66 歴史
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思えば、そうした歴史的背景は意外と全然知らない。いや、知らないというか興味が無かった。
そもそも卒業式で歌う為に音楽科の学生恵はこの独唱譜を目指して努力している。自分もその一人で、謂わばそれ自体の効果しか追ってこなかったし、歴史的背景というものを知らずとも特に問題は無いというのが自然と自分に出来上がった価値観だった。
(…温故知新、自分も隼人と変わらんな)
思わず心の中の言葉に恥ずかしくなる自分が居る。
それに気づいたか分からないがコバやんが顎に手を遣って微笑する。
「まぁええんちゃう?知らんくても。だから物資の乏しい頃だし、そうした意味合いもその辺の歴史的背景と符合するから、紙も大事にされて、それでこうした包装紙で五線譜を書いたんだろうね」
コバやんが五線譜を手に取り指で挟むともう一度、窓に翳す。
「この五線譜はさぁ、入学式とか卒業式とかに校長室の前でガラスのディスプレイに入って飾られるやん?そん時に横にプレートも置かれてそこに書いてあるだよ、校歌の歴史がね」
友人を責めない口調の柔らかい眼差しのままコバやんが言う。
「それでさ。その時、同じように横に置かれたぼろぼろになった一冊のノートが置かれてるんだけどね。知ってる?それが当時作詞者の田中イオリが書いていた日記なんだよ」
もはや真帆にはその辺の事情が全然分からない。
卒業式や入学式でこの歌詞が校長室の前で飾らていたとしても、ほぼ、ヘッドフォンをして過ぎて行く自分でしかない。
もやはある意味伝統を背負う独唱者としての教養も品性も無いという事が身に染みて分かる。
ともすれば自分はコバやんからそうした足りない部分を補う為に特別講義を受けているようなものだ。
もはやイヒヒと乾いた空笑いするしかなかった。
田中イオリと自分を繋ぐ線は時代を経て余りにも断線しすぎているようだ。
だが、面前の友人はその断線を繋ごうとしたようだ。翳した五線譜を机の上に置くと言った。
「だからさ、強力な助っ人を頼んだよ。その辺の歴史的事情に詳しい人に」
真帆がぽかんとした顔でコバやんを見る。彼女の疑問が浮かんだ唇が動く。
「…ちょ、それ、どいう事?」
「うん、…あ、ほら、来た来た」
コバやんがにんまりと笑うその視線の先を振り返る。するとそこに電子タブレットと数冊の資料を持って入って来た人物が居た。
その人物を見て真帆が思わず声が出た。
――コバやんが言った強力な助っ人
それは…
「九名鎮、ほら、司書の『たぁ爺』。実はさ、たぁ爺、聞いたら田中イオリさんの甥っ子なんだって」
それを聞いて真帆が席から飛び上がるほど驚いたのは無理も無かった。
まるで五里霧中の中から謎の答えをぐっと自分の手元に引き寄せてくれる人物が突如現れたのだ。
真帆の心象としては資料を抱えて入ってきたたぁ爺はまるで秘密を届けに来た忍者に見えた。




