守りたい約束
昼休み、私はカリナに約束があると言って出た。アリオンに、頼まないといけない。
深呼吸をしながら、廊下を歩く。アリオンからはこの前わかったと返事が来たので、今日は同じ休憩時間なのだろう。騎士団棟の方に行けば、会えるはずだ。
そうして歩いていると、向こうから歩いてくる人物に胸が跳ねる。金の髪に榛色の目、ユーヴェンだ。パチリと、榛色の目がこちらを向いた。
そうだ。ユーヴェンにも、謝らないと。それで、また、遊ぼうって、言うんだ。
――大丈夫、何も思って、ないもの。
「ローリーお疲れ様」
走って近づいてきたユーヴェンに、軽く笑う。
「ユーヴェン、お疲れ様」
「体調大丈夫か?」
少し眉を寄せながら心配そうに聞いてくるユーヴェンに、笑ったまま答える。
「ふふ、休んだお陰で大丈夫よ。ごめんね、急に行けなくなって」
心配されて嬉しい気持ちと嘘を吐いた罪悪感が綯い交ぜになる。
――ううん、大丈夫、だもの。
それにちゃんと謝れた。少しだけ、ほっとした。
「謝んなくっていいよ。体調悪くなったなら仕方ないし、良くなってよかった。伝達魔法で治ったとは聞いてたけど、ローリーって意外と無理するからな。この前だって、俺が頼んだからたぶん直前まで来ようとしてたんだろ?遊ぶなんて体調いい時じゃないと楽しくないんだから、体調悪いんならもっと早く言えばいいんだからな」
ユーヴェンも長い付き合いだからか、妙に心配してくる。性格が知られていると考えると、心臓の鼓動が早くなってきてしまう。
――いや、大丈夫、何も、思わない方がいい。
「えっと……大丈夫だと、思ったのよ……」
体調が悪いのは噓だから申し訳なくて、目を逸らしながら言う。
それをユーヴェンは自分の言葉が図星だったからと考えたのか、少しむくれる。
――だめね、心配してくれてるのが嬉しいって思っちゃう……。
「ほら、やっぱり無理したんだろ。ローリーがそうやって無理するからアリオンも更に過保護になるんだぞ」
少し心を宥めていると、ユーヴェンがアリオンの事まで言及してくる。
その事に、肩が揺れてしまった。
「そんなことないもの」
思わずそう言ってしまう。
――そのアリオンの過保護に、甘えちゃ、駄目だもの。
「いや、アリオンはローリーにすげぇあま……」
「そ、それより、この前はどうしたのよ?」
ユーヴェンが言い掛けた事を遮るために、もうカリナに聞いて知っていることをユーヴェンにも聞く。
――アリオンが私に甘いなんて、知っているもの。
けど……甘えてたら、きりがないから。
ユーヴェンは不思議そうに首を傾げてから、少し視線を逸らす。
「あの日はさ、結局解散したよ。やっぱりカリナさん、ローリーも居ないと嫌だって」
そうして答えたユーヴェンの表情には、笑いながらも、それでも隠せない寂しさが滲んでいた。
心臓が、ドクリと動いた。
違う、そんな顔をさせたい訳じゃなかった。ユーヴェンにも……カリナにも。
――どうして私は、こんなにも……間違えて、しまうんだろう。
「ローリー、またみんなで遊ぶ予定でも立てようぜ」
わざと明るく言うユーヴェンのその言葉に頷けばいいだけだった。私からちゃんと言おうとしていたはずなのに。
「ローリー、どうした?」
しまった。考えすぎた。顔を覗き込んでこようとするユーヴェンに一歩下がりそうになる。でも、いつもはこんな対応はしていない。どうしよう、なんでもない顔を作れない。
――違う、私は何にも思ってなくて、落ち込んでもないはずで。
そんな事を思うと、更に体が動かなくなった。
「ローリー、ユーヴェン!」
聞き慣れた声で呼ばれる。そっちに私もユーヴェンも顔を向けた。ユーヴェンの顔が背けられたことに安堵した。
でも、お昼の約束をしていたアリオンも来てしまった。アリオンは、鋭い。コクリと喉を鳴らした。
――違う、大丈夫。私は落ち込んでなんか、ないもの。
見えないように、深呼吸をする。
「アリオン、どうしたんだ?」
そう聞くユーヴェン。でもこのままだとユーヴェンとも一緒にお昼を取る流れではないだろうか。お弁当は持ってきてしまっている。そうしたら……アリオンに、言い出せない。
――言わなきゃ、駄目なのに。
ぎゅっとお弁当袋の持ち手を掴んだ。
「あー……。なんかフューリーがユーヴェンのこと探してるって聞いたけど、お前なんかした?」
「え?俺何もしてないと思うけど……。とりあえず探してみるよ。ありがと、アリオン。ローリー、またな」
そう言って去っていくユーヴェンにほっとする。あれ、でもさっきユーヴェンだけじゃなくて私も呼んでなかっただろうか。そう思って顔を上げると、アリオンがいつものように笑う。
「ローリー、この前の事、話してくれるんだろ?」
普段通りの態度だけど、もしかしたら私がアリオンと二人で話したいと思っていたからその意を汲んでくれたのかもしれない。伝達魔法だけでも、きっと二人で話したいことだとアリオンはわかっていただろうから。
……でもそう考えると、ユーヴェンを遠ざけるのにフューリーさんをものすごく都合よく使ったことになるし、流石に気のせいかもしれない。
ひとまずアリオンの言葉に、軽く笑った。
「ええ、話すわよ」
――大丈夫。私は落ち込んでないから、昨日考えた通りに喋ればいい。
アリオンが、一瞬止まった。
「……ローリー」
その、少しだけいつもより低いような気がするアリオンの声に、ヒヤッとしてしまう。
――私は、落ち込んでなんか、ない。
「どうしたの、アリオン?」
だから、首を傾げてアリオンに聞く。
「……いや、俺食堂よってパンでも買ってくるから、ちょっと待っててくれ。あ、どうせなら今日は食堂の近くにある東の庭ででも食べるか?あそこなかなか行かないしな」
アリオンは、さっきの顔が気のせいみたいにパッと笑って言う。
その事に、少しだけ安堵した。
東の庭は人もあまりいないし、頼み事をするのはちょうどいいかもしれない。それにいつもの中庭だとユーヴェンにまた会うかもしれないから、その点でも安心だ。
「うん、いいわよ。そっちで食べましょ」
そう笑って言って、了承した。
アリオンが食堂でパンを買うと、近くの東の庭に移動する。ここは緑が多くてポツポツとベンチが置いてある庭だ。やっぱり近くが食堂だからか、人気はない。
奥まった所にある、大きな木の下のベンチに座ってお互いに昼食を食べ始める。
――どう話そう、かな。
迷っていると、アリオンがパンを食べる合間に口を開いた。
「ローリー、この前行ったのか?」
じっと、灰褐色の瞳が私を見てくる。
――大丈夫。私は、大丈夫、だもの。
私は持ってきていたお昼のサンドイッチを食べながら、思わず零したように笑う。
「ふふ。実は行ったんだけどね、二人の様子見てやめちゃったのよ」
「……そうなのか?」
笑っている私を、アリオンがじっと見ている。
「ええ。だってね、二人とも初々しさ全開なのよ?ユーヴェンがいつもみたいに軽々しくカリナの頭を撫でちゃって真っ赤になって。それでカリナも一緒に可愛らしく真っ赤になっちゃってて。流石にそんな二人の間に挟まれる勇気なかったわよ」
面白そうに笑って、私にとって、ただの友人たちの笑い話のように。
サンドイッチをパクパクと食べ進める。
パッとアリオンの目を見る。少しだけ、アリオンが怯んだのがわかった。
「あ、カリナとユーヴェンには言わないでね?実は行かない理由に体調不良を言っちゃって……嘘なのに心配かけちゃったから、悪いことしちゃったのよ……。しかも、二人ともそのまま解散したみたいだし……。いくらあの空気に当てられそうで嫌だったっていっても、悪いことしちゃったわ……」
眉を下げて、反省する。悲壮感が強くなりすぎないように、頬を自分でムニムニと動かした。わざと顔をつついていれば、表情で判断しにくくなると思った。
――それに、何も、思ってなんか、ないもの。
「……そうか」
アリオンは、緩く微笑って相槌を打った。私はそのアリオンの言葉に、笑顔で頷く。
「そうなの」
「ローリーは、その後何してたんだ?」
アリオンがそうやって聞いてくる。一瞬、路地の景色を思い出す。楽しそうな会話と、アリオンの声。
「ふふ、実は寝ちゃってたのよ」
口元に片手を当てて笑って答えた。
「そうか」
アリオンは緩く笑ったままだ。
「ええ、アリオンの伝達魔法が来たくらいに起きたのよ。今思うとかなり寝てたわね……」
頬に人差し指を当てて、困ったように眉を下げながら言う。
あの、伝達魔法は、嬉しかった。
ふっと笑顔が零れた。
「はは、そうだな」
私の言葉に、アリオンも優しく笑ってくれた。
その笑顔になんだか安心してしまう。
だいぶ食べていたサンドイッチの最後の一欠片をパクリと口に入れた。モグモグと、最後の一口を味わう。
一緒に持ってきていたおしぼりで手を拭きながら、話を振る。
「……アリオンは、合同演習どうだったの?」
先にちゃんと、決意を固めてしまおう。
――……ううん、ちゃんと固まってるはずだもの。だからこれは、ただの雑談よ。
「ああ。合同演習ともなると、色んな人と手合わせする機会があってな、いい訓練になったよ」
アリオンは楽しそうに言う。アリオンは昔から、体を動かす事が好きだった。
「ふふ、そうなんだ」
――だからきっと、一緒に騎士で働くような人が、お似合いよね。
「おう」
アリオンが、笑顔で頷いた。
コクコクと水筒に入れていた紅茶を飲む。ふと、アリオンを見ると、パンを食べ終わったのか手をタオルで拭いている。
「あ、パン食べ終わった?」
そう聞きながら、お弁当袋の中を探る。
――クッキーを、出して。それで、言うんだ。
「ん?おお。お前も食べ終わってんな」
アリオンは不思議そうに私を見る。
「ええ。食事食べ終わったら、ほら、デザートよね。はい、クッキー」
私は袋の中からクッキーを入れていた紙袋を出して言った。
アリオンは目を丸くすると、嬉しそうに笑う。
「はは、何かと思った。ありがとな」
そう言ってアリオンが、私の頭に手を伸ばしてきた。
――甘えちゃ、駄目。
引き締めた心が、アリオンの仕草に対してビクッと肩を跳ねさせてしまった。
――しまった。
すぐに自分の失態を悟る。
アリオンの、伸ばしていた手が止まった。そしてすぐに手を引っ込めると、クッキーを摘む。
「悪い、クッキーありがとな」
クッキーを持ちながら、私に向かってにっと笑うと、サクッと音を立てながら食べた。
目を軽く伏せたアリオンが、笑っているのに悲しそうで。
軽く言ったアリオンの、謝罪の言葉が、重い。
一瞬見えた、私が肩を跳ねさせてしまった時のアリオンの表情は……驚いて、そして……傷ついた、顔だった。
――もっと、うまくやるつもりだったのに。
恥ずかしがって、撫ですぎ!と軽く怒って。そうすれば、きっとアリオンも楽しそうに笑いながら悪いと言ってくれた、はずなのに。
――悲しい顔なんて、させるつもりなかった。傷つける、つもりなんて、なかった。
どうしてうまくいかないのか、わからない。そう考えて、はっとする。
――駄目。私は、落ち込んだら、駄目だもの。
『ただ、お前が落ち込む時には傍に居させてくれればいい』
『ん、頼むな』
だって、アリオンとの、その約束は……破りたく、ないから。
パッと笑う。
「ううん、いいわよ。私もちょっと驚いちゃっただけだから。クッキー、好きなだけ食べてね」
そう言って、クッキーをアリオンの方に寄せる。
「……そうか。驚かせちまったか、悪かったな」
アリオンは頬を搔いて、申し訳なさそうに眉を下げた。
「大丈夫よ。ほら、クッキー食べて」
だって、もしかしたら、アリオンの為にクッキーを焼いてくるのは……これが最後かもしれないから。
これから頼むことを考えたら、当たり前だ。
「おう。お前のクッキー好きだから、有り難く頂くわ」
そう言って、笑うけれど。きっと、アリオンは二度と、撫でてこない。バレないように少しだけ、口の中を噛んだ。
アリオンはクッキーを摘んで、美味しそうに食べている。
――でも、どうせやめさせるつもりだったんだから、これでいいんだ。
だから、にっこり笑う。
「ねぇ、アリオン。実は頼みがあるのよ」
私の言葉にピタリとクッキーを食べていた手を止めて、手に持っているクッキーと私を交互に見る。
「……もしかしてこれ賄賂か?」
胡散臭そうな顔で私を見てくるので、くすくすと笑った。
「ふふ、どうかしら?」
「ったく、お前は……。で、なんだよ?」
仕方なさそうに笑ったアリオンは、クッキーを食べる。
それは頼みを聞いてくれるという意思表示だろう。内容を聞く前に了承するような事をするなんて、本当に、アリオンは……私に、甘い。
――だから、駄目なの。
「あのね」
楽しそうに笑って、言うんだ。
――ユーヴェンと、カリナと。アリオンの、為に。
「私も誰かに恋したくなったの。誰か紹介してくれない?」
「は?」
アリオンは信じられないものを聞いたような声を出して、大きく目を見開いた。
アリオンは持っていたクッキーを置くと、私をじっと見てくる。
切れ長の灰褐色の瞳が、私の青い瞳を覗き込む。
「ローリーお前……」
鋭い瞳に怯まないように、いつかのようにこちらからもアリオンの顔を覗き込んだ。
「駄目?」
そして、羨ましく思っているような顔をして言う。
「あの二人を見てたらね、私もいい人欲しいなーって思ったのよ。だから、ね。アリオンなら、いい人紹介してくれるかなって思って。一応お兄ちゃんも納得してくれるような人がいいのよね。心当たり、ない?」
首を傾げながら、笑って聞く。
嘘なんかじゃない。本当に、いい人を見つけて、その人のことを好きになりたいと、思っているのだ。
それで、ユーヴェンへの想いを忘れて。カリナの想いも笑って応援して。そして、アリオンを離さなくちゃ。
――そうしたら、全部、解決するの。
アリオンは暫く私を見つめたままだった。
その灰褐色の瞳に、全てを見透かされそうで。でも、気づかれる訳にはいかないから、まるでどうしてアリオンが自分を見るのかわからないように、なるべく不思議そうに首を傾げる。
アリオンは少しだけ眉をピクリと上げてから、私から目を逸らして大きく溜め息を吐いた。
その溜め息に反応しそうになってしまうけれど、必死に抑える。
アリオンは視線を落とすと、自分が手を付けて置いていたクッキーを一つだけ食べて、ぐしゃぐしゃと頭を掻き回した。
――どうしよう……なんだか、断られ、そう。
そうしたら、どうしたらいいのだろうか。アリオン以外には、頼む先が……思いつかないのに。
――アリオンを、離さなきゃいけないのに。
「……就業後、時間あるか」
視線を落としたまま呟く、低いアリオンの声。
その声に、息を飲みかけて、やめる。
――これは、紹介してくれる、ってこと、なのかな。
まさか今日とは思っていなかったけど、早ければ早い方がいいだろう。
「うん、あるわよ」
頷くと、ちらりと灰褐色の瞳がこちらを向いた。
「じゃあ、公園まで付き合え」
「うん……」
その言葉に頷いてから、気づく。
――あれ?公園?
紹介なら普通はお店とかでするような気がする。昼間ならまだしも、就業後だし……。
不思議に思って口を開く。
「アリオン、それって……」
「もう戻る。クッキーありがとな。仕事終わったら魔道具部署まで迎え行くから待っとけ。今日は早く終わっから」
アリオンはそう言って立ち上がると、座ったままの私の頭をぐしゃっと荒っぽく、一瞬撫でた。
「じゃ、また就業後な」
私が何かを言う暇もなく、アリオンは歩いて行ってしまった。
アリオンに全てあげようと思っていたクッキーは残ってしまっている。でも。
――また、頭撫でてくれた……。
常にはない荒っぽい撫で方で、一瞬だったけれど。もう二度と、撫でてくれないと思っていたのに。
アリオンが撫でて乱れた頭を、自分の手で直していく。
アリオンの大きくてごつごつしてる手で触れられた所が、温かい。
心にほのかな明かりが灯ったような気がして、口端が少し緩んだ。




