93 夢の終わりが見える
(93)
真帆は記憶が無かった。
自分が覚えている最後の記憶は煙を上げた物体が自分の面前に落ちたのを見たのが最後だった。
つまりそれ以後の自分の記憶が無い。そして次に目を覚ました時は病院のベッドで点滴をしていた。
どうやって自分が病院へ運ばれたのか、どうも自分はその物体を見て、瞬間的に気絶したようで、全くそのあたりは分からない。
だから病院で目を覚ました時、何故自分が此処にいるのか不思議で、ぼんやりと点滴を見ていた。だがチューブに落ちてくる点滴液を見ながら最初に体の異変を感じたのは、目がものすごく痛むということだった。スマホを手元に寄せて自分を写せば、目が真っ赤に充血している。
(…うわ、なんやこれ)
そう言って声を出そうとしたが、喉が激しい痛みの為に声が出ない。出ない代わりに鼻腔の奥から喉奥まで痛みが走り、どうも炎症しているのが分かる。何とか無理に声を出そうとしたが、キリキリと喉が痛んだ。
(…マジ?)
そう思った時、ちょうど看護師が入ってきて点滴を交換した。その看護師を真帆が見ている。声が出ない為、言いたいことが言えないが、真帆の気持ちが目に出ている。それを汲み取ったのか看護師が、真帆の枕元に体を曲げて言った。
「どうも、煙を吸い込んじゃったみたいで、一時的に過呼吸みたいになって気絶したみたい」
(…過呼吸??煙?)
それに真帆の僅かに記憶が蘇る。
(ああ、じゃ…あの時)
真帆の脳裏に自分を包むように巻き上がる煙が思い出された。
(あれが…)
そう思ってから手を喉にあてた。それを看護師が見て言う。
「そうね。それで鼻と喉の奥が激しく炎症して、今痛みが在るはず。まぁでもね、診てくれた先生が言うには、暫くそのままで安静にしていたら鼻も喉も良くなるって」
言われて真帆は喉を手でさする。そんなことが今自分の喉に起きたら、これからのカマガエルの夏の特講はどうなるというのか。
看護師が話を続ける。
「それでね」
言ってから真帆を見て笑う。
「声はね、ほらたまに芸人さんがヘリウムガスとか吸っておかしな声になるじゃない。まぁそうはならないけど、ちょっと変声するかもしれないって」
(…変声!?)
まさにこれこそ真帆の驚きだった。それは一体どうなるというのだろうか。真帆は思いっきり体を起こした。
(…マジかっ!!)
真帆の反応に看護師は一瞬目を丸くしたが、しかし穏やかに言った。
「大変ね。でも、命に関わることじゃない。だから、今日はこのまま自宅に帰って暫く様子を見て、またおかしなことがあったら、病院へ来てね」
言うと看護師は変えた点滴を手に持って、部屋を出た。
一人部屋に残された真帆は顔面蒼白だった。看護師は自分のことを労わって言ってくれたのかもしれないが、真帆にとっては命に関わるような事と言ってもいい。
それはジャズシンガーになるという夢が消えるかもしれないという事だった。




