二人の公爵令息 4
そのローザリンデに釣られてしまったのだろうか。
目の前のフィンレーの耳が、みるみる朱に染まる。
日に焼け少し赤味を帯びた頬も、最初からここまで赤かったかと思えるほどに。
そうして、自分の両手が、目の前の薄い両肩をがっしり掴んでいることが目に入ったのか、慌てて離す。
「す…すまない…」
触れられた方より、触れていた方が狼狽するという事態。
急に照れくさそうに所在無さげなフィンレーを前に、今度はローザリンデが釣られて照れてしまう。
「い…いいえ。いいえ…」
切なくて、温かくて、照れくさくて…。
複雑な感情に振り回されたまま、ローザリンデはふるふると首を振った。
肩を掴まれたのは、決して不快ではない。
その熱が去り、逆に寒さを覚えるほどなのだ。
首をもたげてフィンレーを見れば、その考えていることが手に取るように分かる。
全身で、ローザリンデが彼の発言を、そして許可なく肩に触れてしまったことを、不快に思っていないか窺う表情。
それは、今まで感じたことのない不思議な、安心感にも似たものを、彼女に感じさせた。
ただ、その感覚を不用意に信じることだけは出来なかったが。
それでも、パトリックの次に付き合いの長いこの上級生に、少しばかり心を開くことへの躊躇いが消えていく。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。あの日、学院で親しくしていた令嬢方とお話ししただけで、それ以外は誰からも声をかけられなかった理由が、少しわかりました…。わたし自身が、声を掛けづらくさせていたのですね」
しかし、フィンレーはまた慌ただしく否定する。
「違う違う!さっきも言った通り、君の問題じゃないんだ。それこそ、誰にも声を掛けられなかったのは俺のせいだ。自分は君を誘えないくせに、君に近付こうとする男たちをけん制して遠ざけていたのだからな」
またしても新たな事実を知らされ、ローザリンデは目をぱちくりとさせた。
とうとう目の前のかつての上級生は、耳を真っ赤にしたまま、顔を伏せ言い募る。
「君は、その、自覚した方が良い。どれだけの男が君のデビュタントを待っていたのかを。ああ、こんなことなら、継嗣だからと遠慮せず、在学中から伯爵に許しを希えば良かったのだ」
最後のつぶやきは、完全に独り言。
それでも、それを聞かされて、冷静でいられるわけがなかった。
頭が沸騰しそうだ。
それはきっと、お互い様だろうが。
そして、そんな二人を現実に戻したのは、またしてもマダム・エシャペロンだった。
「うんんんんんんんん!え~ご令息、そろそろ始めさせていただいてもよろしいでしょうか?」
長い咳払いの後の、事務的なその声音に、二人ははっとそちらを見る。
マダムは、人の悪い微笑みを浮かべていた。
きっと、幼い頃から知っているこのチュラコス公爵家のご令息の、思わぬ一面を見て愉快に思っているのだろう。もしくは、人目のないところでは旧来の友人として接している、この令息の母親にどんなふうに報告してやろうと思っているのか。
フィンレーは、それを察してか、一回大きな手のひらで顔を覆うと、「しまったな」とつぶやく。
そして、次に手を外した時には、いつもの鷹揚な表情を取り戻していた。
ただ、みみたぶの先だけは、朱を帯びたままだったが。
軽い咳払いをして、フィンレーはローザリンデの背に手を添え、マダムが荷物を広げたソファーに誘導する。
そこには、色とりどりの美しいドレスや小物が、所狭しと広げられていた。
「というわけで、明日の茶会のドレスは、是非俺に用意させてくれ。オーダーするには時間が無いから、マダムの手持ちの中から、俺が君に似合うと思う物をいくつか見繕ってきた。君は、母によると、マダムのメゾンのマヌカンと背格好が変わらないらしい。なら、少しの手直しで大丈夫なはずだ」
予想通りの展開とは言え、ローザリンデは戸惑う。
いくらプレタポルテの物と言っても、この上質な仕立てのドレスや小物一式を贈られれば、一体どれほどの金額になるのか。
先ほどの話から、少しずつフィンレーに心が開き始めているローザリンデでも、迂闊に受け入れることはできない。
ガッデンハイル公爵夫人に相談しろと父からは言われていたが、きっと今なら、このドレスの代金を伯爵家が支払うことも可能だろう。
ローザリンデは、フィンレーのせっかくの好意を無にしたくなくて、この中から明日のドレスを選ぶ気になり始めた。最終的に、その支払いをチュラコス家ではなく、シャンダウス家がすれば良いのだと。
しかし、その逡巡をマダムは別に解釈したようだ。
そして、信じられないような提案をされる。
「お嬢様、もしお支払いを気にされていらっしゃるのでしたら、ご心配はご無用です。ご令息にどーんと甘えて…もよろしいかと思いますけれども、別のご提案がございます。今日ここに来てお嬢様を拝見してから、実はずっと考えておりました!次の新作発表後、あたくしの最新デザインをお召しになって、来年の社交シーズンの最初を封切る、チュラコス公爵家の夜会に出席して下さるなら、今回のお代はちょうだいいたしません」
その提案に、ローザリンデだけでなく、フィンレーまで驚く。
マダムは言葉を続けた。
「公爵夫人からお聞きしていました以上に、お嬢様はスタイルが素晴らしいです。ご令息と並んでも見劣りしない高いお背いに、まっすぐな姿勢。腰高でおみ足が長く、出るとこ出過ぎず程よい肉付き。きっとドレスがうんと映えますわ!」
そして、いつの間に来たのか、マダムはローザリンデの背後に回り、くたくたのデイドレスの上から、腰の細さを確認するべく両手でがっしりと掴む。
と同時に感嘆の声を上げた。
「うんまぁぁぁぁぁ!この腰、コルセットで絞められていないではないですか!それでこの細さ!ああ!本当はマヌカンになっていただきたい。いえ!来シーズンのコレクションは、お嬢様をミューズにデザインを考えてもよろしいかしら?!」
いきなり腰を掴まれ、ローザリンデはくすぐったさに思わず身をよじった。
それを見て、フィンレーがまたしても耳を赤くして慌ててマダムに詰め寄る。
「マダム!手を!手を離せ!ロージィに、勝手に触ってはならん!」
そう言われて、マダムは真顔でぱっと両手を離した。
しかし、ローザリンデとフィンレーは、別のことで固まってしまった。
学院では、婚約者や姻戚関係以外は、必ず家名+爵位で相手を呼ぶと決められていた。
だから、知り合って三年、必ず『シャンダウス伯爵令嬢』、『チュラコス公爵令息』と呼び合ってきたのだ。
まれに、『ご令嬢』『ご令息』と略することはあっても。
けれど、今、ご令息は自分のことを何と呼んだだろう。
『ロージィに、勝手に触ってはならん!』
名前どころか、いつの間の、愛称で呼ばれていたのか。
突然の心の距離の近さに、ローザリンデは狼狽える。
そしてフィンレーは、今日何度目かの、彼らしくない冷静さを欠いた表情を手の平で隠し、どう申し開きするべきかを、頭の中でめまぐるしく考えるのだった。
『マヌカン』は、メゾンの専属モデルとお考え下さい。
読んで下さり、ありがとうございます。




