88 イナヅマが走る
(88)
(…なんで、加藤が此処に?)
真帆は湧きあがる疑問こそ口にはしなかったが、睨むような視線を真っすぐに向けたまま、歩いてくる加藤を見続けた。
加藤は白狐面の下で抱えている猫を撫でながらゆっくりと歩いてくると真帆とコバやんの数歩前でピタリと止まった。
照りつける夏の日差しの中で大きな影が三人の頭上に落ちた。それは風に流された入道雲の落とした影で、餅のように大きく、とても濃い翳となって三者三様の心にそれぞれの重さとしてのしかかると、パラパラと何かを降らし始めた。
それは夏の熱を奪う柔らかい時雨。
それが雨だと真帆が気付いた時、コバやんが言った。
「加藤君」
コバやんは頬に当たる小さな雨粒を払うことなく言った。
「来てくれたね」
それを聞いて加藤が白狐面の下で笑ったように見えた。
「そうだね。…と、言うより君に呼ばれたから僕は来た」
コバやんは笑うと、愉快気に言う。
「ここなんだね」
「さぁ…それについては答えた方がいいのかな」
首を傾げる加藤。それを見てコバやんがおどけて首をすくめる。
「まぁいいけど」
真帆は二人の会話の内容が全く分からなかった。
(何を話てんねん)
真帆がイラつく気持ちでコバやんを見るがコバやんは瞼に落ちた雨粒を指で払うと、視線を加藤から離さない。
(一体、何やっちゅうねん!!)
真帆の心の蓋が沸騰して湧きあがる感情の熱量で吹き飛ばされようとした瞬間、コバやんは加藤に言った。
「雷は『神鳴り』そして雷は『厳つ霊』…全て神にまつわる。だからここ、この神社が――田中イオリが日記に書いた爆発しなかった爆弾が眠る場所で、…そして…」
言うとコバやんは大きな大木を見た。孫木々に枝に何かが居る気配を感じてから、再び加藤の方を見て言った。
それはとても低く重い声音で。
「君達――環境芸術集団「忍」が今役所や警察に対して脅しに使っている『イカヅチ』――そう、不発弾さ。それは戦時中、米軍が開発した巨大ナパーム弾。それが地中深く眠っているのがここなんだ。違うかい?」
「さぁ…ね」
加藤はしらけ切った笑い声をあげた。正しくても間違えていてもどうでもいい、そんな笑い声。
…だが、
(えっ!!)
真帆は友人を慌てて見る。
(…えぇ!!)
真帆はのけぞるように思わず目を剥いた。
側に立つこの友人は自分が知り得ない角度から、突如、何かを落として来た。それはまるで宇宙の彼方から隕石を飛来させてピンポイントで粉々に打ち砕いたような高度ですさまじい技術的な恐ろしさを衝撃として真帆に与えた。
ある意味、それは雷鳴の如くでもあり、勿論、打ち砕かれたのは真帆自身で、それは自分も少しは分かったつもりでいるというか細い自信に他ならない。
――私は何も知らんぞ!!コバやん
加藤は猫を撫でながら、コバやんを見ている。そのコバやんの側でふらつくような衝撃に打たれた真帆は踏ん張るように言った。
「…コバやん、ちょっと…一体それは、どういうこと?今言った環境芸術集団「忍」って、…今大阪でいろんな芸術の事件をやらかしてる連中よね?それが…加藤とかと関係があるん?」
コバやんは飛沫のような雨を手の甲で払う。払うと雨で髪が濡れている真帆を見た。
「大ありだよ。それでこそ、僕らの身の回りで起きたことがすべて分かるんだ」
そう言った瞬間、不意にぱっと境内に強い陽が差し込んだ。
思わず三人が手を翳す。
先程、一瞬だけ雨粒を降り込んだ雨雲が去ったのだ。代わりに雨上がりの空から眩しい強い日差しが真帆の視界に飛び込んでくる。
真帆は僅かにその強い日差しを避けて手を翳して瞼を閉じた。
そして瞼を開けた時、面前を何かが飛び降りてくる姿が見えた。
それは瞬時にロープを手から離すと、――背を向けて綺麗に着地してゆっくりと立ち上がると、くるりと回って真帆の方を振り向いた。
真帆はその姿を見て驚かずにはいられなかった。
何故なら立ち上がって自分を振り向いた姿は、紛れもなく白狐面を被る加藤そのものだったからである。
だが友人は驚かなかった。
むしろそれを当然のように受け止めた表情で彼は言った。
「そう、九名鎮。僕は呼んだんだ――加藤を此処に。…そう、もう一度友人として君と話がしたい…とね」




