44 芸名
(44)
(…寝とるな)
真帆が思った瞬間、雑木林がざわついた。
風が吹いたのだ。
此処の雑木林がざわつくと渡り廊下へと風が抜けて行く。
夏の暑い最中とは言え、この雑木林の中は涼しく自然の冷蔵庫と言える。それだけでなく、ビル風の通り道なのか、元々風の通り道なのか、熱を奪い去る風が吹き抜けて行く為、選り快適になる。
夏のひと時を此処で眠ることが出来るのはもしかしたら自然が与えた最高の贈り物かもしれない。
真帆は静かにコバやんに忍び寄るようにして歩くと、静かに顔を覗き込んだ。
見下ろす視線の先にコバやんの顔が見える。良く見れば頬骨が赤くなっており、夏の日差しで焼けている。
おそらく昨日の加藤の追跡劇で焼けたのだろう。縮れ毛のアフロは夏風に揺れている。
コバやんは瞼にのしかかる真帆の影の重さに気づくことなく、静かに寝息を立ててている。
それを見てイヒヒと笑う真帆。
(いっちょ、起こしてやるか。…探偵さんを)
思うと真帆は細くて長い指をコバやんに伸ばして、それから日焼けした頬骨に押しあてる様に近づけると頬をパチンと音を鳴らして弾いた。
日焼けした頬骨に痛みが走ったのか、コバやんはビクッとして目を覚ました。それから視点が定まらぬ眼をうろうろさせながら、やがて半身を起こした。
コバやんに真帆が言う。
「起きろ、コバやん。、出番やぞ!!」
図書館で彼を起こした時とまんま同じセリフを言う。
半身を起こした彼はその声で真帆を認識したのか、頭を掻いてゆっくりとベンチから足を下ろして、手を上げた。
「ういっす、九名鎮。おはよう」
「おはようちゃうわ。また寝てたんかい」
真帆が笑いながらコバやんに言う。髪をボリボリ掻きながら彼は首を縦に振る。
「…そうそう、色んなことを考えていたらねぇ、眠くなってね」
それを聞いて真帆が言う。
「何?昨日の加藤の事?」
「…まぁ、それもある…」
真帆がほぅと言ってコバやんの横に座る。
「何?他にも何かあんの?進学の事とか?」
「ちゃうよ。…そう、あれさ、芸名の事」
「芸名?」
「まぁ役者名かな。もし大学受験が上手くいったら、本格的にどこかの劇団に入って役者活動したくてさ、それで此処で色々考えていた」
若者の夢に熱を感じたのか木々がざわついて葉がすれる音がすると風が吹いた。まるで夢の熱を運んでやがて夜空に輝かせるかのように。
「へぇ…?それでいいのあったん?」
「いや」
コバやんが真顔になり、きっぱりと言う。
「無い」
それを聞いて真帆が笑う。
「ウチさぁ、コバやんはてっきり昨日の追跡劇で熱中症になって頭おかしくなったんちゃうかと思ってたから、今日は自宅で療養やと思ってたわ。それなのに、此処に来てそんな事考えてたん?」
「そうやねん。まぁ補講は爆弾騒ぎで駄目だけど。別に此処で考え事しながら居眠りするのは良いんちゃうかと思ってね。やっぱなんだかんだ言っても自然の中に身を置くことが一番やろうし」
コバやんが笑う。
真帆も自然に釣られて笑う。
「なぁるほどね。でも中々そんなん思いついて行動する人おらんよ。きっとコバやんだけちゃう?」
「そうかな?」
コバやんが真帆を見る。
「そうやって」
「うん」
コバやんが頷く。頷くと鼻頭を軽く指で掻いて真帆に言った。
「それでさ、…加藤の事なんやけどね」




