二人の公爵令息 5
マダム・エシャペロンは、目の前の面白い光景に、チュラコス公爵夫人は絶対に一緒に来るべきだったのにと思いながら、ワクワクしていた。
何しろ、あの、フィンレー・ザン・チュラコスが、たった一人の年若い令嬢に振り回されているのだから。
幼い頃からくそ生意気で、大人を大人とも思っていない、人を意のままに動かすことに長けた、性悪説しか信用していない青年。しかも、それがこの国で序列二位の公爵家という権力まで背負うのだ。
チュラコス家は、この国の鉱物資源と物流を支配する重要な家門。国家間のパワーバランスさえ左右するそれを保持するためには、人心の掌握と権謀術数が不可欠。
だから、物心ついたころから、息子に自分の横で人間の暗部をあえて見せて来た父である公爵は、この青年の将来に大いに期待しているし、母である夫人は、斜に構え、人を喰ったような息子の幸せを案じていた。
一体、どのような女性なら、この息子の心を惹きつけられるのかと。
今なら、それは杞憂だったと教えてあげられる。
なぜなら、そんな青年が、このご令嬢の前では、まるで飼い慣らされた猟犬のように、主の顔色一つで、尾を振ったり脚の間に挟んだりしているのだから。
ただし、ここに来る前の数日の間に、フィンレーがヨリハカラム鉄鉱山で調査を隠密に行い、産出量の不正を働いていた人間をあぶり出し、周囲の人間への見せしめに、かなり無慈悲な方法で断罪したなどと言うことは、マダムもローザリンデも知る由はないが。
「す…すまん。勝手に名前で呼ぶなどと、決して君の尊厳を蔑ろにしたいわけではなく、その…心の内では、いつも名前で呼んでしまっていて…いや、何を言っているんだ俺は。と…とにかく、すまん!」
そう言うと、フィンレーは長身の体を二つに折り曲げ、頭を思い切り下げた。
しかし、そう言われて、ローザリンデはどう返答をして良いか分からなくなる。
なぜなら、そう呼ばれて、驚きはしても、嫌ではなかったからだ。
とにかく、謝罪などいらないと、フィンレーに声を掛ける。
「あ…頭をお上げ下さい。謝っていただくようなことは、なにもございません」
その声音に、弾かれたように顔を上げた。
そして、目に入るローザリンデの表情に、フィンレーは胸がキュウっとなる。
それは、狼狽え、動揺はしていても、決して不快な色を浮かべてはいなかったから。
いくら平静を失ってはいても、このきっかけを逃すようなフィンレーではない。
そのままローザリンデと視線を絡めると、一気に詰め寄るように許しを請う。
「では、これからは『ロージィ』と呼ぶことを、許して欲しい」
ローザリンデはドギマギしながら、了承の返答ではなく、別のことを問うた。
「あの、いつからわたしのことを、そう呼んでらしたのですか?」
すると、フィンレーは一瞬険しい顔をする。
しかし、すぐさま表情を和らげると、耳を赤くして答えた。
「学院に、神学校が交流行事で来たことがあっただろう?あの時、パトリック殿が、君のことを『リンディ』と呼んでいるのを耳にして、つい羨ましくて…。それなら俺は『ロージィ』と呼ぼうと…それから、心で君のことを考える時は、『ロージィ』と」
そう言われて、ローザリンデも顔を赤らめた。
あからさまな好意にさらされ、嫌なわけがない。
ましてや相手は、尊敬し、慕っていた上級生なのだ。
フィンレーはもう一押しした。
「これからはそう呼んでも?」
ローザリンデに否やはなかった。
こくりとうなずくと、フィンレーは、「俺のことも名前で呼んでくれ。フィンレーでも、フィンでも、フィーでも、好きなように」と喜んだ。
その様子を、公爵夫人の友人でもあるマダムが、ほっとした顔で見つめる。
そして、どうかこのまま、人を心から信用できないフィンレーが、家族以外で唯一心を傾けるこの令嬢と結ばれますようにと、心から祈った。
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「では、腰回りと袖丈を手直しして、明日の朝一番で持って参ります」
マダム・エシャペロンはそう言うと、色とりどりのドレスと小物をあっという間に片づけ、針子たちを連れて帰って行った。
フィンレーがローザリンデのために選んだドレスは、どれもシンプルで品が良く、彼女のダークブロンドの髪と榛色の瞳をより美しく見せるもの。
「選んだ方の愛情を感じますねぇ」
と、途中マダムにからかわれながら、子ども部屋で試着と採寸をする間、なんとフィンレーがレオンの子守を買って出た。ヘンドリックとケイティに見守られながら、フィンレーは飽くことなくレオンを抱っこして眺めていたらしい。
すべてが終わって、レオンをローザリンデの腕に返した時、真顔で「君と同じ瞳の色だから、いくら見ても見飽きない」と言われ、ローザリンデが赤面するというおまけ付き。
結局、ローザリンデはマダムの『ドレス代をチャラにする提案』を受け入れた。
それは、フィンレーからの強力な後押しがあってのことだった。
彼にとっては、ドレスの代金を負担するなど容易なことだ。
しかし、マダムの提案をローザリンデが受け入れるということは、来年の社交シーズンの始まりを告げる、チュラコス公爵家の夜会に、必ず彼女が出席するという確約が取れる。
もしかして、マダムは自分を手助けするために、これを提示してくれたのではないかと思うほどだ。
それにしては、帰り際のローザリンデへの、湧きあげるインスピレーションの一人語りが熱を帯びていたが。
そして、マダムが去って、エントランスにローザリンデと二人だけになった今、その横顔を見つめながら、来年の夜会で彼女をエスコートするために、今から何をすべきか間違ってはならないと考える。
つい先日までは、すぐにでも求婚の許しを得て、彼女を自分のものにしてしまおうと考えていた。
しかし、ガッデンハイル家の茶会の後、フィンレーはその計画を練り直す必要があることを悟った。
ガッデンハイル公爵令息、パトリック。
その存在が、意外に大きなことを、察知したから。
明日の茶会にしても、ローザリンデの出席を取りつけられたのは、この令息の一言のお陰だった。
かと言って、自分の味方ではないことも一目瞭然。
何しろ、自分を見る美少女とも見紛う少年の目つきは、鋭く容赦がないのだ。
そして、成人前の男にしては、幼馴染を見る視線が、時に痛々しいほど切実な何かを訴えていることも。
(パトリック殿が、一体どういう腹づもりなのかによって、俺の取るべき道は大きく変わる)
何しろ、相手は序列一位の公爵家の嫡男にして、類まれな強力な神力を有すると言われる人物。
もし本気で、将来の教皇という立場をかなぐり捨て、この俗世に生きると決心するなら、それは自分と同じ女性を求めてのことに違いない。
「ご令息、どうかされましたか?」
声を掛けられ、愛しい令嬢を前に、つい物思いにふけってしまった自分を後悔する。
そして、その発言に、いたずらっぽく笑いながら否やを唱えた。
「名前で呼んでくれ」
そう言われて、ローザリンデは一拍置いたのち、おずおずと口にした。
「フィンレー様…」
胸に来る。思わず「もう一度」と言いたくなりながら、まだ親しみが足りないと思うもそれはいずれと口をつぐんだ。
幸せな時が流れる…そう思った時、エントランスホールの奥から意外な人物が現れた。
「フィンレー殿。一体いつの間にリンディと名前で呼び合うようになったのですか?油断も隙もない」
屋敷の奥から、まるでここの住人のような顔で伯爵と現れたのは、今まさに手強い相手だと思っていた人物。
銀色の髪に翡翠色の瞳が神々しいばかりに照り輝く、ガッデンハイル公爵令息、パトリックだった。
これ書いている時、あと少しで完成…と思ったところで、最初の五文字を残し全部消えてしまいました。
慌てて書き直しましたが、「なんか変だよ」なところがあったら面目ない。また後で見直そうと思います。
『保存はこまめに行ってください』って、これホントですわ。
読んで下さり、ありがとうございます。




