チュラコス家の呪い 1
予想通り、残りの一席は先ほどエントランスで出迎えてくれたフィンレーの従兄妹の令嬢のものだった。
「チュラコス家門のアリステアと申します。実は、シャンダウス伯爵家のラーラ様と同じマダム・ヘジリテイトの花嫁学校に通っておりますの」
そう言われて、ローザリンデは驚く。世間は狭いと思うとともに、フィンレーの従兄妹に当たる令嬢が、傍系とは言え王立学院ではなく女学校の方に籍を置いていたことにもだ。
しかし、アリステアはそう思われることに慣れっこなのだろう。
こちらが問うまでもなく、その理由を明かす。
「わたしの母は公爵様の妹になるのですが、チュラコス家らしいと申しますか、大層情熱家で、当時厩舎で働いていた現在の父と結婚して、平民階級に籍を移しましたの」
こともなげに言われ、ローザリンデとパトリックは目を見開いた。
現在のチュラコス公爵が、子爵家出身であった夫人と大恋愛の末に結ばれたのは有名な話で、結婚当時に公爵領で上演されたこの二人をモデルにした歌曲が大好評を博し、王都でも上演されるほどだったと聞いたことがある。
公爵家に子爵令嬢が嫁ぐだけでも、貴族の常識から言えば相当風当たりが強かっただろうが、その妹は公爵家で馬の世話をしていた平民と結婚したというのだ。
「しかし、おば様は人を見る目があったよ。現在はアリステア嬢のお父上は、国内の馬匹による物流を一手に引き受ける商会を経営されているのだからね」
そう続けたのは、フィンレーではなくルゴビック卿、トレバス。
その発言で、彼が如何にチュラコス家と親しいかが伺い知れる。
「もしかして、お父上が経営されているのは、コールファス商会?」
パトリックが尋ねると、アリステアは嬉しそうにうなずいた。
年のころはラーラと変わらない。
天から降りて来たような美しい公爵令息を前に、彼女が頬を赤らめるのは真っ当な反応だろう。
コールファス商会なら、ローザリンデも知っていた。
ただ、それはカスペラクス家に嫁いでからの話だが。
「パトリック殿は、国教会に最近まで囲われていたのに、世俗のこともよくご存じだ」
フィンレーの直截な物言いにも、パトリックはむしろ気安い表情を浮かべて返す。
「リンディへ手紙を出す時、使うことがあったのです」
その返答に、ローザリンデは心の中で疑問符を浮かべた。
果たして、シャンダウス家にいた時に、そのようなやり取りがあっただろうかと。
パトリックからの手紙は、いつも彼の御者が届けてくれていた。
馬子に頼むような手紙、いいや、手紙付きの贈り物などは、自分が嫁いでからしかやり取りしていなかったのに…と。
そこに、マーシャシンク侯爵令嬢、ハイネが口を開いた。
「それにしても、チュラコス家の方々の代々続く情熱には驚かされますわ。公爵様と夫人は歌曲にまでなりましたけど、今でも本当に愛し合ってらっしゃって、羨ましい限りです」
社交界の噂にとんと詳しくないローザリンデは、その『チュラコス公爵家に代々受け継がれる情熱』とやらが何か全然分からない。ただ、身分の差を乗り越えてでも、その愛を貫くということだろうかと、ぼんやり思うだけだ。
「ひどいよハイネ。羨ましいなんて。もしかして、わたしからの愛は、まだ足りていないということかな?」
トレバスが大げさに頭を抱えて嘆き、フィンレーとアリステアは大笑いする。
ローザリンデも、和んだ空気に微笑んだ。
ハイネがトレバスの手を取り自分の頬に当て、「拗ねないで下さいませ」と上目遣いで見つめれば、若い子爵はデレデレと相好を崩す。それを見て、またしてもフィンレーたちは声を上げて笑った。
まるで、王立学院の生徒会室にいるのかと錯覚するほど快活で明るく、気の置けない者同士の空気。
(チュラコス様の周りは、今も昔も、明るく自由な空気に満ちている…)
釣られてローザリンデも思わず声を出して笑えば、フィンレーが嬉しそうにこちらを見つめた。
そして、トレバスが思わずといった風情で口走る。
「しかし、そのチュラコス家の伝統は、しっかりとこの惣領息子にも受け継がれているようではないか」
そう言った途端、皆の視線がローザリンデに一斉に集まった。
そんな突然の注目に、瞬時に体が固まってしまう。
思わずパトリックに助けを求めようとしたところで、だがローザリンデを皆の視線から遮るように立ち上がったのはフィンレーだった。
「トレイ、その辺にしてくれ。ロージィには、『チュラコスの呪い』のことなど気にせずに、俺という男を知ってもらいたいんだ」
その声の調子の真剣さに、その場がシン、と鎮まり返る。
目に見えずとも、その場の空気が固くなったことが瞬時に分かった。
フィンレーもトレバスも、すぐには言葉を発しない。
しかし、そんな場面にもかかわらず、ローザリンデはなぜか言い知れぬ安心感を感じた。
目の前の、視界を塞ぐ大きな背中が彼女にそう感じさせている。
それはさっき、トレバスたちを見た時にパトリックが手をつないでくれた時と同じような作用を、ローザリンデにもたらしていた。
ふと気になり、横にいるパトリックの顔を見れば、食い入るようにフィンレーの顔を見つめている。
そして、当事者であるトレバスが、優しい声音で返事をした。
「すまん。フィンレー。ちょっと悪ふざけが過ぎた」
「いや…。どうにも、俺も余裕が無さすぎるな…」
二人の親友同士は、そう言って互いに照れ臭そうに見つめあった。
ローザリンデだけが、会話の中心であり、反面蚊帳の外のようであり、今、目の前で起こったことを消化しきれずにいる。
いや、パトリックもかもしれない。
そう思った時、アリステアが声を上げた。
「仲直りが済んだところで、わたしが昨日から焼いたお菓子を召し上がっていただけませんこと?今回のは、特に自信作ですの」
「まあ!楽しみ!」
明るい声で、ついさっきのことが嘘のように和やかな空気が流れる。
友人同士の茶会ということで、下僕が一人いるきりの水晶舎。
アリステアとハイネが、おしゃべりをしながら入口近くのワゴンを取りに行き、トレバスもそれについて行った。
そして、目の前の背中が、ゆっくりとこちらを向いた。
見上げると、琥珀色の瞳が、まるで銀杏の葉のような黄色に見える。
それは見覚えのある色。
チェス盤を挟んだ時の、困っている時のフィンレーの瞳の色だった。
そのまま彼は、自信なさげに話しだす。
「シャンダウス家の君は、チュラコス家のことはあまり知らないと思う。だから、今は何も余計なことを知らせずに、俺のことを知って欲しいんだ。だけど…」
そこまで言ってフィンレーは、さっとその場にひざまずき、目の前の令嬢の目を見つめて言った。
「もし、君が俺のことをもっと知りたいと思った時には、俺は何でも答えるから、どうかその時は、躊躇せずに聞いてくれ」
そう言うやいやな、フィンレーは目にもとまらぬ速さで立ち上がり、トレバスたちの方へと大股で歩いて行ってしまった。
フィンレーのことをもっと知りたいと思った時…、それが一体どういう時を意味するのか考え、ローザリンデは一人赤面する。
そして、いつしかその背中を追う彼女の顔は、困惑から羞恥にじわじわと変わり、思わず自分の手で顔を覆った。
その横のパトリックは、さっきから思案顔で、心ここにあらずであった。
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