不安な朝 1
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気を失って倒れたラーラは、翌日の女学校を休んだ。
そして、なぜか朝から部屋に籠城して、一番古株のレディスメイド以外、入室すら許さない。
伯爵は呆れ、「あれの血筋だけあって、やることが同じだ」、と吐き捨てるように言った。
あんまりだ、とローザリンデは思ったが、結局、何度メイドに取次を頼んでも、ラーラは顔すら見せようとはしない。
それでも、この屋敷の主である伯爵が「引きずり出せ」とでも言えば、きっとこの籠城もあっという間に陥落してしまうのだろう。それをしなかっただけ、父は落ち着く時間を与えたのかもしれないと、良いように考えることにした。
いつのもように、レオンの世話をしながらケイティの文字の学習に付き合い、その合間に朝食を摂る。
今朝は、ローザリンデの好きなペストリーが用意されていた。
それをミルクたっぷりの紅茶と一緒に口にしながら、あとで厨房を覗いて、コック長に美味しかったと伝えようと考える。
ふと窓から外を見れば、中庭の背の高い銀杏の木の紅葉が美しく、まるで何の問題もない穏やかな朝のように錯覚してしまうほどだ。
実際には、三階には自分の本当の身分を突き付けられ、不穏な気配を漂わせているラーラが立てこもり、執務室には、領地から王都へやって来た、ローザリンデの将来だって勝手に決めることが出来る父がいる。
前の時、何の前触れもなく、突然紙切れにサイン一つで王立学院を中途退学させられたことは、ローザリンデの心に大きな瑕疵を残していた。
だから、いくら自分の希望を聞くと言われていても、どこかでまだ、父親の言葉を信用することが出来ない。
それと同時に、昨日まで、動機はどうであれ、曲がりなりにも努力を続けていたラーラが、このままふつりと、また前の時と同じ状態に戻ってしまうのではないかと言う不安感もぬぐえなかった。
その考えは、その直後より、こうして時間が経って考えれば考えるほど、ローザリンデの中で大きく膨らんでいく。
その上、フィンレーからの求婚への返事という、最も大きな決断まで迫られていた。
(とりあえず、パトリックと話しがしたい)
しかし、何を話すつもりなのか。
つい昨日交わした、『隠された静寂の部屋』でのパトリックとの会話をつぶさに思い出し、幼馴染が何と言っていたかを思い出そうとすれば、もうそこに彼の答えは出ている気がする。
(わたしは、パトリックから、フィンレー様と結婚するべきだと、言われたいのだろうか…)
自己分析は苦手だ。
けれど、もし自分の希望の通りにこの人生のこの後を決めても良いのなら、もしかすると、それは誰とも結婚せず、前の時きっとそうであった通り、レオンの母代わりとして、一生をこのシャンダウス家の屋敷で過ごすことかもしれなかった。
(それとも、カスペラクス家にわたしが嫁がなければ、結局はフィンレー様と結婚していたのかしら…。ラーラがいなくなった後なら、わたし宛のチュラコス家からの書状は手元に届いたかもしれないし、今回のように、直接フィンレー様がお父様のいる領地まで求婚の手紙を送ったかもしれない)
その時は、きっと自分は大喜びでフィンレーのもとへ嫁いだだろう。
前の時の、まるで伯爵夫人に踏みつけられるような毎日から助け出してくれるのだ。
しかもそれがフィンレーならば、自分はきっとなんの疑問もなく彼を頼りにし、心から愛するようになっていったのではないだろうか。
ふと裏庭で垣間見た、コンサバトリーでラーラと口づけを交わすゲオルグにすら、間違った夢を抱いたのだから…。
それならば、自分がフィンレーと結ばれることは、間違ってしまった人生の選択を元に戻すことになるのかもしれなかった。
何やら、すべてのことが、ローザリンデにフィンレーを選べと言っているようだ。
腕の中でレオンが身じろぎする。
結論を出すのは、明日ガッデンハイル家に行ってからにしよう。
また、ローザリンデは答えを先送りした。
昼下がり、もう一度ラーラ付のレディスメイドに、ラーラの部屋の前で取次を頼んだ。
しかし、メイドは申し訳なさそうに恐縮するだけ。
「お嬢様は、今日はどなたともお会いになられたくないとおっしゃっていまして…。ですが、明日は朝から馬車の仕度のご指示を受けております。きっとマダム・ヘジリテイトの学校へ行かれるおつもりかと」
その言葉に、ローザリンデはホッとした。
このまま、前の時の義妹に戻ってしまうのではないかとの不安が、ただの杞憂だったかと安堵する。
「そう。なら良かったわ。それでも、もし気分が良くなったなら、一緒にお茶をしましょうとわたしが言っていたと伝えてくれるかしら?」
その言葉に、ラーラのメイドは「承知いたしました」と、かしこまって返事をした。
そこへ、ヘンドリックが大股でこちらへ近づいて来る。
「ローザリンデお嬢様。こちらにいらっしゃったんですね」
「どうしたの、ヘンドリック?」
問えば、この下僕はちらりとラーラの部屋の扉を見て、告げた。
「ガッデンハイル公爵令息が、いらしています」
ヘンドリックの声が、明らかにひそめられたのは気のせいではないだろう。
昨日の馬車寄せでの一件で、きっとラーラのパトリックに対する執着にも似た感情は、この下僕にバレている。
それは、賢明な判断と言えた。
「わかりました。すぐ参りますとお伝えして」
自然と、ローザリンデの声もかすれる。
二人で一瞬ラーラの部屋の扉を見て、各々向かうべき先に、そこから踵を返していった。
後に残ったレディスメイドは、「お嬢様、入ります」と言って、ラーラの部屋の扉に手をかける。
そして、一瞬ドアノブを見た。
それは、カチャリという、ラッチが外れる手応えもなく開く。
すなわち、ぴったり閉められていたはずのこの部屋の扉が、いつの間にか、わずかな隙間、開かれていたことを示していた。
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