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63 荒月

(63)




(…おらんのかい、カマガエル)

 久々の特別講義に来た真帆は白けたような表情で自分宛てに書かれた課題用紙を手に取り、溜息をついた。

(まぁ、しゃーない)

 バッグを肩から下ろしてピアノがある防音室へ入る。入れば後輩の男子生徒がピアノの前で座って会釈をした。

「うん、宜しく」

 真帆はそう言うと譜面台を引き寄せてピアノの音階に合わせて発生する。腹式呼吸の強い声。

 ソプラノ

 バリトン

 アルト

 テナー

 自分の可能性はどれになるか分からない。

 男性とか

 女性とか

 性別は関係ない。

 自分は自分になる。そして夢はジャズシンガー。正直この練習がどう夢に繋がるかは分からない。ただひたすら結果だけを追う。

 そう、追うだけ。

 ならばこそだ。今は夏の空の下、ひたすら思いを籠めて練習するのだ。

 不意にピアノの音が止まった。

「…先輩」

 問われて真帆が息を吐く。

「少し、声が枯れてますね」

「えっ?そう」

「そうですよ。何か涙とかそんなのを喉に飲み込んだような声です」

 背を向けている後輩が肩を揺らす。

 笑っているようだ。

 それを見て真帆も思わず笑う。

「そうやっぱりわかる?」

「分かりますよ。そりゃぁね」

「そっか」

 再びピアノの音が聞こえる。後輩が弾き出したのだ。

 それは、滝廉太郎の――『荒城の月』

「先輩、こいつでちょっと景気づけをしましょう」

 真帆の知らない曲ではない。真帆は大きく息を吸った。

 吸うと息を吐きだす瞬間、後輩が背を向けたまま言った。

「なんせ、独唱者に決まったんですから。いっぱつこんな古曲でもガツンとやりましょう」




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