67 たぁ爺
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――田中イオリの甥、
その名は『たぁ爺』
真帆は自習室に入って来た初老の司書の顔をまじまじと見る。
髪を短く切って細いフレームの眼鏡をかけている。いかにも本が好きだという気分が全体から出てきて、正に図書館に住むべき人物とも言える。
この『たぁ爺』との接触は意外と少ない。普段は別の女性司書が居て図書の貸し借りはその人としている。
この『たぁ爺』はどちらかと言うといつも奥の席に居てパソコンに向かって事務的作業をしている。
その人物が今自分達の目の前に資料を持って現われ、それだけでなく自分達の謎ともいえる答えを手元に引き寄せる人物として現れた。
心象世界の五里霧中から現れた人物。
――正に忍者。
ドスンと本を置く音で真帆は現実に引き戻された。友人の声が目覚ましの様に響いた。
「あんがと、たぁ爺」
コバやんが手放しで喜ぶ。その様子を見ながらたぁ爺が席に腰掛ける。
「小林君、君はいつも変なものを私に頼むけど、是も中々やね」
と言いながら資料の上に置いた電子タブレットを渡す。
「はら、そこの画面を開けば――君が言っていた伯母の日記の電子ページにアクセスできる。あれは大阪市の空襲記録資料だからこの図書館にも置けないんだよ。だから電子化された日記しか見れない。勿論保存されているのは全てのページが網羅されているから大丈夫よ」
聞いてコバやんがタブレットを手に取り画面を開く。それから指先を動かし、アクセスする。
「おっ、見れた」
顔をたぁ爺に向けてにこりと笑う。
その様子を真帆はまじろぐことなく見ている。
(どういうこっちゃ…)
そんな気分である。
何故か急に自分だけ外の世界に放り出された感がある。今まで楽しく乗っていたメリーゴーランドから席ごと宙へと飛ばされた、そんな気分。
あきらめと言うか、
残念と言うか、
ほんまになんやねんと言う気分が顔に浮かび上がってきているのが自分にも良く分かった。
強烈な疎外感。
そんな中に一人落とされた自分を見てコバやんが頭を掻きながら言った。
「…ああ、ごめんごめん。急展開な事になったよね?そう、そう実は僕もついその事をさっき知ったばかりなんだよ。
実はたぁ爺にさ。大阪の古地図と田中イオリの日記の写しとか図書館に保存してないか訊いたんだよ。そしたらさ…たぁ爺が言うんだよ。――伯母の日記の事を在校生で訊かれたのは小林君が初めてだよ、ってね」
「…伯母の日記を?」
真帆がたぁ爺に言う。
たぁ爺が頷く。
「そう、私の伯母のね」
「じゃぁさ」
真帆が急くように訊く。
「加藤ってお孫さんやろ?加藤段蔵。知らへん?」
それを聞いてたぁ爺がコバやんに目配せする。その目配せに既に答えがでいる感じした。
コバやんが言う。
「…うん、其れさ。九名鎮が今訊く前に既に僕がたぁ爺に訊いたんよ。そしたら…そんな名前は親戚に居ないって…」
言うと眉間に皺を寄せて頭を掻いた。
その頭を掻く仕草が妙になんというか歯がゆいというか、コバやんにはもう一つ何か喉に引っかかっている小骨がある様なそんな仕草に真帆には見えたので、何かあるなと思うと声に出して訊いた。
「…コバやん、何かあるね」
ピタリと頭を掻く指が止まる。
(ビンゴ)
真帆が詰め寄る。
「何よ、隠さないで言ってよ」
コバやんがうーんと唸る様に頭を掻く。何か余程謎めいた何かにぶつかっているようだ。
だが、真帆は待ちきれない。
席ごと飛ばされたメリーゴーランドへ自分が戻りつつある。
さぁ、言え。
「コバやん!」
真帆が声を上げる。
すると彼は指を止めて言った。
「…『たぁ爺』というのはさ。九名鎮が知ってるかどうかはわからないけど…田中の爺さんと言う意味で『たぁ爺』なんだ」
「そうなん?」
「そう。それで本当の名前は田中吾郎。でさ、実は田中イオリのお孫さんというのが実は一人学園に居てね…これは僕も勿論知らなかったんだけど」
(えっ…?)
真帆が驚く。
その驚く友人の顔を見ながらコバやんはふぅと息を吐くと言った。
「そのお孫さんと言うのが――ほら音楽科の鎌田先生。『カマガエル』なんだよ」
この瞬間、真帆の驚く顔は見たコバやんは正に青天の霹靂から落ちてきた稲妻に打たれたカエルの様だと思った。




