58 夜談
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――夜の御堂筋。
平日夜の御堂筋は家路へ急ぐビジネス帰りの人が溢れ、休日の御堂筋とは異なる顔を見せる。
でもそれは精々十九時頃迄で、後は疎らな夜の帳の中を歩く人影だけになる。
そんな人影を走る車のヘッドライトが瞬時に照らすと人間を生々しく浮かび上がらせるが、やがて車が過ぎれば夜の帳に交じる人影に戻る。
御堂筋に並ぶ街路樹はそんな人影達の隠れ場になるのかもしれない。その隠れ場は勿論、この団体にとっても。
――環境芸術団体「忍(SHINOBI)」
「――モモチさん」
加藤の声がした。
車のヘッドライトが彼の顔を照らして 過ぎて行く。
加藤の問いかけに直ぐに反応があった。電話向うで閉じ込められたノイズが切れる。
「――加藤君、モモチです」
声が聞こえた。
「聞こえています。他の皆はどうですか?」
モモチの声に順に応答がある。
――ハンゾウ、居ます『少年と少女』の側っす
――サスケ『ヘクテルとアンドロマケ』の側に
すると暫く沈黙が在った。
「おや…ゴエモンが来てないね」
モモチの声がやや低くなる。少し感情が露になる。それは不満という感情。
「大事な打ち合わせだと言った筈なのにな」
モモチの低い声が聞こえた時、電話口でノイズが消え、雑音がした。
「…いますよ。モモチさん『イヴ』の前」
言ってからゴエモンの息が聞こえる。走って来たのか、息が荒い。
「いや、横断歩道を渡るのに時間がかかったのと警察がうろついてたので最初の場所から少し離れました」
その声に安心したのかモモチが言う。
「それは申し訳ない。もし君が居なければ、この打ち合わせの意味が無くなるからね」
モモチの声にハンゾウが反応する。
「…という事は…モモチさん。例の物が手に入り、遂に『イカズチ』の場所が特定できた訳ですか」
「そう言う事さ」
「じゃぁ遂にゴエモンさんの火の芸術が炸裂ってやつですかね――爆発だ」
ハンゾウが思わず鳴らした口笛の音が聞こえる。
「そういうことさ。ハンゾウ殿」
モモチの冷静な声が皆の鼓膜を震わす。
そして僅かな沈黙。それが加藤を促す。
「…では皆に報告ですね」
「お願いします」
モモチが答える。
「今、僕の手元に確かに『五線譜』があります。そしてモモチさんが言う様に、裏には消えかけている線…それをサスケさんの持つ高感度のスキャナーで読み込み、モモチさんへ送りました。それは届きましたか?」
「うん、頂いたよ。加藤君。あまりに鮮明で驚いたよ」
「了解です。それならば僕の仕事はまず一つ終了です。あとそれから、『壁画』ですが、市内の幾つかの商店街のシャッターや鉄道の高架を夜にマウンテンバイクで移動しながら描いてます。街がどんどん彩を変えてるのが嬉しいですね」
モモチが言う。
「学校はあれで良かったのかい?」
「まぁあれはサスケさんの協力でやってみただけです。反応は…まぁ同級生に酷く言われましたけどね。『壁画』は中々理解されない」
くすっという誰かの笑い声。その後に乾いた笑い声がする。
「落書きだと言われたかい?君の見事な『壁画』が」
「それに近い反応です」
そこで加藤のノイズが消える。
「皆…」
モモチの声が夫々の鼓膜奥で響く。
「加藤君が手に入れた『五線譜』。それを僕が手にしている別の物とつなぎ合わせると、ある地図が完成した。
そしてやはりこれは僕の見込み通り、昭和の初めの頃の船場本町界隈を描いた地図。
祖母は船場にある伯母の処で泊まっていた時に大空襲に遭った。
彼女は逃げ惑う中、落とされた巨大な爆弾が爆発せずに地面に残されたままなのを記憶したんだ。
つまり僕の祖母――田中イオリが大阪大空襲の時に逃げながら見た不発弾『イカズチ』。
そしてその場所が遂に特定できたことで僕はこれからあちらに僕等団体の芸術活動に必要な資金をずっと、ずっと出し続けてもらう為の交渉をする」
モモチが話すことに皆が黙って聞いている。まるで政治家の演説のようにも聞こえるモモチの声。
「芸術で生活を豊かにさせる為には多くの芸術家が豊かに暮らせなければならない。それには潤沢な資金が必要だ。大阪はね、これから現代芸術を生み出し胎動させる子宮にならなければ真に国際的な都市にはなりえないだろう。今夜はそんな祝いを兼ねてサスケ君が市内の幾つかに仕掛けた映像――プロジェクションマッピングが深夜の街を彩るんだ」
「そう、僕のちっぽけな風船アートなんて目じゃないっす」
ハンゾウのちっぽけな皮肉に皆が一斉に笑う。笑いの後、間を措くとモモチが言った。
そこで間を措くとモモチが言った。
「じゃぁ、話そう。僕達が必要とする――その『イカズチ』の眠る場所はどこ。それは……」
モモチが言い終えた後、加藤以外の電波が消えた。
加藤はモモチと繋がっている。それは元々この会合が終わった後、二人きりで話がしたいと言っていたからだ。
二人を繋ぐノイズが線の様に御堂御筋線上に引かれている。
モモチが其処に居るのか。それを加藤は知らない。モモチ以外の仲間は所在を伝えるが、モモチは言わない。
それでいいのかもしれない。
忍を纏める棟梁であれば。
「加藤君、…で、君の話を聞きたい」
問われて加藤が言う。
「モモチさん。例の『五線譜』ですが友達に返していいでしょうか?」
「返す?」
「ええ、僕はモモチさんにこいつのデータを送りました。もうそれで『イカズチ』の場所は特定できたのでしょう?ならば用済みの筈」
「確かにそうだが…それを返してもどうなる訳でもない。僕が原本を預かろうと思っていたけど」
「いや、こいつを必要としているんですよ」
「友達が…かな?」
ふっとモモチが笑う。それは加藤の心の中の感情を読み取ったかのような笑い。それを勘ぐられた加藤は、だが堂々と言う。
「ええ、大事なね」
言って一気に語気を強める。
「その友達には夢があるんです。だから返したい。僕も同じ学校の生徒なんでコイツの意味が分かるんです。だから…」
そこで加藤は咳をした。
「モモチさんにとってはこの五線譜を彼女から奪うのはあくまでもイカズチの為でしょう?別に他に目的は無いはず。だったらもう無用の物、なので返したいんですよ」
少しの間が在って、モモチが答えた。
「…その通りだ、では任せるよ、加藤君」
この一言でモモチの裁定が下りた。
「後は君に任せます」
この一言でモモチの裁定が下りた。
「後は君に任せます」
加藤が言う。
「ありがとうございます」
「で、どうやって返す?」
モモチが興味深そうに訊く。
「――加藤、に任せようかと」
モモチの乾いた笑い声が響く。
「成程、それは妙案だね。正しいようで正しくない、混沌とした仕事ぶり。正に忍者だね」
そこで笑い声が消えた。
――では、後は宜しくお願いします。
そう言い残すとモモチのノイズが消えた。
加藤はスマホをズボンのポケットに仕舞うと近くに停めていたマウンテンバイクに乗る。
その瞬間、御堂筋を行く車のヘッドライトが顔を照らしたが、誰もその素顔を見たものは居なかった。




