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50 後悔

(50)




 ――やられた、と真帆は思った。


 その瞬間から真帆の頭脳は記憶の巻き戻しに掛かる。とは言え、自分が油断していた時と言うのは、正しく――55アイスクリームに居た時以外にない。

 真帆は自分の好きなストロベリー系のアイスをカウンターで買うとそのまま店内でアイスを口一杯に頬張りながら、甘美な天国の世界を口の中で感じていた。

 店内ではスマホを見ていた。動画だったような気がする。

 うん、そうだ、動画だった。

 真帆の心がツィートする。

 イギリスのケルト音楽の声楽をイヤホンで聞いていた筈だ

 だがバッグはと言うと自分の横に置いていた。

 真帆は記憶をパノラマ上に展開して脳裏に残るクリーム店の広い店内の視的世界をもう一度掘り起こすが、女性客に作業着の人、後は特に――あの加藤のサングラス姿は無かったように思う。

(…うん、居なかった。そしてウチは…)

 真帆は記憶をスキップさせる。

(一時間ばかりいて、それからトイレに行って…)

 そこで記憶が停止する。

(そうだ…トイレに行ったんだ)

 通学バッグはトイレに持ち込まなかった。

 もしこれが夏休みとは言え、特別講義の日ならば人に会う為、簡単なメイク道具をバッグに入れてトイレの鏡で直しするから持ち込むのだが、その日はコバやんだけに会うのでそんな準備をすることなくファイルだけをバッグに仕舞っていた。


 つまりそれがいけなかった。


 トイレには財布とスマホ。

 そしてバッグを席に残したことが。


(あっちゃ…)

 だがまさかである。

 そこまでしてあの五線譜を奪いに来るとは思わなかった。

 真帆はどこか今までの加藤のことはちょっとした遊びの様な感覚で物事を捉えていたかもしれない。

 つまりこれはちょっとした遊びでどこにもマジで扱うようなことは無い唯の悪戯に過ぎなく、その枠を超えることがない青春のちょっとした退屈しのぎ。


 自分が持つ五線譜は学園の伝統で長年大事にされたものである。これは紛れもない事実だ。

 しかし加藤のことはあくまでフィクション――いや、演劇だろう。

 自分はそんな良くできた人生劇に出ている役者に過ぎない、それは隼人もコバやんすらも。つまり有り得ないノンフィクション。

 だが、ここで真帆は現実を突きつけられた。それは自分が紛れもないノンフィクションの世界に居ることを認識させられたのだ。

(…どうしよう)

 マジで泣き出しそうな自分が居る。

 自分は加藤の前で言い放たなかっただろうか?


 ――あれには学校を卒業した音楽科の学生の色んな想いが籠ってんの!!


 自分は吼えなかったか?


 ――そんな気高い友情がこれには籠ってんの!!


 言ったよな?自分は


 ――加藤!!何でも自分に都合よく合理的に考えるなっちゅーのっ!!


 そんな学園の想いと歴史のある五線譜を奪われたのは誰のせいだ?


 悲しみが真帆の背にのしかかり、やがて涙がじわりと湧いてくる。五線譜を失くしてしまった自分はとてつもないことをしでかしてしまった。

 両手で顔を覆いながらベッドの側で泣き崩れる自分に誰が手を差し伸べてくれるというのだろうか。

 真帆は垂れ落ちる黒髪の中で嗚咽まじりに鳴き始めた。これ程後悔したことはなかったかもしれない。

 自分と言う甘さが、こうした悲劇を呼び込んだのだ。

 悔しかった。

 辛かった。

 何という哀しみの中に孤独は在るのだろう。


 コバやんは学園の裏林で自分に言った。


 ――何か加藤から孤独を感じるんだ。


(私もまた孤独や…)


 ――孤独はさ、皆あるよ。コバやん


 自分はコバやんの孤独に触れた時、そう慰めの言葉を言った。

 じゃぁ誰が今の私の孤独に慰めの言葉をくれるというのか。

 そう思った時、スマホのチャットアプリに着信があった。

 真帆は涙目で画面を見た。


 見れば隼人からの着信だった。





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