60 記憶
(60)
「隼人…?」
思わぬ人物が其処に居る。
――加藤ではなく、
其処に居たのは
昨日までの友達。
そして今日からは恋人の『彼』
「…どうしたん?それに…?」
言ってから真帆は指を指す。
「それ…」
真帆が指差す方、それは白狐面と五線譜。いや正確にはどちらを指しているのだろうか。
片方か?
それとも両方か?
甲賀が真帆を見て手に掴んだものを上げた。
それはふたつ。
そしてそのどちらかを彼女が言ったのか、確認するように視線を向けた。
真帆は指を再び指す。
「ううん、違う。違うの、ウチが指差したのは何故それを隼人が持っているのか?ってことよ」
彼女の指は甲賀が掲げた二つの隙間から彼自身を射抜いている。その射抜いた先に眼鏡見えるのは越しにいつもとは違う険しい眼差しの彼。
彼はその険しい眼差しを崩すことなく、彼女に言った。
「真帆…、今、誰かがそちら側に行かなかったか?」
「こっち?」
「そう…」
真帆が記憶を探る。彼女の短期的記憶簿中にどんなメモリーが在るだろうか。彼女は僅かに瞼を閉じて脳裏に記憶を巻き戻して映像を浮かべる。
――自分は渡り廊下の扉に手を伸ばした。
――その前は階段を上っている。
――その時、私は誰かとすれ違った。
(…そう、誰かと…)
真帆ははっとして顔を上げた。その誰かを自分は誰だか知らない。だから『誰』なのだ。
まさか…
真帆閉じた瞼を開けて甲賀を見た。
「居たんだね」
甲賀が訊く。
「居た」
真帆は答えると続けて言う。
「渡り廊下へ向かう途中の階段ですれ違った」
「誰と?」
「…それは」
返答に困る真帆に甲賀が言う。
「真帆…そいつが『加藤』だよ。そして彼が此処で僕に五線譜を渡して立ち去ったんだ」
「隼人は見たの『加藤』の顔を」
「見た」
「じゃぁ、彼は誰?」
「分からない…僕の記憶にない人物だった。あんな人物が学園に居たなんて」
真帆は加藤の言葉を思い出す。
――人間の記憶何て…知らない人物が近くを通ってもその記憶を残さない。
つまり脳細胞のシナプスが反応しないんだろうね…。
(加藤…)
真帆は思う。
(まるで心理的死角に居る…本物の忍者みたい)
「ほら…真帆」
「えっ」
急に呼ばれてはっとして差し出されたものを見る。
「これ」
甲賀が差し出したもの。
それは…
「五線譜…」
真帆は手を伸ばして天鵞絨のファイルを手に取った。
その時、甲賀の顔を見た。そこには黒眼鏡の奥で優しく微笑むいつもの彼が居た。
そうだ、と真帆は思った。




