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四天王寺ロダンの青春  作者: 日南田 ウヲ
青き春と炎
27/107

27 真帆と探偵

(27)




 特別講義を受けながらも真帆の中で湧くような感情が止まることがない。湧くような感情と言うのは、純粋に――怒りかもしれない。

 自分の学び舎ともいえる校舎の壁にああした落書き(グラフティ)をされたことに対する怒りだ。

 学校に対する愛着というものを自分が普段どれ程持ち得ているかなんぞ、今まで深く自考した訳では無いが、唯、それは水底に静かに堆積されているのだと思わないではいられない。

 だからこうまで校舎を汚された怒りと言うのがその水底からふつふつと泡のように湧き上がってくるのだ。


 ――あれは落書きじゃない。ちゃんとしたアートだ。


 だが、甲賀が言った言葉を真帆はそう理解しない。

 単純に、


 ――ウチの校舎(かお)に泥を塗った


 そんな単純(シンプル)さで壁画(グラフティ)を理解した。


「真帆、世界のアートに対する理解がねぇなぁ」という甲賀の声が聞こえそうだがそうじゃない。

 決してアートに対する理解が少ないとかそう言った事を言っているのではない。先程、カマガエルに訊くと――この壁画(グラフティ)は昨晩深夜に描かれたのだろうと警察は職員に言ったそうだ。

 となれば無断だ。

 要はするならするで、ちゃんと手順を踏め!!という事なのだ。まるで盗人のように無断で誰も居ない校舎に忍び込み、こうした壁画(グラフティ)をしてゆくことを作品の結果が例え「アート」であったとしても、どうなのかと言うことなのだ。

(…うぬぬぬ、許さぬ!!)

 もはや怒りで膨らんだ真帆には今日の特別講義は意味が無きものになりつつあるかもしれない。

 そして特別講義に時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。


「良し!」

 真帆はバッグに教科書類を仕舞うと音楽室を出た。

 出るとそこにコバやんが居た。

 正門で壁画(グラフティ)を見た後、夫々別れたが、そこでの補講が終われば真帆の音楽室で待ち合わせをすることに決めていた。それは昨日真帆が加藤に待ち伏せされたという事実があったからだ。

「コバやん、ごめん」

 彼は手を軽く振る。振るとヘッドフォンを取る。

「いや、全然。あ、そうそう、甲賀君さ、ちょっと用事で先に帰るってチャットが来たよ」

「あ、そうなん」

 真帆が下駄箱から靴を取って履くと紺色のスカート先を手で払って歩き出す。

 音楽室から出て来る学生はいない。廊下は夏休みそのものだ。

 一声もせず、時折グランドから響く運動部の声が聞こえるが、まるで無人のトンネルを歩いているような感じだ。その無人のトンネルを二人並んで歩いてゆく。

「コバやん」

「何?」

 コバやんが答える。

「ほんま夏休みやな」

「せやね」

「最後の夏休み、こんなんに使っていいんかな?」

 真帆を覗き見るようにコバやんが言う。

「なんで?」

「いやだってさ、最後の夏休み、二度と帰ってこない夏。なんかさ、自分の進路の為だけに使っていいのかなと思って」

 それを聞いて彼はもじゃもじゃのアフロヘアを掻くと静かに言った。

「それで、いいんちゃう。やっぱ、自分の為に使うべきだよ、夏休みって何も遊ぶことが全てじゃない。ちゃんと自分の為に努力してさ、ベストを尽くす。結果はどうあれ、それがこれからの一生、その瞬間が凄く大事だったと思える時がきっと来るよ」

 それを聞いて真帆が黒髪を手で払うと言った。

「何か、柄にもなく良いこと言うね」

 言われてコバやんが答える。

「偶には、アッシも良いこと言うでしょう?」

「そう、偶にね」

 言ってからイヒヒと真帆は笑う。笑うと今度は少し真顔になってコバやんに言った。

「あれさぁ、今朝の壁画(らくがき)。どう思うん?」

「えっ僕?」

「そうよ、その僕。ウチなんかさ、もうなんかこう…ふつふつ心の底から泡みたいに怒りが湧いて来てさ。もう特別講義どころじゃなかった」

 それを聞いてコバやんが笑う。

「笑いごとちゃうで。大事な思い出の校舎が汚れて、なんか傷付いた気分よ」

「なぁーーるぅーほどぉーー」

 参勤交代の殿様の列を知らせるみたいに語尾を伸ばしてコバやんが茶化す。  

「茶化すな!…、それよりもどう?」

 コバやんは再び頭を掻いた。何度も何度も掻いてやがてぴしゃりと首を叩いた。

「…思ったんよね」

「何を?」

「いや、何人ぐらい必要なのかな…と」

「えっ人数?」

「うん、あれを描くのに。そう。それとどうやって描いたんだろうって。梯子も届かないのに」

 真帆は横で頭を掻く友人を改めてじっと見て、どこか感心するように言った。

「コバやん、ウチさ、あんなことしてどうなんかなという感想を聞いたつもりやったんやけど…、コバやんて何か同じもの見ても何処か違う角度で物事が見てるんやね。

 なんかさ、それってさ…凄く探偵ぽいよ」

「えっ、そう?」

「そうよ」

 イヒヒとは笑わず、感心した面持ちで真帆は首を縦に振った。

 そんな二人の会話が終えた時、二人は必然なのか偶然なのか、それともどこか互いに意識していたのか、昨日、真帆が加藤に出会った渡り廊下の扉の前に来ていたのだと分かったのは、その扉のノブに真帆が手を入れて回した時だったかもしれない。

 ごく普段の日常が非日常に切り替わる扉を、また真帆は開けた。

 ただ、昨日のように一人じゃない。

 後ろに探偵を従えて。


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