取るべき道 1
ローザリンデとて、パトリックの言葉を素直に受け取ったわけではない。
しかし、そんなことはもうどうでも良かった。
今、ここに巻き戻ってきていること。
唯一、幼い頃からお互いを労わり合った相手が、それを願ってくれたこと。
大事なことは、それだけだった。
シャンダウスのヘーゼル。赤味を帯びた榛色の稀有な色合いの瞳に映る自分の姿に、パトリックは見入る。
暗くてよく見えないけれど、きっとそこに映る自分は、満ち足りた顔をしていることだろう。
ともに『時戻しの術』でここに巻き戻っていることを告げるのは、きっとこのタイミングで良かったのだ。
パトリックに対する違和感は、ローザリンデの中できっといくつも溜まって来ていたはずだ。
それからでなければ、きっとこんな風には受け入れられなかった。
驚き、混乱し、拒否されるのが目に見えるようだ。
今ですら、震えが止まらないほど、彼女を動揺させたのに。
パトリック自身、この秘術が実際には自然の理に背くものだと分かっている。
しかし、この国の始祖たちはそれを実行し、神より許しを与えられているではないか。
(これが許されぬならば、ここにぼくたちがいるわけがない)
古ぼけた長椅子に、身を寄せ合い座るこの時間が、何よりも心地よく、ずっとこうしていたいと思いながら、しかしパトリックは、重い口を開いた。
この、誰の耳目も気にすることなく話が出来る『隠された静寂の部屋』にローザリンデを連れて来たのは、『時戻しの術』のことを彼女に告げるためだけではない。
むしろ、これから話すことの方が重要だった。そのために、パトリックはこの巻き戻りの種明かしをしたに過ぎない。しかも、不都合なことはまだまだ伏せられたままなのに…。
それでも、これだけは明確だった。
パトリックの成すべきことは二つ。
一つはローザリンデを幸せにすること。
そしてもう一つは、国内の王権争いを未然に防ぐこと。
ある意味教皇を裏切って、今ここに立っている以上、王弟派の動きを止めることは、パトリックにとって神力の根源である宝璽を差し出してくれた教皇のために、果たさなければならない使命でもあった。
だから、この話を避けては通れない。
「リンディ、フィンレー殿のこと、どう思っている?」
さりげなく尋ねるつもりが、声がかすれてしまう。
肩にもたれかかる幼馴染の口から、突然今までの話に無関係な人物の名前を出され、ローザリンデは虚を突かれた。
「フィンレー様?チュラコス家の?」
そして、間抜けな返事。
それに、あはは、とパトリックが笑う。
「チュラコス家以外のフィンレー殿のことをぼくが聞くわけないよ」
「そ…そうよね…」
きっと顔を赤くしているだろう。
それが、自分の発言を恥じてであれば良いと、パトリックは思った。
フィンレーのことを、思い浮かべてではなく。
「で、あれほどあからさまに想いを伝えられて、どう思っているのかな…って」
そのせいだろうか。
少し言い回しがきつくなってしまって、心の中でしまったと思う。
チュラコス家の水晶舎で、ルゴビック子爵、後のミュクイット辺境伯とマーシャシンク侯爵令嬢を紹介された時には、これが教皇様のおっしゃっていた姪とその夫かと思っただけだった。
ガッデンハイル公爵家の自分にも、シャンダウス伯爵家のローザリンデにもにこやかにあいさつをして来たし、まだ極端な思想を持っているようには思えなかったからだ。
しかし、ともに会話をするうち、すでに今の情勢に危機感を抱く出来事は彼の領内で起こっており、後の王弟派へとつながる思想の端緒が発言に現れ出していることに気が付いた。
そして、それにチュラコス公爵令息を巻き込もうとしていることも。
ルゴビック卿とて、自らの領地や領民のことを思ってのことで、決して悪い人物ではない。
ただ、その掲げる理想と現実の乖離が、小さな亀裂から大きな海溝を生み、国を分断するに至ることをパトリックは知っていた。
それでも、いくら後の辺境伯とは言え、彼だけの力ではどう考えてもあの反国王のうねり、王弟派という巨大な力をまとめ上げるのは無理だろう。
やはり、この学院時代からの親友である、チュラコス公爵令息、フィンレーの王弟派への加担があったればこそだというのは間違いがない。
そして、その鍵であるフィンレーが執着しているのが、自分の幼馴染、ローザリンデであることも。
そこには、建国時代から一族にかけられた『チュラコス家の呪い』の存在があり、国王派の守護、『国王の剣』であるカスペラクス家の存在があったのだ。
そう。
フィンレーの望む通り、彼にとってただ一人の人であったローザリンデを妻にすることが出来ていれば、きっと前の時、王権争いは国を二分し、国力までをも削ぐようなところまで泥沼化することはなかったのではないかと…、薄々考えては、どこかで打ち消していたものが、今日、どうにも否定できないほど、自分の中で確定した。
「ローザリンデも、気が付いているんじゃない?前の時、フィンレー殿が王弟派の黒幕となったのは、どうしてか」
パトリックの言葉に、ローザリンデは押し黙る。
自惚れていると言われようと、どうしてもそう考えずにはいられないのは真実だった。
「…パトリックは、どう思っているの?」
否定も肯定も出来ず、そう問い返すのが精いっぱい。
そう聞かれて、パトリックは身を起こすと、長椅子から立ち上がった。
そして、ローザリンデに背を向ける。
自分の本懐は、苦労ばかりで若くして亡くなってしまった大切な幼馴染を幸せにすること。
そして、親代わりであった教皇が自らの命まで差し出して願った、王権争いを未然に防ぐこと。
そのどちらも叶えるために取るべきだと、目の前に示された一つの大きな筋道の前に、立ち尽くすしか出来ないパトリックだった。
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