中編
「何奴!」
フドゥはガバッと顔を上げて、遠眼鏡も上に向ける。
部下たちとは違う声。それは頭の上から降ってきたからだ。
聞こえてきた声の方角を頼りに、ふらふらと遠眼鏡を動かしながら探す。やがて視界に入ってきたのは、大木の枝に腰掛ける男の姿だった。
フドゥたち王都守護騎士とは異なり、金属鎧は着ていない。庶民向けの服屋で売っているような、黄色い半袖シャツと紺色のズボンだ。しかし肌の色が青っぽく見えるのは、どういうことだろうか。夜間に遠眼鏡を介しているからだろうか。
一瞬そう思って遠眼鏡を外してみたが、肉眼では、男の姿は夜の森に紛れて見えなくなってしまう。仕方なくフドゥは、再び遠眼鏡越しに青い肌の男を捉える。
「貴様は何者だ? こんなところで何をしておる?」
北のアシュラン共和国か東のブロンケ連邦あたりの密偵ではないか。そう詰問したい気持ちもあったが、そこまで具体的な言葉は口にしなかった。
「たぶん、あんたたちと同じだぜ。おっさんたち、あの遺跡に乗り込むつもりなんだろ?」
フドゥたち先行小隊の役割は、本隊より先に遺跡に突入して、内部の様子を探ること。基本的には偵察任務だが、敵に発見された場合は大騒ぎで暴れ回って敵の目を引きつける囮となる、という陽動任務も兼ねていた。
どちらにせよ『あの遺跡に乗り込むつもり』というのは間違いなかった。
だが、怪しげな男にわざわざ告げることもあるまい。あえてフドゥが答えずにいると、青い肌の男は、独り言の口調で呟く。
「おっさんは『由緒正しい遺跡』とか言ってたが……。まったくだぜ。あそこは昔、サタンの旦那が作った砦だからなあ」
「サタン……だと?」
相手するつもりはなかったのに、ついフドゥは聞き返してしまった。サタンといえば、伝説に出てくる魔王の名前だ。神族と魔族が争ったという神話の中で、大魔王の側近の一人として語られる魔王だった。
「ああ、サタンの旦那だ。もしかして、おっさん、知らなかったのかい? 『夏の夜』とかって名乗ってる連中、魔族と手を組んだんだぜ。それで魔族の遺跡の一つを使ってるんだ」
「馬鹿な……!」
フドゥは叫んでしまった。魔族なんて、伝説の存在ではないか。確かにモンスターと呼ばれる魔物は実在するが、それと魔族は別物だ。魔族は神話の中だけに出てくる、いわば空想の存在のはず!
「そう、馬鹿な話だ」
青肌の男はフドゥの言葉を肯定するが、まったく違う意味だった。
「魔族のくせに人間と手を組むなんて、馬鹿を通り越して許せねえ! 魔族の風上にもおけねえ! いわば裏切り者だ! だから、この俺が討伐しに来たのさ!」
吐き捨てる勢いで叫ぶ男。もはやフドゥの言葉を聞く気もないようだった。
「いや、わしが言ったのは、そういう意味ではなく……」
「じゃあ、先行くぜ!」
と言い捨てて。
青肌の男は大木の枝を蹴り、夜の空へと消えていく。
その姿を遠眼鏡で追ったフドゥは、再び信じられないものを見てしまう。
いつの間にか、青肌の男の背中には、赤い翼が生えていたのだ。
男はその翼を用いて、夜の闇の中をすいすい飛んでいたのだ。
「フドゥ隊長! あれって……」
「気にするな。おそらく飛翔魔法の一種だ」
自分でも信じていない言葉で部下を遮ってから、フドゥは気持ちを切り替えて、号令を出す。
「余所者に遅れるな! わしたちも砦に乗り込むぞ!」