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四天王寺ロダンの青春  作者: 日南田 ウヲ
END OF SUMMER 夏の終わり
103/107

103 イカズチよ、静かに眠れ

(103)






 渡り廊下を抜けて二人は階段を下りた。靴を履くと裏の林へと向かった。そこは夏の日差しを避けるには一番いい場所。だが秋が近くなればそこは色づき始めた紅葉が冬を待って落ちるのを待つ場所になる。それでも学生にとっては思索をするには変わりなく、二人は林の中にある小径を歩いている。

 一つ目のベンチを過ぎ、二つ目のベンチを過ぎた。その時、背後を歩いていた神代がコバやんに声を掛けた。

「小林さん、どうして僕が――カマガエルの息子だと分かったんです?」

 それにコバやんが顔だけ振り返るといった。

「行ったんだよ。三重県に?僕」

「え?三重に?」

「近鉄やと近いからね。そう、そこに君のおばあちゃん、まぁ鎌田先生のお母さんが居るだろう。そこで、実は忍者研究と題して、君の曽祖父――百地先生は地元でも有名な忍者研究の学者やん?まぁそんなところを高校生の夏の研究課題とか言ってね。そして、お邪魔してるとおばあちゃんが言うんだよね?僕がお孫さんと同じ学校だとね」

 そこで神代は大きくため息をついた。

「そうか…なんだ、祖母(ばあ)ちゃんでばれたのかぁ」

「ま、そういうことさ。なんでも君さ、夏前ぐらいに遊びに行ってたらしいやんか。その時、裏山に行って色んな実験したらしいね」

 ふふとコバやんが笑う。後ろを歩く神代は思った。

(つまり、僕の投げた劇辛爆弾はもう調べがついたというわけか)

「あっ、ベンチだ。座ろう」

 そして三個目のベンチが見えるとコバやんは神代と共にそこに座った。そこは夏、九名鎮と共に座った場所だ。今は見上げる空は秋色が染まり、馬肥えるといった感だ。

 そこに二人腰掛ける。

 周りには誰も居ない。

 風は吹かず、唯、沈黙だけが二人の背に纏わりついている。

 暫く何も言わなかった二人だが、やがて痺れを切らした神代が言った。

「小林さん。それでどこにイカズチがあるんです」

 コバやんはふふとアフロヘアを揺らして笑った。

「分からない?神代君」

「分かりませんよ」

 神代が答える。言うとコバやんはポケットから五線譜を出した。そしてそれを神代に渡す。手渡された五線譜を垂れる前髪越しに見る神代。だがその表情には困惑しかない。その困惑のまま神代がコバやんに言う。

「分かりませんけど、小林さん」

「君は言ったよね、神社で五線譜に――イカズチはあるという謎を残すと」

「まぁ言いましたけど、だけど言ったじゃないですか。当てずっぽうだと」

 神代が髪を手で上げる。

「いや全然、違うよ。君は加藤に言ったんだよね。――脳内のシナプスが反応するかしないかどうかは何かを認識していないと反応しないと」

「ですけど、それが?」

「つまり、――君は知ってて、それが反応したんだ」

「何を?」

「――イカズチの場所をさ」

「どういうこと?」

 コバやんが言った。

「君は田中イオリの日記をつぶさに見ただろう?あれだけのことを考えたんだから。そこで気が付いたはずだよね。田中イオリが空襲当時居た場所がどこやったか?」

「えっ?」

 コバやんが笑う。

 声を上げて。

 それから髪を掻いて、首を叩いた。

「確かに伯母さんとこに居たのだろうか?」

 訊かれて神代が困惑する。

「ちょっ、ちょっとどういう事です!!?」

「君はさ、賢いから一瞬で知った筈だよ。でもそれをある理由で無視したんだ。脳内のシナプスが――そんなことないだろうと、イカズチがそんなところにあるなんてという拒絶反応をして」

 神代はますます困惑してゆくが、しかし、その瞬間、声が出なくなった。そして――まさかという気持ちが浮かんできた。

 それを見てコバやんが言う。

「――その『まさか』だよ。そして五線譜は勿論、地図さ。でも、もっとより具体的なあるものを形作らせてる。だから本当にイカズチのある場所を指しているんだ。それは幼い頃――君は三重県の祖母ちゃんのとこに泊まりに行くと聞いていた筈だよ?」

 そこで神代はベンチから転がり落ちた。それから彼は地面に手を付けながらコバやんを――いや、四天王寺ロダンを見た。

(そうだとも、でも。この人は…一体、どこまで入り込めるんだ)

 その顔を見てロダンは言った。

「そう、田中イオリは船場にいたんじゃない。この天満界隈にいたんだ。当時、天満界隈に住んでいた将来の夫になる百地先生のところにね。つまり――つまり――恋、いや、当時の言葉で逢引き…まぁ、『先生と学生』そんな禁断の恋をしてたんだ。そしてその場所から本当に田中イオリが逃げ込んだ路線を追えば、実は此処なんだ。この林の下に本当の巨大なナパーム弾『イカズチ』は眠ってる。だからあの日記は…」

 コバやんはくすりと声を出して笑った。

「戦時中のまぁ若い二人の恋を隠すために書いた田中イオリの『(シナリオ)』さ。そして君がそんなことはないと反応したのは、それがばれるとあれは学園の大事なものだし、大阪の歴史を示すものとして大事にされてる遺産だから、それを『嘘』だなんて言えないと脳が反応して消したんだろうね――たぁ爺に訊くとその話には惚けて素知らぬ顔をしてたけど、どうも家族全員で秘密にしてたようだね」

 苦笑するロダンの側で無言の神代、いやこの時の彼はモモチがロダンを見ている。


 モモチとロダン。 

 これは難波の空下で続く果てしない演劇の役者同士。


「…はっきり言うよ。この五線譜は――ベンチの数で音階はベンチの標高とポジション。つまりこの学園の林、いや…横から見るこの小高い山を指してるんだ。田中イオリは――イカズチについては『嘘』なんかついちゃいない。そのことを聞いた…誰か、恐らく東珠子だろうけど、彼女がそれを聞いて、こんな暗号を仕掛けたんだろうね、だって非常に凝ってる。そんなこと出来るのは学園を建てた彼女ぐらいしか居ないだろうね、まぁどうしてこんなことをしたのか、そんな彼女の心中を推し量る事を僕は出来ないけど…しかしこの場所こそ――本当のイカズチの眠る場所さ」

 言うと地について見上げる神代に手を指し伸ばして言った。

「さぁ僕等は最大の爆弾を隠す共犯だ」

 言ってから彼の手を引いて立たせる。

「まぁ、これは全て事実だよ。だって五線譜の事を聞いたらさ、僕に自慢げに言うんやもん。その夜に身籠って生まれた私、このお祖母ちゃんやと。自分は大阪の歴史と共に生きてるんやでって」

 それからロダンは神代のズボンの泥を払った。

「さて、終わろうか。全て、これでね。ちなみに最後に教えてほしい。なんで『(SHINOBI)』を創ったん?そしてどうしてあれほど固執した五線譜を、僕に――いや加藤に返したのさ」

 言うとモモチは少し黙ったが、ぽつりぽつりと話し出した。

「芸術が好きなんだ。でもさ、本当は孤独でそれを慰めたいだけだったのかもしれない。親父とおふくろは離婚した。それだけでも十分子供には孤独さ。小林さん、あなたが会合で入れ替わったあの御堂筋はね、離婚した両親が僕をどちらかに会わす時、待ち合わせていた場所だった…」

 ロダンは黙って聞いている。名優の幕引きの言葉を傾聴する観衆のように。

「そこで僕はいつもどこそこの彫刻の前で待ち合わせを二人にお願いしていた。つまり僕の孤独は美しい芸術作品の前で初めて家族の温もりを感じることができたんだ。そして僕は現れるどちらかを待ちながら――そう、思ったんだ。もし色んな所にいる孤独な奴を集めて芸術活動を起こしたらどうだろう?人が集まれば孤独は無くなる、そして集まった孤独が芸術を産めば…こんな素晴らしい芸術作品を街に唯置いて無関心の人々の心を、いや、この大阪を変えることができるんじゃないか、それにはもっと芸術を理解してもらわなければ…」

 彼は少し顔を上げた。上げると目を細める。

「曾祖母のことは馬鹿にしちゃいない。確かに利用したけど…でも、日記にあった――やがてこの街は復讐する、という台詞が好きなんだ。それで、決心して創った。街を変える英術グループを…」

 モモチはそこで大きく息を吐いた。それからロダンを振り返ると、彼は微笑を浮かべた。それは孤独を背負った若者の限りなく美しい微笑みだった。

「そしたら僕も孤独じゃなくなった。信じる仲間ができたからね。だからその仲間が返してほしいと言えば…、返すしかないだろう、仲間なんだからさ」

 モモチが話し終えるとロダンは思った。

 夏ここで――仲間と話をしたことを。

 その時、彼女は自分に言った。



 ――「孤独はさ、皆あるよ。コバやん」


 その言葉を思い出した時、不意にロダンはポろぽろと涙が零れだして仕様が無かった。それをモモチが感慨深く見ている。やり抜いた互いに、もはや言葉は無い。

 ロダンは空を見上げた。ここから見上げる空に、もうあの夏の日差しは見当たらない。

(僕等の最後の夏は本当に終わったんだ)

 溢れてくる涙が口に入った。檸檬の酸味のような苦みを舐めて、ロダンは思った。


 あとは自分達の最後を飾るだけだ、と。







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