85 景色
(85)
流れゆく景色を追いかけて行く気持ち。
それは届きそうで届かない様な、そんなあやふやな思いを秘めた紙飛行機を空に飛ばした時と似ているかも知れない。
現に友人のシャツを握りしめ、僅かに背の向こうに見える青空でふわりとした雲が切れるのを見て、その切れた雲がどこに流れて着地するのか、そんな答えを探そうと思った真帆の心情には、それが合うように思えた。
雲も、
自分が乗る自転車も、
一体どこへ向かうのだろうか。
やがて高速の下へと自転車は滑り込む様に進み、真帆の顔に影が濃く映ると、それが覆いつくされる前に、やがてぱっと明るい場所に出た。
友人は縮れたアフロヘアを風に靡かせて、真帆を呼んだ。
「九名鎮」
「ん?」
背中越しに差し込む陽光に目を細くして答える。
「夏ってやっぱ良いよね」
思わず、ありきたりな事を言うコバやんに真帆が笑って答える。
「何よ…まんざらでもない事、言ってさ。でもさ、どうして、あの日記の場所がわかったん?」
「うん、ほら。九名鎮…、飛行機の写真覚えてる?」
「爆撃機の?」
「そう」
コバやんの縮れ毛が風に揺れる。
「ほら飛行機…つまりあの当時のアメリカの爆撃の写真見るとさ、…大きく右U時に曲がる河川がみえるやん?」
「うん見える」
九名鎮の黒い髪が揺れる。
「それを見れば、爆撃が大阪湾から生駒に向かいてるのが分かる」
九名鎮はじっと聞いている。そして言う。
「それは…つまり?」
「…つまり爆撃は…西から東へだよね?」
九名鎮は頷く。
「…なら、田中イオリが――背を向けて逃げた方向は…?」
コバやんが頷く。
「…東になる」
九名鎮は何も言わず、ただ聞こえるペダルの音を聞いている。――もし自分があの時代に生きた女性であれば、こうして漕ぎつづけ自転車のペダルの音を聞きていただろうか?明日生き延びる自信が消え失せてしまいそうなーーそんな時代を。
(もし…そんな時代なら私は何に自分の命を懸けて生きたいと思うだろうか、ジャズに命を懸けるだろうか)
そんな自分の問いかけに コバやんがペダルを踏みこむ力が真帆の身体にも伝わり、真帆は現実に戻る。
「いやさ、良く考えたら本当に高校生活の最後の夏やない?…でもさ、なんでかこう、こんなにドキドキして驚く様な事が沢山在ってさ…素敵すぎるよ、この夏は」
言ってから真帆の頬に影が落ちる。それはコバやんが空を見上げた為にできた、アフロヘアの髪が作った影。
「ほんま言いたないけど、――この夏がずっと続いてくれたらいいのになぁ、と思うんよ」
真帆はその言葉にドキリとした。
終わりが迫る季節にさよならできないのは自分だけではないのだ。
――それは友人も。
シャツを握る真帆の力が強くなる。
真帆も願っている。
(…いつまでもこの夏が続いてくれればいいのに)
コバやんがシャツを強く握る真帆へ、空を見上げたまま言った。
「…この夏の不思議な事件をいつか忘れることがあるのかな」
その投げかけられた言葉に真帆は口元を強く締めて答えなかった。
――きっと忘れないよ。
そう言いたい。
だが、それは分からない。
いつか自分達はこの青い空から翼を羽ばたかせて鳥の様に飛び立つ。その飛び立つ先でそれぞれの人生を僕達、私達は生きて行く。
それが困難な事だと分からない程、自分は子供じゃない。それはコバやんもそうだろう。
だから、素直に答えられかった。
友人の未来への疑問に。
僅かな沈黙が友人の思考を変えさせたのかもしれない。
コバやんは言った。
それはひとりの探偵として。
「この事件ってさ」
そう切り出すとコバやんは頭を掻いた。だが上手に自転車を操作する。
「沢山の言葉があってさ、それが一つ一つ謎としてあるんだけど、やがてそれをひとつひとつ解きほぐしていくと、やがてそれぞれの『答え』が鎖の様に繋がって、ピーンと音を立てたんだ」
真帆は風に吹かれるまま自転車を漕ぐ探偵の言葉を背中越しに聞いている。自転車は中之島の川沿いの倉庫を抜けて、やがて橋を渡りはじめる。
中之島公会堂が見えた。
赤い、いや橙色とも言うべき煉瓦の側を自転車が抜ける。
「それで?」
真帆が訊く。
それはまるで物語の最後を急かさない口調で。
「…うん、まぁそれで僕に分かったことというのは知らなくてもいい『答え』と、知っておくべき『答え』が事件にはあるんやなぁと」
「知らなくていい答えと知っておくべき答え?」
不思議そうに真帆が友人に訊く。
「そう、…僕は秘密を作るために、この事件に参加したようなもんだよ」
「うふ、ごめんちゃいね、探偵殿。それは責任があるけど、でもね…駄目よ」
真帆はイヒヒと笑うと頭を友人の背に押し当てた。
そして暫くそうしてから息を吐くようにして頭をコバやんの背にぐりぐりと押し付けた。
「言いなさい、四天王寺ロダン。全部よ、この難波デンごろ寝助には…全部。でないとこのままぐりぐり攻撃を止めないから」
言って真帆がぐりぐりする。その優しい攻撃にコバやんが背を仰け反らせる。
「こ、こらっ、九名鎮!!やめろ、自転車がこける」
「やめへん。全部話す迄はね!!」
真帆はぐりぐりを止めない。
いや、止めたくなかったのだ。
――そう、この夏を終わらせたくなくて。
ぐりぐりしながら真帆は急に切なくなってしまい不意に涙がぽろぽろと溢れてきて、顔を上げることが出来なくなった。
コバやんはそんな真帆を振り返ることはなかったが、僅かにシャツに触れる何かを感じると自分の気持ちが湿って湧き上がるのを感じた。
自転車はやがて二人を運んで行く。
それは夏の終わりを告げる場所かもしれない。
やがてコバやんがキュッとブレーキレバーを引く音がして二人を乗せた自転車は静かに止まった。
自転車が止まった場所。
そこは都会のビル群の中で大きな木の緑が陽光に映える大きな神社だった。




