パトリックとの再会 1
シャンダウス伯爵家の王都屋敷は、王城に近いアッパーヒルズにあった。
先々代までは、建国以来の国王の忠実なる臣下として、王都近くに領地を賜り、王宮での要職についていた。
伯爵の中での序列も高く、間違いなく名門と言われる家門。
ただ、先代の伯爵が内政省の副大臣を勤めていた時、現在の国王となった第一王子派と、それに対抗する王弟派の権力争いに巻き込まれた。当初王弟派だったシャンダウス家は、途中でそちらに見切りをつけ、結果的には第一王子を支持したのだが、第一王子が国王となると、王都近くの交易で多額の収益を上げていた領地を召し上げられ、王国の西の穀物地帯への領地替えを余儀なくされた。
最後まで王弟派だった貴族の多くが爵位の返上や格下げとなったことを考えれば、王都から遠ざかるとは言っても、それなりに収益を見込める領地を与えられたのだから、途中で王弟派を裏切ったのは間違った判断ではなかった。
しかし、副大臣の職位は取り上げられた。
そして、第一王子が国王であるうちは、シャンダウス伯爵家の人間が要職に就く見込みも無くなった。
当時王立学院に通っていた現在の伯爵は、そこで第一王子派からも、王弟派からも裏切り者のレッテルを貼られ、齢一七にして権力の場から弾き出されることが決定した。
それは、様々なものから目を背け、享楽的な生活を送る伯爵の、人生の方向を決める出来事だったのかもしれない。
しかし、そのように後継争いに勝ち王位に就いた現在の国王も、国境付近で幾度となく繰り返される紛争と、そのための増税、圧政のために求心力を無くし、その座を今は自らの弟に狙われていた。
ゆえに、ローザリンデの学院での居心地は、過去のシャンダウス家の行いの影響を受けることなく、案外よかったのである。
シャンダウス家の王都屋敷の正門は、馬車道から玄関まで立派なプロムナードがあるが、裏口から通りまではすぐだ。
いつもなら、起きてから寝るまで休む暇なく働き通しだから、こうして予定なく一日中外で過ごせるのは悪くない。
「しかも、今日はコック長お手製のサンドイッチまで」
我慢できず、ちらりと見てしまった中身は、ローザリンデの好物の卵とハムのサンドイッチ。
前の時から、コック長が自分の好みを把握しているのは間違いないだろう。
ふふふと思わず微笑んだローザリンデの笑顔に、すれ違ったどこかの家の下僕が、ドキリと視線を留めていた。
こうして屋敷を一日中追い出される日。
それは前の時と同じ理由。
さっきコック長が言っていた。
ラーラの婚約者が来る日、だと。
(ゲオルグ様…)
ラーラの婚約者、ゲオルグ・ザン・カスペラクス。
第一騎士団の騎士。そして、カスペラクス侯爵家の次男。
そして、ローザリンデのかつての夫。
そう。ローザリンデは義妹の婚約者を奪ってしまった、『悪い義姉』なのだ。
毎年社交シーズンの始まりを告げる夏至の日、王宮では王家主催の下、大夜会が催される。
その時、今年のデビュタント達が一堂に会し、王族へのあいさつの後、社交界へ正式にデビューする。
ローザリンデとラーラはデビュタントとして、今年初めて社交界に足を踏み入れた。
通常は十五歳になって初めての夏至の日になされることが多いが、ローザリンデの十五歳の時、義母である伯爵夫人は見事にそれを無視した。ただ今回、ラーラをデビューさせるにあたり、姉であるローザリンデもついでに二年遅れでデビューすることとなったのだ。
それが『ついで』だと言うのは、ドレスやアクセサリー、他家へ配るデビュタントの紹介状の紙質一つとってもすぐに分かった。
しかも一緒にデビューしたせいで、同じシャンダウスの令嬢として並び立った二人には、淡い金髪に空色の瞳のラーラには『シャンダウスの妖精』、ローザリンデには『その外れの方』などという、不名誉な二つ名までつけられてしまったのである。
ところで、伯爵夫人がローザリンデのデビューを決めたのは、別に本人のためでも何でもない。
ローザリンデをデビューさせることで、あわよくば、王立学院で多くの貴族と交流のあった彼女に送られてくる招待状や、家名だけで打診される縁談などを上手く活用して、最終的には、ラーラが皆が羨む高位貴族から求婚されることを狙った結果だった。
そして、それは上手く行ったと言える。
代々軍閥としてその名を馳せる、カスペラクス侯爵家の子息と、『前回同様』、婚約するに至ったのだから。
次男とは言え、カスペラクス家の息子が、生涯爵位無しのはずがない。
ましてや、ゲオルグは若干十九歳にしてその能力が買われ、すでに騎士爵を国王直々に賜っている、将来を期待される騎士だった。
夜会で初めて見た、ラーラと踊るゲオルグの、真っ黒な騎士服姿を思い出す。
ローザリンデの記憶の中では二十年以上前のことだが、この世界では、その夜会は二カ月ほど前に行われたところだ。
きっと、髪が少し長くひげもない若々しい青年が、今日の午後には伯爵家に姿を現すのだろう。
それを出迎えるのは、頬を愛らしく染めた美しいラーラ…。
二人はあの大夜会の日にダンスを踊り、その翌日には、求婚の許可を求める手紙が、ゲオルグからシャンダウス伯爵に届いたのだという。シャンダウス家よりさらに高位の、軍閥の中で権勢を誇る侯爵家から求婚されたとの報せに、跡取りが生まれた時も領地から離れなかった伯爵が、慌てて王都にやって来たほどである。
求婚はすぐさま許可され、夏至の日からひと月足らずで二人は婚約した。
新聞の社交欄にもそれは公示され、そこから一年後に正式の婚姻を結ぶことが決められたのである。
そして、今は婚約直後。時間が許す限り、ゲオルグがラーラに会いに足を運んでいる時期。
こうして屋敷の外に放り出されているなら、ローザリンデとゲオルグはまだ顔を合わせておらず、間違ってもラーラの婚約を壊さないようにと、伯爵夫人が警戒しているだけの時期。『外れの方』を警戒するなんて、意味が分からないと前の時は思っていたが、結果的に、それは正しい行いだった。
(具合が悪くなろうと、大雨が降ろうと、間違ってもゲオルグ様が伯爵家に来る日に、屋敷にいてはならない。わたしはこれから過去と違う行動をして、その先の未来を、変えてみせる)
ローザリンデは自分にきつく言い聞かせた。
バスケットをしっかり腕にかけ、王立公園を目指す。
これからほぼ一年間。二人が結婚するまでこうした外出は増えるだろう。
どこか長時間時間がつぶせるところを、今回はちゃんと探したほうが良いかもしれない。
そんなことをつらつらと考えていたら、いつのまにか大通りに出ていた。
大通りは様々な馬車や荷車、その隙間を歩く人々によってごった返している。
ぼんやりしていると轢かれてしまうと、一本裏の道に入ろうとしたところで、ローザリンデの真横に、突然一台の馬車が停まった。
一頭立ての幌付き二輪馬車。ふっと視線を動かして、驚きに目を見開いた。
見覚えのある懐かしい顔の御者が、帽子を取ってローザリンデに軽くあいさつをしている。
そして馬車の扉には、よく見知った紋が。
アザミに長剣の紋章。ガッテンハイル公爵家の紋章だった。
「パトリック!!」
ローザリンデは弾かれるように振り向いた。
見上げた馬車の扉がすぐさま開かれ、満面の笑みを浮かべた少年が顔を見せる。
「リンディ!!」
馬車から転げ落ちるように飛び出してきたのは、実母の遠い親戚筋であるガッテンハイル公爵夫人の息子、パトリック。
白に近い銀の髪に、翡翠のような透き通った瞳。
生まれ落ちた時からその神力の高さが教会によって認められ、将来の教皇との呼び声高い三歳年下の幼馴染。
ローザリンデはこの邂逅に一気に気持ちが喜びに弾けた。
何しろ彼女がこの幼馴染に会うのは、二十年振りなのだ。
しかし、ローザリンデはすぐに違和感を覚えた。
パトリックの姿が、自分の記憶とまったく違うせいだった。
彼は幼い頃から神学校に通い、いつもうす灰色の神官服にその身を包んでいたはずだ。いつもいつでも。
なのに、このパトリックは、普通の貴族の子息が着るようなジャケットにトラウザーズを着ているではないか。
そして、神力の象徴とでも言うかのように長く伸ばしていた銀の髪を、短く襟足で切りそろえている。
どうして?と、問い質そうとした気配を打ち消すように、パトリックが大きな声を上げる。
「もしかして、王立公園に行く予定だった?だったら、僕と一緒に行こう!」
パトリックが力強くローザリンデの手を引いて馬車に座らせた。
さっと幌を開き、密室に二人きりだからと断ることさえできなくさせる。
御者が心得たように、すぐさま馬車を走らせ始めた。
ローザリンデは目を白黒させ、将来は教皇にまで上り詰めることになるだろう幼馴染の、少女のように美しい顔を見つめる。
パトリックが視線に気づき、ふっと笑って見つめ返してきた。
そのまなざしの強さに、ローザリンデは思わず視線をさ迷わせる。
と同時に、彼が自分にかけてくれた言葉が再び脳裏によみがえった。
『過去を今から変えることは出来ない。けれど、もう一度やり直すことは出来るかもしれない。神は、魂をかけた切実な思いを、見放すことはされない』
と。
今朝目覚めてから、何もかもが前回と違うことなく進行していた。
しかしパトリックは、初めて現れた、前回と今回とで違う、ことだった。
読んでいただき、ありがとうございます。