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【完結】本当に悪いのは、誰?  作者: ころぽっくる
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隠された静寂の部屋 2

********


その日、久しぶりに見た幼馴染の顔は、ふっくらとして、まだ少女のように見えた。

実際、その顔を見て言葉を交わしたのは、彼女が突然カスペラクス家に嫁ぐと決まって、慌ただしく行われた婚姻式の日が最後だったと思う。


その時よりも、少しだけ年老いたか。

それでも、その物言わぬ死に顔からは、安らぎよりも諦念が色濃く漂っていた。

だから、たった三十八才という若さで、亡くなってしまったのだ。


流行り病にかかり、返事が遅れてしまって申し訳ないという手紙を受け取ったのはつい先週のこと。

返事を出す前に枢機卿室の執務官から知らされたのは、カスペラクス家からの訃報だった。


『カスペラクス侯爵家のご次男、先般アッザンの辺境伯に叙爵された第一騎士団の団長殿の奥方は、ガッデンハイル枢機卿の旧知の方…でらしたかと』


年老いた教皇に代わり、数多くの執務をこなしている自分へとかけられた、執務官の遠慮がちな声。

顔も上げずに応対することの多い自分だったが、その時ばかりは嫌な予感にすぐさま顔を上げた。


自分と年の変わらない執務官の表情に、その予感がさらに深まる。


『その通りだが?』


答えると、一度息を吸ったのち、告げられた。


『そのお方が本日亡くなられたと、国教会に届け出がありました』


瞬間、手に持っていたペンがあらぬ方へ逸脱し、重要な書類に大きな弧を描いた。


それから翌日まで、枢機卿の自分は初めて『公』よりも『私』を優先させた。


まず、流行り病での死亡ということで、大聖堂ではなく自宅での葬儀に司祭の臨席を希望するというその内容に、自らが行くと言い張り、止める者たちを黙らせた。


そして、小祈祷室でひたすら祈り続け、夜半、この『隠された静寂の部屋』に来た。


書架から『特別な秘術』の経典を取り出し、そらんじる。そして、その夜は、一睡もできなかった。


怒りで、はらわたが煮えくり返っていたからだ。


パトリックは、幼馴染の心の内を、丁寧な字で送られる手紙によって誰よりも知っていた。


父親が、新しい妻を娶り、彼女の存在をその目から消してしまったこと。

唯一自分を可愛がってくれた祖母が亡くなったこと。

王立学院へ入学したこと。

長期の休暇でも、伯爵家への帰省はしていないこと。

自分の意思だと書いてあったけれど、そうではないだろうこと。

学院では将来伯爵家を立派に継げるよう、勉学に励んでいること。

学院生活の些細な喜び、友人のこと。


そして、腹違いの弟が生まれ、自分がもう学ぶ必要がなくなったこと。

遅ればせながら、デビュタントを迎えること。

面白おかしく書かれた、『シャンダウスの外れの方』のこと。


義妹が婚約したこと。

その婚約者が素敵なこと。


突然、病弱な義妹に代わり、その婚約者と結婚することになったこと。

夫の両親は彼女を可愛がってくれるが、身に着けるべき知識が多くて大変なこと。

子どもが可愛くて仕方ないこと。

今度の子どもは女の子だということ。


また子どもが生まれたこと。

そしてまた。


その行間に、王弟派による国王派への襲撃への恐怖。

軍閥での権勢を誇る家門で、王都の屋敷を守ることへの重圧。

子育ての苦労。

老いた老公爵夫妻の死への不安。


そんなものが溢れていた。


そして、まったくと言っていいほど出てこない夫の話題。


しかし、一度だけ出て来た。


それは幼馴染の夫が、ワッツイア城塞の奪還に成功し、国の英雄になった頃。


『木蓮の綺麗な湯治場に誘ってくれましたが、どうしても行く気になれませんでした』


と。


どうにも気になり、それからパトリックは不自然で唐突だった二人の結婚の経緯と、ローザリンデの夫についてを、いけないと思いながら、教会の『名無しの者』を使って調べさせた。


そうしてもたらされたのは、ローザリンデが望まぬ妊娠をさせられ、義妹を快く思っていなかったカスペラクス侯爵家により、結婚させられたという事実。

そして、その夫は、婚姻後もシャンダウス家に足繫く通い、屋敷には彼のための部屋まであったという報告だった。


それを見た時、思わずそのぶ厚い報告書を細い指で握りつぶしたのを覚えている。

それほど、怒りが湧いたのだ。


しかし、一切そんな泣き言を自分に書き送って来なかったローザリンデに、今更知った事実を告げることはできなかった。


ただ、彼女のこれからが安寧でありますようにと祈ることしか出来なかった。


けれど、この夫の武勲に対して、アッザンの国有領を与え、辺境伯として叙爵する意向を国王から打診された時は、教皇を通じて反対した。

結局は、まだまだ政情穏やかではないこの国において、この英雄の存在は必要不可欠との多数の意見により、新年の祝賀の宴において、華々しくそれは与えられたのだが。


それでも、王宮の大広間で、大聖堂よりも近い距離でも見たアッザン辺境伯夫人であるローザリンデは、どことなくほっとしたような表情で、パトリックはいずれ遠く離れていく幼馴染への一抹の寂寥感を覚えながらも、安堵したものだった。


しかし、それで幼馴染の夫への嫌悪感が薄れるはずもなかったが、この頃より教皇の体調が急激に悪化し、次期教皇と目されるパトリックは、多忙を極めて行く。


そんなある日、死期を悟った教皇から内密に呼び出された。


それは、ガッデンハイル家出身の神官にしか成しえない、あることへの嘆願だった。

しかし、パトリックは考えさせてほしいと、答えを保留する。


なぜなら、それを成し遂げるには、敬愛する教皇の命を差し出す必要があったからだった。

そして、唯一心残りな幼馴染の幸せが、目前に迫っているからでもあった。


自分の命など、惜しくはなかった。

パトリックは、すべてを神に捧げていたし、それゆえに『特別な秘術』の執行者としての力を得るまでになったのだ。


けれど、八歳で国教会に連れて来られてから今まで、親代わりに心を砕いてくれた教皇と、物心ついた頃から唯一『パトリック』として心を交わしてきたローザリンデだけは、彼の中で特別だった。


特に、彼以外の人間から、蔑ろにされ続けている幼馴染は。


しかし、その彼女の、ありえない若さでの訃報を聞き、パトリックの中のタガが外れた。

読んで下さり、ありがとうございます。

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