車中にて
チュラコス家の茶会の開始時刻は昼下がり。
出発前、ローザリンデはお茶と小さな焼き菓子をつまんだだけだが、パトリックはローストビーフがぎっしりと挟まれたサンドイッチを二人前平らげた。さすがは成長期だと、見ているだけで満腹になる。
壮麗なエントランスの外に出れば、いつもの幌付きではなく、金細工の蓮で縁どられた『アザミに長剣』の紋も美々しい、陽の光が反射する黒塗りの四頭立ての馬車が用意されていた。
王宮の大夜会や大晩餐会に参内する時にも使われるであろうそれが用意されていることに、ローザリンデは思わずパトリックを呼び止める。
「もしかして、この馬車にわたしも乗っていくの…?」
それに、しれっとした顔でパトリックは答えた。
「もちろん」
そして、いつの間にか、ブリアナが外出用のドレスに着替え、馬車の前で控えているのも目に入る。
何も言わずにそれを見つめれば、パトリックは当然と言わんばかりに口にした。
「幌馬車じゃないからね。二人きりが良かったけれど、リンディの名誉のためにはしようがない」
序列一位の公爵家の、もっともフォーマルな黒塗りの馬車に乗り、どこに出しても恥ずかしくない上級使用人を連れて、序列二位の公爵家に乗り付ける伯爵令嬢。
もしこれが、社交界で朝から晩まで噂話に興じているご婦人方にでも知られれば、一体自分はどんな人物として語られてしまうのだろうかと、気が遠くなる。
「気にしないで。ぼくが『特別な友達』であるリンディに、したくてしていることだから」
『大切な友達』から、一体いつの間に『特別な友達』に変わったのだろう。
この馬車の使用に、ブリアナの随行。
公爵夫人も関与しているのは、明白だった。
今更ジタバタしてもしようがない。
ローザリンデは覚悟を決めると、ついっと歩み出た。
パトリックがすかさず左手を差し出し、エスコートしてくれる。
ブリアナとパトリックの従者が礼をして二人を迎え、手をつないだままの幼馴染が、白銀の絹で内側が張られた馬車へと淀みなく引っ張り上げてくれた。
「失礼いたします」
すぐにブリアナが乗車し、ローザリンデのたっぷりのシルクタフタのスカートを座りやすいように介添えする。
よく教育されたその所作に、巻き戻った二日目、公爵夫人に馬車でこの屋敷まで連れて来られた時のことを思い出した。
あの時も、随行の侍女は、こうして夫人の着席を介添えしたのだった。
前の時、カスペラクス侯爵家の王都屋敷を守る女主人であった時でも、外出にメイドをいちいち連れて行くことは無かった。しかし、公爵夫人ともなれば、時には何人もの侍女を引き連れていることもある。
これもきっと、公爵家としての格を周囲に知らしめるための『舞台装置』の一つなのだ。
(そして、この馬車に乗せ、侍女をわたしにつけることで、おば様はチュラコス家に圧力をかける気なのかも…)
『これは、将来のガッデンハイル公爵夫人の可能性がある令嬢』、だと。
もちろん、チュラコス公爵令息であるフィンレーが、シャンダウス家に求婚の許しを求めていることも織りこみ済み。
パトリックは、そんな思惑を知っているのだろうか。
彼から、過度な親愛の情を感じるのはきっと自分の気のせいではないと思う。
しかし、国教会に戻る可能性があることを示唆した発言もまた、同じくパトリックから聞かされているのだ。
公爵家に戻るのか、国教会に戻るのか…。
しかしそこで突然、ローザリンデはカフェでのパトリックの言葉を、ひらめくように思い出す。
『ぼくが妙齢の女性にカフェで言い寄っていたと噂になれば、もし本当に神学校をやめたくなった時に、ああそれでかって思ってもらえるでしょ?』
『だから、このぼくがローザリンデに片想いしているようなお芝居、もう少し続けても良いかな?」
思わぬ記憶のフラッシュバックに、思わず固まった。
そうだった。なぜ、こんな大事なことを忘れていたのだ。
もう少しで自分は、大きな思い違いをするところだった…。
今なら熱くなった額に水をかければ、じゅっと音を立てて蒸発しそうだ…。
このパトリックの行動の、大前提を、忘れていたとは。
そう、これは『お芝居』。
ローザリンデを将来の公爵夫人にと口に出したのは、パトリックではなく公爵夫人。
幼馴染は、熱量を感じる言動とは裏腹に、決してそれ以上は踏み込んで来ない。
そして、いつもどこかに逡巡と迷いを感じさせるその瞳。
ローザリンデは、当然のように自分を横に座らせた、世にも麗しい公爵令息の横顔を盗み見る。
そして、自分に言い聞かせる。
これは彼にとって、生家での立場が危うい幼馴染を救うため、そして、十五歳の成人前に自分の将来を見つめなおすために始めた、『お芝居』に過ぎないのだと。
そう考えた途端、胸の奥がぎゅっと引き絞られた。
しかし、その理由を考える間もなく、馬車は黒塗りのアイアンで作られた女神が、両手を広げてそれを守る、チュラコス公爵家の大門をくぐる。
アッパーヒルズでも、王宮の最も近いところに隣接する三つの公爵家。
広大な敷地故に馬車での移動となるが、その実は、ガッデンハイル家とチュラコス家は、もう一つの公爵家、ヒューゲルグ公爵邸を挟んで建つ、『ご近所さん』なのだった。
「リンディ、どうしたの?さっきからずっと何か考え事?」
門をくぐっても、まだまだ木立の向こうにしか見えない、チュラコス公爵家の屋敷までのプロムナードを馬車は滑るように走る。
心配そうに声を掛けて来た幼馴染に、ローザリンデは動揺を隠して明るく返事をした。
「緊張しているの。だって、チュラコス家を訪問するのは初めてなんですもの。他の招待客がどなたかも知らされていないし」
そう言っても、心配そうな翡翠色の瞳に込められた情感に、何かの意味を探そうとしてしまう。
「大丈夫よ。きっとエントランスでフィンレー様のお顔を見たら、いつのも調子を取り戻すわ」
笑顔とともにそう言って、ローザリンデはパトリックから視線を引き剥がし、前に座るブリアナの方を向いた。
だから、『フィンレー様』と公爵令息を名前で呼んだ幼馴染を、パトリックが何とも言えない複雑な表情で盗み見ていることは、ブリアナ以外、誰も知る由はなかった。
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