91 青春の傷
(91)
大木から突如飛び降りて来た身体能力。
そして盗まれて手元に戻ってきた五線譜。
それだけでない。
それについて猫加藤は飛び加藤を見て言ったのだ。
――おかしいと思ったんですよ。何故か、急に五線譜を返したいと言ったときから。…よくも、まぁ。裏切ってくれたねぇ
真帆の記憶が勢いよく戻る。そして止まった。
五線譜が盗まれた時だ。
その時、彼は言った。
――すまない。
今思えば不思議な言葉だった。
そして自分は言ったのだ。
――「隼人が謝る事じゃないよ」、と。
真帆の膝から何かが抜けて震える。
真実を知ったものが震えるのは、それがとても恐ろしく、そしてそこから逃れたいからかもしれない。
(まさか、まさか…)
飛び加藤は微動せず、静寂を纏っている。もし言葉という飛び道具を投げれば、彼は確実にその道具を交わすことなく死ぬことになるだろう。
――ならばいっそ、ここで殺すか。
この自分が。
彼の名を呼べば、すべてが消える。思い出も、優しさも、すべてが詰まった青春の夏の太陽が。
では自分はこの夏の太陽が消えた世界でどこへ向かうというのか。それはきっと帆が切れたヨットのように果てしない海原を漂うことになるだろう。
ずっと青春の傷として背負いながら。
…だが、
真帆は飛び加藤を見た。
それでもいい。
自分は
はっきりさせたい。
真帆の唇が震えながら動き出そうとした時、その唇を止める友人の声がした。
「九名鎮、何を言うつもりやねん!!勘違いすな」
動き出した唇が止まる。しかし止まった唇が反射的に動き出す。
「何でよ」
「勘違いや、君の」
優しさと諌止する感情が混じる声を放つとコバやんが真帆を振り返る。
「君は間違っている」
言うと、彼は微笑した。
縮れ毛が揺れて、それが真帆の心を撫でる。
「そう、間違ってるんだ、そうだろ?君はいつも間違えているじゃないか」
彼は真帆を見て優しく言った。
この時、真帆はもう瞼から涙が零れてしょうがなかった。
――言うな、九名鎮。
知らなくてもいい『答え』と、知っておくべき『答え』が事件にはあるんや
真帆は『秘密』ということが、もしかしたら人生の中で尊いものであることを初めて知った気がした。
やがて猫がひとりでに走り出すのが見えたのと同時に、空へ放たれたものがあった。それは煙を纏った発煙筒だった。それはやがて大きな放物線を描き、ある人物の前で落ちた。
それは、真帆の前で。




