チュラコス家の呪い 2
フィンレーに水晶舎の出口で見送られ、トレバスとハイネは下僕にことわり、そのまま馬車寄せまでの遊歩道を歩くことにした。
学院在学中から何度となく訪れたチュラコス邸は、屋敷の外の方が配置に詳しいくらいだった。
「ハイネ、今日はせっかく楽しみにしていた茶会を中座させてすまない…」
トレバスはしゅんとして、婚約したての愛しい婚約者に素直に謝る。
ハイネは首をふるふると振り、トレバスの腕にぎゅっとしがみついた。
「気になさらないで下さいませ。シャンダウス伯爵令嬢とは、きっとまたすぐにお会いできますわ」
優しいハイネの声に、トレバスは情けなく眉を下げながらも微笑む。
しかし、辺境伯の嫡男である彼が、こんな風に友人や婚約者に明るく優しさを示せる男になったのはここ数年のことだった。
王立学院に入学したころは、国内でも数少ない辺境伯を父に持ち、私設騎士団内で剣術も磨き、それ相応の腕前であったせいで、恐ろしく生意気で傲慢な考え方の少年だった。
学院内に彼より爵位が上の生徒は数えるほどで、その中でも最も高位だったのが、チュラコス公爵家の嫡男、フィンレー・ザン・チュラコス。
同じ学年にもかかわらず、すでに自分より上背もあり、周囲に寛容に振舞うフィンレーに、トレバスは激しい対抗意識を燃やした。そして、男子生徒にだけある剣術の授業で、皆が嫌がる自分の地稽古の相手に公爵令息を指名したのだ。
思惑通り、トレバスはフィンレーを翻弄し、剣先を体すれすれに繰り出すことでこの公爵令息を振り回した。そして、回避することに無駄な体力を使い、肩で息をするフィンレーを見ることで、溜飲を下げたのだ。
授業の終わり、一礼すると、フィンレーはトレバスを一度強く見つめ、ぜえぜえと息をしながら立ち去った。愉快だった。
しかし、その一週間後、またしても剣術の授業で、今度はフィンレーがトレバスを指名してきた。
またやられたいのかと、同じように振り回してやるつもりで臨んだ地稽古。
しかし、今度は自分の方が、一週間前のフィンレーよりも肩で息をする羽目になったのだった。
「どうだ。俺はお前の剣の相手になるか?」
手合わせの最後に、同じように呼吸を乱しながらにやりと笑ってそう言われた時、令息の顔に、細かい剣傷がいくつもあるのに気がついた。
そして、握手のために握ったその手は、つぶれたまめでがさがさだった。
「手応えのあるやつも、手応えのあるやつになるのも、どちらも好ましい」
そう言ってフィンレーに笑いかけられた時、トレバスはどうしようもなく、こいつにずっと手応えのあるやつだと思われたいと、強く願っている自分に気が付いた。
そう思ってよくよく知れば、彼は清濁併せ持つ魅力的な人間で、己の爵位に驕ることなく、太陽のようでいて闇のようでもある。そして、近づく人間すべてをはねつけることなく受け入れ、その上で沢山ある棚に分類していくのだ。
いつしかトレバスは、彼に『手応えのあるやつ』だと認められるために、努力している自分に気が付いた。
フィンレーに親友だと言われた時の気持ちは、きっとハイネが求婚を受け入れてくれた時のものに似ていると思う。
だからこそ、自分のこの考えを、フィンレーにも理解してほしいと思ってしまうのだ。
学院を卒業して、領地である辺境で感じたあの焦燥感を。
今は北部の国境がレッドライン。
しかし、ミュクイット辺境伯領のある東部も、いつ火種になるか分かったものではない。
国内外の鉱山や物流拠点を行き来するフィンレーなら、必ずや分かってくれるはずなのだが…。
だが、さっき彼が言った言葉も当然一理ある。
王都ですら、貴族の家で働く使用人でも文字が読めないものがほとんどだ。
フィンレーの完全なる理解を得ることは、難しいだろう。
それでも、もし彼を担ぎ出すことが出来れば、付き従う貴族はきっとたくさん出てくるはず…。
どうすれば…。
「今頃、ご令息はシャンダウス伯爵令嬢と会話が弾んでいますかしらね?アリステアがガッデンハイル公爵令息のお相手を勤められれば良いのだけれど、彼女、見惚れてしまって言葉が出てこないようでしたわ」
無邪気なハイネの言葉に、トレバスはフィンレーの長年の想い人、ローザリンデ・ザン・シャンダウスを思い浮かべた。
いつしか、フィンレーの中の、一番身の内に近く、一番ぶ厚いカーテンで隠された棚に、誰からも見えないように据えられていた、たった一人の『手応えのある令嬢』。
伯爵家の継嗣だからと、諦めて一線を引いたようなことを装っていたが、実際にはどうにか我が物に出来ないかと画策していたのを知っている。
年の離れた腹違いの弟が生まれ、継嗣から外れたことを知った時の喜びようも。
送った招待状に返事がもらえない時の落ち込みようも。
そこまで執着を見せるのは、それもこれも、『チュラコス家の呪い』に、この公爵家の人間が縛られているからだ。
それゆえ、公爵は子爵出身の夫人を問題なく迎えられたし、その妹は平民に嫁ぐことが出来た。
しかし、その陰で愛する人と結ばれなかった公爵の大叔父や、もっとさかのぼれば、先々代や数代前の隠された悲劇は、今でもチュラコス家に暗い影を落とす。
『生涯で愛せる人は、容易に結ばれるのことの出来ないただ一人だけ。そして、その相手と結ばれなければ、身も心も満たされぬ日々を送る空虚な生を生きるしかない』
学院で二年生に上がった頃に教えられた、チュラコス家の始祖が、愛を餌に利用した魔女からかけられたという呪いの話。
その時、フィンレーは確かに、いまや父上や伯母上が意中の人と結婚するために使った口実でしかないと笑い飛ばしていたのに…。
(なのに、フィンレーはシャンダウス伯爵令嬢を得ようと必死だ)
運命の相手の条件にはぴったりだ。伯爵家の継嗣の女性で、容易に結ばれる相手ではなかったのだから。
しかも、何通も送った求婚の許しを求める手紙にすら、いまだに明確な返事をもらえていない。
この序列二位の公爵家の、男の自分から見ても惚れ惚れする人間であるフィンレーが、だ。
本人のあずかり知らぬところで、親友の運命を天国にも地獄にもできるであろうご令嬢。
トレバスは考える。
もし、彼女が、自分の考えに賛同してくれれば、フィンレーも重い腰を上げてくれるのではないかと。
そして、ちらりともう一つ考える。
もし、彼女が、その義妹のように、『国王の剣』とも言われるカスペラクス家に嫁ぐようなことがあれば、と。
きっとフィンレーはローザリンデを我が手に取り戻すため、何でもする。例えそれが、その家門を取り潰してしまうために、国王とは反対の立場に立つことになっても…。
そこまで考えて、トレバスは失笑して首を振る。あまりに荒唐無稽な考えだ。
見る限りフィンレーのライバルは、あの天使も真っ青のガッデンハイル公爵令息以外はない。
しかも、その令息は半分神職に足を突っ込んでいるようなものだ。
天地がひっくり返っても、シャンダウス家の令嬢が、この両公爵令息を袖にして、カスペラクス家に嫁ぐなどという妄想はありえないと、トレバスはもう一度首を振った。
傍らのハイネが、心配そうに婚約者の顔を仰ぎ見ていた。
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