パトリックとの再会 2
ローザリンデは、横に並んで座る幼馴染をそっと伺い見た。
神官服でない以上に、髪の短いパトリックに戸惑う。
しかし短くともその美しい銀の髪は、朝の光を含み輝いていた。
視線に気づいたのか、パトリックがこちらを見て微笑む。
「どうしたのリンディ?ぼくをじっと見て」
それは何の思惑も感じさせない少年の顔。
前の人生では、ゲオルグとの、いや、カスペラクス侯爵家との婚姻式の当日、ローザリンデのもとに会いに来てくれたのが、間近で顔を見た最後だった。
その時と同じ年齢のはずのパトリック。
あの時は、まだ成人前の見習い神官を、これから嫁ぐ新婦と二人きりにすることに、周囲は何の危惧も抱かなかったはずだが、今目の前にいる、この美しい貴族の子息姿のパトリックを、果たして誰もが前の時のように、子供扱いするだろうか。
「そんなに見つめられると、照れるよ…」
そう言われてやっとローザリンデは、不躾にもパトリックを穴が開くほど見つめていることに気が付いた。
「ご…ごめんなさい!」
真っ赤になって下を向く。そのしぐさがおかしかったのか、今度はくつくつと笑う声が聞こえてくる。
もうっ!と、口先だけで怒り前を向けば、王立公園の入口はもう目の前に見えていた。
あそこで、花が咲ききって蜜も何も残っていないハチスブクロの葉と蔓でも探して持ち帰れば、きっとバーゼル夫人は形だけ怒りを現し、ローザリンデの本日の役目は終わりとなるに違いない。
しかし不可解なのはパトリックだ。
こんなことなら、引き出しにしまわれていたであろう手紙の束だけでも確認してから屋敷を出てくれば良かった。
学院在学中も、そして退学後も、パトリックとはずっと手紙のやりとりを続けていたから、きっとすでにローザリンデへの手紙には、パトリックの今の姿の理由が記されていたはずなのだ。
だから、前の人生から突然今朝この世界にやって来て、何も分からないからと言って、今更理由を聞けば不審に思われるだろう。
そうなると一体何を話して良いのかすら分からなくなった。
ただひたすら、頭にいくつもの言葉を浮かべては消すを繰り返してしまう。
ローザリンデは目を閉じ思索した。
そんな風に逡巡するローザリンデを、パトリックが少し後ろに引いた姿勢で見つめ、ふっと微笑んで嘆息したことに、まったく気が付かずに。
「そうだ、リンディにお願いがあるんだ」
会話の糸口がつかめずにうろうろするローザリンデに、楽しそうにパトリックが話しかけて来た。
彼女は、天の助けとばかりに、すぐに向き直る。
すると、パトリックはまるで彼女の心の中が読めたかのように会話を始めた。
「リンディ、この前手紙で知らせた通り、ぼくは幼い頃からの神官の修練の日々に、本当にこれでいいのかって疑念がどうしても振り払えなくて、成人までの二年間、ひとまず休学のお許しをいただいたでしょう?」
ローザリンデは目を開いた。
神学校を休学?!
そんな話は前の三十八年の人生では、聞いたことが無かった。
しかもそれを国教会が許すなんて。まだ八歳のパトリックを、連れ去るように神学校に囲い込んだと言うのに。
どうしてと聞きかけて、慌ててその言葉を飲み込む。
いつ手紙をもらったのかは分からないけれど、この口ぶりでは、今から理由を問いただすのはタイミングとしておかしいことに気が付いた。
しかし、前の時のパトリックは、己の運命を受け入れ、神官への厳しい修練を自ら積み重ねているかのようだったのに、この世界のパトリックは、そういう自分に対して、疑念を抱いているというのだ。
そして、そのために神学校を休学していると言う。
「え…ええ。驚いたけれどね」
「あ、でもこれリンディ以外の人には内緒だよ。もちろん父上と母上はご存知だけど、それ以外ではリンディにしか知らせてないんだ。他の人は、ぼくの神力が弱くなって、神学校を首になったと思っているみたいだから、あえて否定しないことにしているんだ」
そう思われるのもどうかと、一瞬幼馴染が心配になった。
しかし、彼には立派な公爵夫妻が付いている。
ローザリンデは真面目な顔でこくこくとうなずいた。
パトリックは、その反応に満足気にうなずき返すと、さっきのお願いの続きを口にした。
「だから、時間ならたっぷりあるから、リンディがこんな風に一日伯爵家の外で時間をつぶさなきゃいけないようなときは、とりあえず公爵家までぼくを誘いに来てよ」
聞いた瞬間、ローザリンデはその榛色の瞳を、限界まで見開いた。
ゲオルグとラーラの邪魔をしないように屋敷から放り出される一日。それが、前の時には将来の教皇候補として、会うことも難しくなった幼馴染との、思わぬ時間に変わるとは。
「本当に良いの?」
不安気に問うローザリンデに、パトリックは翡翠色の瞳にしっかり彼女を映し、「もちろん!」と返した。
今朝目覚めてから、ずっと精神の不安定な波の中に漂っていたローザリンデは、遠くに灯りを見つけた旅人のように、何とはなしに心の寄る辺を見つけた気がした。
『過去は変えることはできない。けれど、もう一度新たにやり直すことはできる』
その時再び、ほかならぬ、前の人生でのパトリックの言葉が脳裏に浮かんだ。
(この世界、前とそっくり同じだと思っていたけれど、少なくともパトリックは全然違う道を進んでいる。そうよ。もう一度新たにやり直せる…。やり直せるのよ…)
そう心で繰り返すローザリンデの顔を、パトリックがじっと優しく見つめていた。
そして、思いついたように、その顔を横から覗き込む。
いきなり目の前に現れた翡翠色の透き通る瞳に、ローザリンデは驚き、咄嗟に体を逸らした。
馬車が大きく揺れる。
「ははは!驚きすぎ!」
前の時には一度も見ることが出来なかった、気楽な貴族の子息の顔のパトリックに、ローザリンデも気持ちがほぐれて声を上げて笑い返した。
穏やかな朝の光が降り注ぐ。
ほどなく馬車は静かに止まった。
王立公園の馬車道の終点まで来ていた。
ローザリンデは驚きの声をあげる。
「わあ!もう着いてしまったわ。歩いて来ていたら、まだムスタ川も越えていないでしょう」
「王立公園は久しぶりだよ。楽しみだな」
パトリックがさっと降りて、紳士のようにローザリンデにエスコートの手を差し出してくれる。
さっきは気が付かなかったけれど、幼馴染の背は、いつの間にかローザリンデと同じくらいに伸びていた。
「帰りは辻馬車を拾うよ。ありがとう」
パトリックの外出には、どこだって一緒だったはずの御者は、彼の言葉に何の異も唱えず帰って行った。
これも、歓迎するべき変化なのかもしれない。
降り立った途端、パトリックはローザリンデのバスケットを手から取り上げ自分が持った。
「これぐらい持たせてもらうよ。ランチを分けてもらうためにね」
いたずらっぽく笑っても、美しい顔はちっとも意地悪そうにはならないなと思う。
「ところで、今日の指令は何だったの?この前はラーラ嬢が婚約者に贈るお手製のしおりのための、四葉のクローバーを三本以上だったっけ?」
さっきも感じたが、ローザリンデはパトリックに以前よりも色々と書き送っていたらしい。
前の時は、神官の修練で多忙な彼をいたずらに心配させまいと、こんな段階では何も知らせていなかったはずだった。
(そうか、休学しているのを知らされているから、愚痴りやすかったのね)
ローザリンデは殊の外明るく答えた。
「今日はラーラの喉のための、季節外れのハチスブクロの花の蜜よ!きっと一日探さなきゃいけなくなるわ!」
パトリックはそれを聞き、一度呆れたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔に切り替えた。
「じゃあ!奥の芝生まで行こう!ハチスブクロの蔓を取って、お茶の時間になったら、うちの離れでスコーンを食べよう」
素敵な提案だった。
二人は居心地の良い芝生を探しに、公園の遊歩道を弾むような足取りで奥を目指した。
読んでくださりありがとうございます。