90 僕は裏切らない
(90)
拍手が聞こえる。
真帆の耳に。
それは二人の加藤が鳴らしていた。
やがて猫を抱いた加藤が手を止めると二人に言った。
「いいネーミングですね。四天王寺ロダンに…難波なんとか寝助って」
「デンごろ寝助や!!」
真帆が素早く突っ込む。
「あ、ごめんごめん」
猫加藤の横で、飛び加藤が手を白狐面の口元に持ってゆき、くすりと笑った。
「ちゃんと覚えや!!」
「覚えとくよ。難波デンごろ寝助さん」
言うと猫加藤は猫の頭を撫でた。それから彼は横にいる飛び加藤に何かを含んだような感情を込めて言った。
「…でさ、どうして君が此処にいるの?」
その質問程、奇妙かつ確実な言葉は無かったかもしれない。
真帆がその言葉に反応する。
そうでは無いか?
だってコバやんは言ったのだ。
――僕は呼んだんだ――加藤を此処に。
(確かにそうだ…)
真帆はコバやんをちらりと見る。その表情に先程迄おちゃらけていた気配は消え、口を真一文字に結んだ険しさが浮かんでいる。
真帆は考える。
確かにコバやんが加藤を呼んだということは間違いないのだろう。しかしそれは一人ではないといけない筈だ。何故なら加藤という人物は一人以外にいるはずがない。だから――確実な質問である。
(だけどさ…)
真帆の思考の先に言葉が続く。
考えれば奇妙だろう。
今この場には白狐面の加藤が二人いる。
これはどういうことだろう。
それだけでない。
猫加藤は飛び加藤を見て言ったのだ。
――…で、どうして君が此処にいるの?
まるでそれが誰だか知っていて突き放すような意外な口調。
「――僕は加藤を呼んだんだ」
コバやんが険しい表情ではっきりと言った。その言葉を回答者が飲み込むまでの時間がどれ程かかったかはわからないが、その意味を解いた人の声が響くまで、真帆は夏が終わらない気がした。
「…そういうことね、小林さん」
言うと猫加藤は飛び加藤を見て言った。
「おかしいと思ったんですよ。加藤君が、何故か、急に五線譜を返したいと言ったときから」
飛び加藤が僅かに反応する。
「そうか、じゃぁ、あの時には既に君は入れ替わっていたんだ。小林さんと」
飛び加藤は自分を見つめる猫加藤の前で気配を消している程の静寂を纏っている。
「…よくも、まぁ。裏切ってくれたねぇ」
猫加藤が猫を撫でながら、不意に笑い出した。それは思いっきり境内に響く声で。
猫加藤の笑い声に真帆は全く意味が分からない。それにどんな意味が含まれておるのか。だが横を見れば、どうもコバやんは既にその意味を知っているようだ。そしてそれは恐らく飛び加藤も。
(知らぬは自分ばかり)
何といえない悲しみと嫉妬が真帆の心の中を過ってゆく。
猫加藤の笑い声が消えると彼は大きく息を吸ってコバやんを見た。
「ならばすべてがあなたに筒抜けになってしまっても仕方ないし、それだけじゃなく君達に会う前に僕のスマホが鳴ってさ、あることを教えてくれたのも意味が分かる」
「あること?」
真帆が猫加藤に訊く。
「まぁ、君等にどれだけ関係があるのかわからないけど、仲間がね――ゴエモンというんだけど、警察に追われてるようで」
「仲間が?追われてる?」
「まぁ今じゃ捕まってるかもだ。連絡用のアプリは消したけど、僕のところにも警察の手が届くかな」
くくくと猫加藤が笑う。
「それは、僕には関係がない」
コバやんは猫加藤に言った。
「関係がない?だって」
「そうや」
コバやんが猫加藤に答える。
「どうしてさ」
猫加藤が興味深そうに訊いた。
「僕は友達を裏切らない」
「裏切らないだって?」
猫加藤の返す言葉に飛び加藤が反応する。コバやん――いや、四天王寺ロダンは言った。
「そうさ。だから警察なんかに友達を売ることはない。僕が此処に加藤を呼んだのは、もう一度話がしたかったからだよ」
言うと彼は一歩足を強く踏み出して、力を込めて二人に言った。
「加藤!!僕はお前の正体を知っている、でも言わない。君への友情の為に」
力強く言い放ったロダンの眼差しはこれ程の悲しみと寂しさは無いと言わんばかりの感情に溢れていた。まるで加藤が大切な人だと言わんばかりに。
そしてそれを見た真帆は何故か、この瞬間、自分の中に加藤という人物の正体が分かった気がした。
(――まさか…)
真帆は飛び加藤を見た。




