二人の公爵令息 2
ラーラは、まるでパトリックが自分を訪ねて来たかのように、色めき立ち、温室のガラスに映る影を見て髪を整え始めた。その姿に、なぜかローザリンデはイラつく。
「ラーラ。あなた、ご令息から名前で呼ばないよう言われていたのじゃなくて?」
だから、急いで向かわなければならないにもかかわらず、ラーラに一言言わずにはおれない。
しかし、義妹は羨ましいくらいにそれを意に介さず、はしゃぐ。
「あの時はそうおっしゃられたけど…。でも、何度もお会いしているのよ!きっと、今日くらいからは許して下さるわ。パトリック様に、きちんと淑女の礼が出来るのを見ていただかなくっちゃ」
そう言うや否や、コンサバトリーを飛び出してしまった。
ローザリンデには、あんなふうにわき目も振らず、小走りで、屋敷の中を駆けて行く勇気はない。
万が一にも、そんなガサツな姿をパトリックに見られたくはなかった。
巻き戻った一日目、バスケットを片手に、通りを徒歩で歩く様子を見られたことを思えば、もはや手遅れだとは思うが。
しかし、それ以上に考えねばならないことが。
「ヘンドリック。このままでは、チュラコス公爵令息と、パトリック様がかち合ってしまうわ。とりあえず、パトリック様をエントランスから応接室にお通しして」
下僕は、すぐさまコンサバトリーを後にした。
そして癪だが、伯爵に頼み、フィンレーの応対をしている間、パトリックの相手をしてもらおうと算段をする。
なぜなら、パトリックを一人にしておけば、未婚の男女が二人きりになることもいとわず、ラーラが応接室まで押し掛けるのが目に見えるようだから。
「それとラーゲン、エントランスホールでチュラコス様をお迎えする用意を。パトリック様に一言ごあいさつして、すぐにそちらへ向かいます」
足早に屋敷の裏から使用人用の階段を昇り、二階を目指す。
この使用人用の通路や階段を完璧に把握できたことは、皮肉にも、数少ない伯爵夫人がもたらしてくれた恩恵だ。
執務室まで足早に向かい、一度息を吸って扉を叩く。
「お父様、ローザリンデでございます」
すると、すぐに内から父の声がした。
中に入ると、父が領地から連れて来た従者の手を借り、上着を着替えているところだった。
初対面のチュラコス家の公爵令息にあいさつするためだろう。
そして、ローザリンデの姿を一瞥して、すぐさま鏡に向き直り、口を開いた。
「やはりあの黄色のドレス以外、それしか持っていないのか。チュラコス家のご令息にも、そのインクの付いたドレスで会うつもりか?」
朝はうやむやに出来た話題が、こうなっては誤魔化せなくなった。
しかし、たった一枚きりのマスタードイエローのドレスに着替える気は毛頭ない。
みすぼらしいこの姿で、フィンレーの前に立つことに意味があると思ったところなのに。
「ええ。お父様も、パトリック様に求婚されたなら、そちらに応えて欲しいとおっしゃっていたではないですか」
昨夜父から言われた通りに返すと、伯爵は「食えん奴だな」と言って、従者にクラバットを結ばせる。
その横顔に向けて、ローザリンデは言葉を続けた。
「ですから、お支度が終わられましたら、応接室でパトリック様のお相手をお願いしたいのです」
その言葉に、伯爵が従者を手で制し、こちらに慌てて向き直る。
「待ちなさい。今何と言った?パトリック様?ガッデンハイル公爵家のご令息もいらしているのか?」
「はい。毎日のようにお会いしているせいか、先触れを忘れてしまわれたようで、もういらしています。もうすぐチュラコス家のご令息もいらっしゃいますから、応接室へお通しするように指示をしておりますけど、わたしがエントランスにいる間、お父様にお相手をお願いしたいのですわ」
そう言われて、伯爵は怪訝な顔をした。
「なぜ?お前と一緒にどちらのご令息にもごあいさつ申し上げた方が良いと思うのだが」
そこでローザリンデは、ちらりと従者を見る。
まだ若く見目の良い従者の前で、この家の令嬢の貞操観念の緩さを知らせるのは、手を出して下さいと言っているようなものだ。
父は人払いの意を察したのか、クラバットを結ばせると、従者を部屋から下がらせた。
「どうした?」
何も知らない父に、皮肉な気持ちが湧き上がる。
せめてあてこするように言うくらいしか出来ない自分がもどかしかった。
「…ラーラは、お父様、お義母様の薫陶が行き渡ったせいか、倫理観、特に男女間の倫理に関する概念が備わっていません。そして、先日パトリック様を初めてお見掛けしてから、その美しいご容姿に心を奪われているようです。今も、下僕から来訪を聞くや否や、エントランスに駆けて行ってしまいました。その間に、誰かが応接室へ行かなければ…、どうなるか…。ご理解いただけましたか?」
淡々と告げるローザリンデの言葉に、伯爵は気分を害したはずだが、それよりも明らかに表情を失くしたあと、こめかみを手で押さえた。
かつて自分も同じようにミドルヒルズの屋敷で享楽にふけっていたのだから、身の覚えがあるのだ。
しかし、それをこの家に所縁のある、未婚の令嬢が持っているとなれば別問題。
「…分かった。レディスメイドの一人も、応接室へやるよう執事に言っておこう」
「ありがとうございます」
それだけ言うと、ローザリンデは身をひるがえし、もはやエントランスにパトリックがいないことをラーラが気付く前にと、応接室へ急ぐ。
最大限の早足で、エントランスのラーラと鉢合わせないよう、使用人用の階段を使い応接室へ向かうと、ちょうどヘンドリックがお茶を運びこむところだった。
「ご令息は中に?」
せかせかと近づきながら尋ねれば、ヘンドリックは無言でうなずいた。
間に合った。
そう思い、開きっぱなしの扉の中をのぞこうとして、ローザリンデは突然の衝撃に襲われた。
「わっ!」
「ああっ!!」
ごちんと音がして、額に痛みが走る。
足元がふらつき後ろに倒れるところを、咄嗟に腰を掴まれ引き戻されそうになったが、結局一緒に倒れ込んでしまった。
視界に、銀の髪が広がる。
パトリックだった。
ローザリンデの上に乗っかるように倒れ込み、しかし、次の瞬間、どう体を動かせばそうできるのか分からないほどの早業で、パトリックは跳ね起きる。
何が起こったのか、瞬時に把握できずに呆然とするローザリンデを、ヘンドリックが腕一本で引っ張り起こした。その様子を見て、パトリックが顔を真っ赤にしながら眉をしかめる。そして慌てて駆け寄り、長身の下僕からローザリンデの手を取り返した。
「リンディ!ごめん!大丈夫?!」
しかしその直後、応接室の扉から、甘えた声が。
「パトリック様ぁ、どうなさったの?すごい音がしたけれど…」
まさかと思いながら、パトリックの背後を見る。
そこには、応接室から出てくるラーラが。
ローザリンデはある意味、感嘆した。
パトリックが応接室にいることを察知した、ラーラの嗅覚に。
あんなに急いで駆け付けたのに、すでに義妹はパトリックを見つけ出していた。
そして、見つけられてしまったパトリックは、部屋に二人きりにならないよう、慌ててここから脱出しようとして自分にぶつかったのだろう。
ラーラが、義姉の手をしっかり握るパトリックを見て、傷ついたような顔をした。
「何事だ」
やっと伯爵が現れた。
「ローザリンデお嬢様。チュラコス公爵令息が、ご到着です」
それと同時に、エントランスから来た下僕がフィンレーの到着を告げる。
パトリックのローザリンデの手を握る力が強まった。
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