手が少し寂しくて、アリオンのコートを握った。
アリオンがお金をおじさんに差し出す。
「ちょうどだね!まいど!お兄さん恋人同士でデートかい?可愛い彼女だね!」
おじさんは軽い調子でからかってくる。こういうやり取りには慣れているけれど、なんだかいつもよりも恥ずかしく思ってしまう。
「そうですね、可愛いんであんまり見ないで下さい」
アリオンはさり気なく私をおじさんから隠す。目が腫れたりしてるから隠してくれたのだろうか。
それにしても、アリオンの言葉が直球で、困る。
「お!お兄さん溺愛だ!これは大変だね、お姉さん!」
豪快に笑って言ってくるおじさんに、戸惑ってしまう。
――いつもはなんてことないのに……!
「えっと……その……」
「話し掛けもしなくていいです」
それでもなんとか答えようとすると、アリオンが遮ってくる。なんか、これは……。
「おお!お兄さん独占欲強いんだね!ほい、できた!溺愛してる恋人さんにおまけでクッキーもつけとくよ!」
話しながらも作っていたおじさんがそう言って紙袋にまとめた品物を出してくる。
正に思ったことを言われてしまって少し顔が赤くなった気がした。
「はは……ありがとうございます」
「またよろしく!」
おじさんから商品を受け取ると、アリオンは私がコートを掴んでいた手を掴んで、また握ってくれる。
その仕草に、また心が温かくなった。
屋台から少し離れると、アリオンが聞いてくる。
「ローリー、恋人とか言われて嫌じゃなかったか?」
その質問に目を瞬かせる。別に、よく一緒に買い物してたりすると間違われたので慣れている方だ。
……今日はいつもより恥ずかしくなってしまったけれど。
「別に……世間話、だし……」
「そうか」
そのアリオンの声が少し沈んでいるようにも思えて。
「あ、アリオンの、こと……好きになりたい、って思ってるんだから……その、迷惑なんて、わけないし……」
そう、付け足す。恥ずかしいけれど事実だ。
「……うん……そうか……」
アリオンは少し手に力を入れたので、私も握る。すると、ちらりと灰褐色の瞳で私を見てきた。
「あの、ありがとね、アリオン」
その瞳を一瞬見つめ返して言う。
「ん?」
アリオンは不思議そうに聞き返してくる。
「私があんまり顔見られたくなかったから、ああ言ってくれたんでしょ?」
アリオンが気遣ってくれたんだろう事を言うと、アリオンは少し眉を寄せた。
「……別に本音だけど」
「!」
アリオンの言葉に、思わず伏せ気味だった顔を上げる。
「可愛いローリーをジロジロ見られんのは嫌だったし、別にわざわざローリーの綺麗な声を聞かさなくてもいいし」
アリオンが壊れたんじゃないと錯覚するような甘い言葉に耳まで熱くなった。
「ば、ばか!」
アリオンと繋いでない方の手で叩く。
「はは」
アリオンは楽しそうに笑っていて、これはからかわれたのかどうかわからない。
「あ、アリオンってどこまで本気なのよ……!」
「ん?俺思ってる事しか言ってねぇよ?」
思わず聞くと、とんでもない答えが返ってきた。
――可愛いから見ないでほしいとか、綺麗な声とか……アリオンって思ってるの!?
「!は、恥ずかしい……!」
片手で熱くなっている頬を抑える。
「はは!だって俺、自分の気持ちに気づいてない間もお前のことはずっと綺麗で可愛いなーって思ってたからな!」
「な、なによそれ!」
気づいてないのに、そんな事をずっと思ってたとはどういうことだ。気づいてない間もずっと好きだったとは聞いたけれど、そんな風に思っていたなんて聞いてない。
「いや、ローリーが綺麗で可愛いなんて当たり前だと思ってたから気づかなかったんだよ」
「!!」
言葉を失う。はくはくと口を動かすけれど、声が出ない。
――綺麗で可愛いのが……当たり前って……どんな感性してるのよ!?
アリオンがずっと私の事をそう見ていたなんて、照れるなという方が無理だ。
また、全身まで熱が回っている気がする。
「ほら、ローリーそろそろ家だぞ」
アリオンのその言葉で顔を上げると、いつもの道だ。
「あ……」
しまった。普通に送ってもらっていた。……きっとアリオンは私が断っても送ると譲らなかった気もするけれど、もしかしたら。
――い、一緒にいたい、とかも……あったり……するのかな……。
でも、そんなことは流石に恥ずかしくて聞けない。
家の前まで着くと、私は手を握ったままお礼を言う。
「あ、あの……アリオン、送ってくれてありがとう」
「いいよ」
優しい声に、温かい気持ちが湧く。
一度アリオンの手をぎゅっとしてから離そうとすると、アリオンからも握ってきて、離れない。
「ローリー、少し手を借りていいか?」
灰褐色の瞳で私の青い瞳を見つめながら、アリオンが言った。
「あ……うん」
その熱を帯びた瞳に、頷いてしまった。
「ありがとな」
アリオンはそう言うと、私の手を持ち上げて、手の甲をアリオンの額につける。
まるで、恭しくされているような仕草に、甘さで、くらくらしてしまいそうだ。
「俺……ずっと、ローリーが大切だなって思ってたのに、気づいてなかったんだ」
先程の気づいていなかった時の話の続きだろうか。その声は切なそうで。そんな声を出さないでほしいと、思う。
アリオンの指が私の手のひらをなぞる。なんだか、声をあげてしまいそう。
「……好きだ、ローリー」
思わず零れたような熱を孕んだ声に、心臓が、鳴る。
アリオンの額が私の手の甲にすり寄って、アリオンの額の感触を感じてしまう。
アリオンの仕草と、言葉で、目眩を起こしそうだ。
こんなに度々好きだと言われて、可愛いとか綺麗だって言われると、どうしたって心臓が早くなる。
――これにドキドキしない人なんていないような気がする……!
「あ、アリオン……!」
耐えきれなくて思わず声を上げると、アリオンは顔を上げてふっと微笑んだ。
「うん、やっぱり好きだ、ローリー」
アリオンが言うのは、そんな言葉で。
「は、恥ずかしいから……待って……」
思わず止めてしまう。
「ん。そうか」
アリオンはにこやかに笑うと、手を離した。
「手、ありがとな」
アリオンはずるいと思う。どうしてそんなに……簡単に手を離してしまうのか。少しだけ、寂しく感じてしまった。
「アリオンのバカ」
「ん、悪いな。恥ずかしかったよな」
思わず呟くと、見当違いの謝り方をしてくるアリオン。けど、そう思っていてもらった方がいいと思う。
私は苦笑しているアリオンを見ると、紙袋を見てさっきのおじさんの言葉を思い出す。
鞄の中を突然探し始めた私に、アリオンは不思議そうにしていた。
「アリオン、あのね……これ」
言葉と共に出したのは、昼間に残ってしまったクッキーだった。
「?どうした?」
「これ、アリオンの為だけに作ってきたから……持って帰って、ほしいの」
これはもしかしたらアリオンに作るのが最後かも、と思いながら作ったクッキーで。もう最後にはならないだろうけど、それでも、アリオンの事を考えながら作ったクッキーだから、アリオンに持って帰ってほしかった。
アリオンは目を何回かパチパチさせると、嬉しそうに笑う。
「そうか。悪かったな、昼間残しちまって」
そんな、優しい言葉と共に受け取ってくれた。
「ううん、いいの」
――今、受け取ってくれたから。
「じゃあローリー、これ飯と……あのおっさんがくれたクッキー。俺にはローリーのクッキーがあるからな」
そう言って紙袋から一つ箱を出して紙袋を出してくるので、紙袋からクッキーを出すと箱と紙袋を交換する。
私のクッキーがあると言ってくれたのが、嬉しかった。
「紙袋はあんたが使いなさいよ。持って帰るの大変でしょ。クッキーは、ありがたく頂くわ」
「そうか?なら、そうすっかな」
そう言って受け取ったアリオンに笑う。
「ええ、そうして」
「おう。それじゃ、またなローリー。ちゃんと目、冷やしてから寝ろよ」
アリオンが頭を優しく撫でてくれる。言うことはやっぱり兄のようで、思わず笑みを零した。
「うん、わかった。またね、アリオン」
「ん、お前今日は見送らずに中に入れよ」
そう言うと、髪を梳いてからアリオンの手が頭から離れる。
「……わかった、じゃあね」
きっとアリオンは家の中に入るまで見守るだろうから、玄関を開けて中に入る。
それを見守るアリオンは、相変わらず柔らかくて優しい笑顔で。扉を閉めても、アリオンの笑顔が残っているような気がした。
今日のアリオンを思い出して、きゅっとなった心を大事にしたいと思った。