複雑な思い 2
翌日は、朝早くから清々しい秋晴れだった。
国境に近い北部の尾根には雪が付いたと、家族用の食堂に置かれた新聞には書かれている。
きっと、来週あたりから、季節は秋から冬の気配に変わるのかもしれない。
レオンが起き出した頃、マダム・エシャペロンからはまったく手直しのあとも分からないほどのドレス一式が届けられた。
ダークブロンドがより映える、濃い橙色にこげ茶で伝統柄が織り込まれたジャケットは、シンプルに見えて恐ろしく手の込んだ刺繍がテールの部分にびっしりと施され、柄を不思議な立体感で浮き出させている一品。
プレタポルテとは言え、あくまでマヌカン用の一点物なので、恐らくお代は通常のオートクチュールのドレスの数倍はするだろう。確か昨日は、こちらは鑑賞しただけで、選んだのはえんじ色のシルクのジャケットのはずだったのだが…。
もちろんそれに合わせ、スカートの部分もたっぷり厚地のシルクタフタがふんだんに使われた、こげ茶色のものに変わっていた。
「よくよく考えれば、この色って、昨日レオン様を抱っこしていらしたご令息の髪色にそっくりですね」
とは、これらを見たケイティの感想。
そう言われれば、光の当たり具合によって様々な濃淡の茶を見せるこのタフタは、フィンレーの額にさらりとかかるブルネットの髪をほうふつとさせた。
いやいや、それは考えすぎ…と頭を振りながら、これを持ってガッデンハイル家に行った時の周囲の反応が気になってしまう。
茶会のドレスは、フィンレーが紹介してくれた、マダム・エシャペロンに提供してもらうことになったとパトリックに報告した時、ローザリンデはガッデンハイル公爵夫人に申し訳なく思っていた。
なので、当然仕度だけガッデンハイル家で世話になるなどという厚かましいことをするつもりもなかったのだが、パトリックに『母上はそれでもリンディの顔が見たいと思う』と言われてしまえば、それ以上言えなくなってしまったのだ。
それを考え出すと、あちらもこちらも立てているようでいて、結局どちらにも少しずつ不義理をしている状態に軽くため息をつく。
そんなことを考えながら、パトリックが迎えに来るまでと思いつつ、家族用の食堂で、ケイティの書き取りの宿題を添削しながらお茶を飲んでいたローザリンデに、背後から声がかかる。
「お義姉様、おはようございます」
今日もちゃんと朝早く起きて、マダム・ヘジリテイトの学校へ行くために、フリルがふんだんについた白のブラウスにえんじ色のロングスカートを身に着けたラーラが朝食を摂りに来た。
「おはようございます。あら、今日はすっきりと髪をまとめているのね」
見れば、いつもたくさんのリボンでふわふわと彩られていた白金色の巻き毛が、今日はすっきりと一つにまとめられ、大きなリボンが一つ、邪魔にならないように頭の後ろに飾られているだけ。
「…お義姉様は、いつもまとめてらっしゃるでしょう?その方が、賢く見えるかな…と思って、真似してみました」
意外な言葉に、ローザリンデは驚いた。
ラーラが、『賢く見えたい』などという願望を抱いたことにだ。
前の時は、ひたすら『可愛く』『美しく』『可憐に』、いや、『多くの男性に好まれるように』その身を飾っていたからだ。
ローザリンデは入学の手続きでしかラーラの学校へ足を運んだことはないが、そちらで良い影響をうけているのだろうか。
しかし、次にラーラは思わぬことを口にした。
「パトリック様は、お義姉様と仲が良ろしいでしょう?だから、わたしがお義姉様みたいになれば、好きになってもらえるんじゃないかと思って」
夢見るようなぼんやりした顔ではなく、何かを明確に思い浮かべ、はっきりした口調で話すラーラは、きっとパトリックのことを考えている。
ローザリンデは、その様子に愕然とした。
そして、その時初めて思い知る。今まで何度となく言動に表してきた、ラーラのパトリックへの感情が、憧れや綺麗なものに対する好印象といった、漠然としたものではなく、明確な男性に対する恋情という形を取り始めていることを。
前の時は、成長したパトリックがこの屋敷に来ることすらなかった。
きっとラーラがこの幼馴染を目にするのは、大聖堂での年に数回の大礼拝の時ぐらいだっただろう。
かつてのラーラがゲオルグに執着していたのは明白だった。だがしかし、今現在、ラーラ本人がゲオルグのことを何とも思っていないと明言している。
ローザリンデは、恐る恐る尋ねた。
「パトリックは、今は公爵家に戻ってきているけれど、いずれは神官になるために神学校へ戻る可能性が高いわ。そうなれば、いくらお慕いしても報われないかもしれないわよ」
どうしてか、声が少し震える。
しかし、ラーラは明るくはしゃいだように答えた。
「それまでに、わたしがパトリック様の心を掴んでしまえば良いんですわ。きっともう少ししたら、こちらを向いて下さると思うの。お義姉様とパトリック様では、姉と弟にしか見えませんもの。お義姉様もそう思ってらっしゃるでしょ?それなら今一番パトリック様の近くにいる女性は、わたしってことになりますわ!」
その、『姉と弟にしか見えない』というラーラの言葉に、ローザリンデは自分がどこかに弾き飛ばされたような衝撃を受けた。
と同時に、胸がギュッと引き絞られるように痛む。
そして突然、喉の奥でえずきそうになり、それを誤魔化すために空ぜきをした。
「お義姉様、大丈夫?誰か!暖かいお湯を」
ラーラが驚き、食堂に控える下僕に声を上げた。
咳き込む義姉を、気遣って。
それを、ぼやけた視界で眺めながら、確かにラーラは変わったと思う。しかも、それは決して悪い方向ではないのにと思いながら、ドレスの胸のインクの痕を掴み大きく息を吸う。
そして、ラーラが渡してくれる白湯を一口含み、ローザリンデはカップをテーブルに置いた。
けれど、心の中の複雑な感情は、持て余してしまうほどで、思わず開いた口からは、自分の本音が転がり出る。
「でも、あなたは、カスペラクス侯爵家のご令息の婚約者なのよ?」
つい先日、『愛し合える相手が見つかれば、躊躇なく婚約を解消しろ』と言った口で、何を言うかと思いながら。
ラーラは、その発言を持ち出したりはしなかった。
しかし、明るい声ですぐに返答する。
「ええ。ですから、今日にも婚約の解消をお願いする手紙を送ろうかと思っています」
カップを握る手に力が入った。
そうだ。この義妹は、ひどく単純明快な世界に生きているのだった。
ローザリンデは、何とか言葉を絞り出す。
「婚約は、お互いの家門が契約を交わして結んでいるものよ。だから、そのお手紙を送る前に、必ずお父様にお話しして、お許しをいただかなければ。それを怠れば、シャンダウスの家が不名誉なそしりを受けてしまうわ。分かって?」
それに、義妹は何の疑念も抱かずに素直に返事をした。
「分かりましたわ。お義姉様のおっしゃることは、必ずその通りにしなくては」
前の時とは違う。
このラーラには、ローザリンデを蔑ろにする気も、陥れる気も、見下す気もない。
むしろ、盲目的に頼りにし、義姉が指し示す『正しい道』を歩もうと努力までしているのに。
なのに、パトリックに好かれたいと無邪気に言うこの義妹に、そしてそれに複雑な感情を抱く自分に動揺する。
だからなのか、ラーラがミドルヒルズの学校に出立するまでに、自分を迎えに来たパトリックと顔を合わせないよう、無意識に早く登校して欲しいと考えていることに、気が付いていなかった。
誤字脱字教えて下さる方、いつも感謝しております。
読んで下さり、ありがとうございます。




