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四天王寺ロダンの青春  作者: 日南田 ウヲ
END OF SUMMER 夏の終わり
99/107

99 美しい怪物

(99)





 夜。

 風が吹いている。

 だが、多くの人は風のことは気にせず、家路を急いでいる。

 夏とはいえ、太陽が秋へと傾き始めれば、訪れる夜の時間は早くなる。宵闇に包まれ始めた堀川学園もまたそうかもしれない。職員は帰り始め、あとは学園の保守を任された警備員ぐらいしか、学園には居ない。その警備員も去ってしまえば、後は無人の迷宮(ラビリンス)だ。

 古代ギリシャ神話で有名なのはミノタウロスの棲む迷宮。まさに学園はそんなミノタウロスのような怪物が跋扈しそうな迷宮の夜に包まれていた。

 その迷宮の階段を上がる靴音がする。

 一体、だれが居るというのだろう?

 この誰も居なくなった迷宮に。

 もし、

 居るとすればそれはきっと…、


 ――怪物


 ならばそれは頭が牛で力強さを持ったミノタウロスかもしれない。だからかもしれない、その怪物は何か大きなものを引きずっている。

 ドアの取っ手を回す音がした。

 そこに差し込む月光。

 やがて曝け出された顔。 

 それは正に…、


「サーチん」

 声と共にぱっと渡り廊下の電灯が点いた。

 反射的に眩しさに手で顔を覆った怪物が静かにそこに立っていた。

 そしてそこに対峙する巨大な人物。吹く風に縮れ毛が舞い、アフロヘアが風に靡いている。ギリシャ神話ではミノタウロスに対峙したのは勇者テーセウス。ならばこの若者は、勇者なのか。

 否、である。

 彼はこう呼ばれている。


 ――四天王寺ロダンと


 眩しさに慣れて来たのか、やがてゆっくいと顔を覆っていた手を下ろしてゆく。

 そこに見えたのは、そう。


 ――佐山サトルだった。


 彼はそこにいた人物が心中意外でもなかったのか、あまり驚く表情を見せずに冷静に声を掛けた。

「コバ、帰ってなかったのか」

 コバやんはうん、と頷いた。

「校舎裏の林の茂みに隠れてたんだ」

「そうか」

 佐山は笑った。それはとても愉快でたまらなそうに。

「コバはさすがに機転がきくなぁ、学童のこのから、かくれんぼさせたらずっと見つからへんし」

 くくくと佐山は笑った。

「そうだね」

 コバやんも言うと同じく笑う。それから二人は暫く顔をあげて見つめ合った。その見つめ合う時間に去来する思いとは、なんだろうか。見合上げる空には月が輝いている。その月へ駆けあがるように強い風が吹いた。それは何かを軽々と持ち上げるには十分な強い風。

 その風に髪が靡くとコバやんが言った。

「甲賀君が言ったんだ。自分はここで風を調べている。強い風が吹いて、それがいつどんな感じで、どの向きへ風が吹くか。何故なら彼は将来天候を利用したビジネスをしたくて、それでその勉強もかねて、、此処で加藤として仮面を被って調べていた。もし誰かに見つかったら嫌だからね」

 佐山は頷く。

「その通り、甲賀君はそれが彼の役割だった。そしてコバ、もう調べてるんだろう?…彼の経歴とかは」

「…そうだね」

 コバやんは答える。

「コバ。お前はさ、絶対何か不思議なことを感じたら執拗に調べないといけないよね?ほんまその性格は小さい頃から変わらない…、だから、まぁここで俺と会うことになったんだけど」

 コバやんは少し落ち着いた口調ですまなさそうに佐山へ言った。

「うん、サーチん。ごめんね」

「謝ることはないさ、コバ」

 佐山は作業着から何かを取り出した。

「それは?」

「ああ、これか?」

 言ってから佐山は小さな回路を出した。

「これはこの『火の竜(ファイヤードラゴン)』に取り付ける奴さ、五分ぐらい無声状態が続くらしいけど、その後、ある言葉が流れて…」

「――『こんにちは』だね。そして『は』に反応する、いや正確には母音『a』に反応する?だよね」

 この時、佐山は初めて驚愕したのかもしれない。 

 この親友の才能に。

「…どうしてさ、コバ。わかった、この仕組み?」

 コバやんは佐山を見る。

「うん、…簡単だよ。『こんにちは』をアルファベットにすると『KONNICHIWA』その中で母音は『OIA』で、最後までこの言葉を流さないと着火しないんなら…それは『A:a』しかないよ」

 コバやんは頭を掻いた。そしてそれから彼がいつもするように首に手をやってパンと叩いた。

 佐山は親友の言葉に心から拍手を送りたくなった。

 そう、完敗だ。

 完全な。

 恐らく自分達が仕掛けた色んな所に出ている小さな糸のほころびを彼は手繰り寄せて、様々な情報を繋いで結論づけたのだろう。


 ――そういえが親友は役者を目指していると言った。


 佐山は頭を振った。

(とんでもない、こいつは探偵向きだよ。コバ、お前は)

 佐山は手にしていた『火の竜(ファイヤードラゴン)』を廊下に下ろした。それから静かに空を見上げた。

 月が朗々と輝いている。

 太陽ではなく、夜に輝く月。

(――まるで俺の青春のようだ)

 佐山は月を見上げながら親友に言った。

「…どうして、今晩が『(SHINOBI)』の決行日だと分かった?」

 するとコバやんはズボンのポケットから一枚の紙を出した。

「これさ…この職員室に貼ってあった張り紙。つまり新学期用にはじまる新しいネット作業工事の張り紙。これの最終日が今日だった」

 佐山は、うんと頷いた。

「そっか…、知ってたんだな。コバ。俺がファミレスで働いてなくて、この学校の工事会社で働いてるのを。そっかあの祭りの時、俺を呼び出したのは、確認する為だったんだな」

「最初から知ってたんじゃないよ。ほら、夏休みの補講で工事会社の人とすれ違う中に…サーちんが居た。分からない筈ないじゃない。だってサーちんは僕の親友なんだ。でも間違いかもしれない。だから呼んで聞いたんだ。サーちんさ。あの玉造の稲荷神社の夏祭りで言ったよね。――顔がわからないのか?って」

「確かに言った」

 佐山は断定する。

「顔が分からないなんてそんな事、絶対ないよ。例え作業防止で目を深くしていようとも、親友の顔を」

「だったら、声を掛けりゃいいじゃん」

「出来ないよ」

 コバやんがもどかし気に言う。

「なんで?」

 それに詰め寄るように佐山が訊く。

「だって、…僕は甘ちゃんの学生。それにサーチんは…汗水掻いてお母さんの為に働いてる大人じゃないか。あまりにも距離が遠すぎるんよ…学生の僕には」

 コバやんの正直な言葉に一抹の寂しさを感じた佐山は、ぐっと拳を握った。


 ――俺は、コバを羨ましがってない。

 俺は、自分の人生に誇りがあるんだ。

 コバにはまだ夢を終える時間がたっぷりある。

 だが俺には…



 佐山の気持ちの上に親友の言葉がのしかかる。

「そこで僕は学校のあの壁画(グラフティ)について、自分が知り得たことを纏めたんだ。つまりサーチん、壁画(グラフティ)は工事会社として紛れ込んだ君とゴエモンという人物、そして甲賀君が一緒に夜に描いたんだ。それだけじゃなく、僕と九名鎮を二度も甲賀君とサーちんが共に入れ替わるように僕等を騙した。よく考えれば元々ここの生徒なんだから制服もバッグも持ってるもんね」

 佐山は握りしめた拳を緩めると見上げたまま、手の中の小さな回路を親友の目前に差し出す。

「その通りさ。コバ。工事会社として紛れ込んだ僕とこの回路の発明者ゴエモンさん、そして本学生の甲賀君。その三人でしたのさ。それだけじゃなく、九名鎮という子も含めて僕と甲賀君が共に『加藤』を演じて翻弄した。だけどさ、ただ言っておくよ、その後の色んな騒ぎは、僕とゴエモンさんがやった。彼は関係が無い。後の空を舞う爆弾騒ぎは、彼が調べてくれた『学園』に吹く強風の情報を元に、僕らがしたことだから」

 佐山の言外には、彼――甲賀はその後には実行犯として関係ないという意味が含まれていた。それが痛い程、彼を庇っているのだという気持ちをコバやんは感じないではいられなかった。

 コバやんは悔しさを嚙みしめる。噛みしめて親友に話を続ける。

「そう、甲賀君は、以前上海に行く前はアメリカの西海岸では有名な少年で、ストリート系グラフティアーティストだった。そのネット記事も調べたらあったよ。それだけじゃない。彼はボルダリングのチャンピオンでもあったんだ。彼はそれを隠してたけど身体能力は高いし、隠しきれないよ」

 コバやんはここで初めて会った加藤の身体能力を思い出す。彼は正にここから飛び降りた。それはロープを見事に使いながら。

「それである晩、僕等は二人で話しをしたんだ。僕が知っている事実と彼の悩みを互いに打ち明けあって、そして甲賀君はあることを決意した」

「聞いたよ、モモチさんから」

 コバやんが月を見上げる親友に何かを言う前に、その親友が言葉を押さえた。

「つまりそこで彼はモモチさんを裏切った訳だ。コバと彼はその会合で入れ替わり、コバ、お前がそこにいたんだ」

 佐山の確信に触れて、コバやんが言った。

「――『(SHINOBI)』は互いにあまり顔を知らないらしいからね。それに夜闇ならわからないだろうから」

 コバやんは一息入れて話を続ける。

「甲賀君は好きな人が出来たんだ。最初は日本の高校に馴染めない孤独があって『(SHINOBI)』に誘われて、その孤独を満たそうと活動した。でもね、それがいつの間にか、もう孤独じゃなくなった。恋人も友達もできた、でも最後が迫ってきている、それは自分の…だから僕に全てを打ち明け、そして…日本を去った」

「…去ったのか?」

 佐山が小さな驚きを見せた。

「うん」

 コバやんが答える。

「寂しいな。彼は良いアーティストだった。そして彼も僕の間違いない友人だった」

「サーチん」

 親友の追慕にコバやんが言った。それこそ自分が一番言いたいことだ。彼は叫ぶ。

「もう、やめよう!!いや、止めろ!!佐山サトル!!」

 佐山は静かに何も言わなかった。その唇が僅かに震えている。その震えの中に何を感じ得るべきか。


 ――月が見る。あれが俺の青春を照らす太陽だ。俺は夜の世界でしか生きられないんだ。


 ならば親友を照らす太陽はどこにあるのか。

 それはきっと青空の上に輝く太陽。


 まるで明暗の異なる世界。

 分かっているのかもしれない、いや、分かりすぎているのかもしれない。自分とコバの青春の輝きの違いが。


 佐山は差し出した回路を静かにポケットに仕舞った。そして月を見上げていた顔を親友へ向けた。

(……サーチん!?)

 その時の親友の顔をコバやんはその後の生涯で忘れることができなかった。短く刈り揃えた髪が風に吹かれて靡く、親友の寂しそうな顔。まるでこの世界から取り残されそうな青い翳を含んだ顔。

 彼は怪物なんかじゃない、それはピカソが青い時代にキャンバスへ描いたような美しい青年の顔だった。


 ――佐山は叫びたかった。

 コバやんは泣きだしたかった。


 だが二人はそこで互いに近寄ると分かりすぎる程の行動に出ようとした。それは自分達が幼い頃、意見が合わなかったらすること――そう、殴り合う喧嘩だ。

「コバ」

 佐山は言った。

「止めるなら、俺に勝て」

 コバやんは泣きだしそうな心を震わせる。自分は知っている。自分が一度も彼に勝てない程、喧嘩が弱いことを。

 だが、彼は拳を握りしめた。例え、負けようとも挑むのだ。

 この美しいミノタウロスに。


 うぁああああ!!

 コバやんは叫んだ。

 目前に親友が居る。

 悔しい、

 これほど心がはち切れそうなことがあるのか。


 こんな青春なら、

 吹き飛んじまえ!!

 こんな悲しい時代なら!!


 拳が触れた。それはやがて、何かを吹き飛ばす。痛みが拳から自分の心に届いた。

 生涯に一度だけだ。

 親友を殴るなんて。


 やがて、――どうと音を立てて倒れる音がした。佐山サトルは、身構えることなく親友の拳を頬に受けて倒れた。

 殴られて倒れた彼の顏には小さな涙と何とも言えない笑みが浮かんでいた。それは倒れても尚、莞爾とした笑みだった。彼は満足した。


 ――自分を止めてくれた親友がいたという自分の青春に。

 




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