二人の公爵令息 1
元々父と義母の間に、愛情も信頼もないことは察していた。
貴族の間では、後継者を成した後の夫婦が、互いに愛人を持つことがあるのは知識としては知っている。
ただ近年、国内外に緊張した情勢が続くこの国では、高位貴族であればあるほど、家門を護るため、信頼し合い、ともに一族を支えられる配偶者を娶り、外部に隙を見せぬようにする必要があった。
だからこそ、伴侶選びには万全を期し、その求める条件が厳しくなっているという面もあるのだが。
今時享楽的に、夜会に頻繁に顔を出し遊び惚けているのは、それこそ中央政権とは無縁な下位貴族や、将来のない弱小家門の傍系、または自分の楽しみのためだけに、相手を遊び道具としか思っていないような輩だろう。
なのに、そんなことに、自分の娘を巻き込んでいたなんて…。
父も罪深いと思っていたが、義母のやっていたことは、女であるローザリンデにとって、なによりも許し難いことだった。
ゲオルグとの婚姻後、何通も何通も、ラーラから来ていた下賤な内容の手紙を思い出す。
そこにはゲオルグとの閨でのことまで記されていた。しかし、そこに書かれた夫の姿は、まるで別人のように感じたものだ。
あの時は、ラーラと自分、愛されているものとそうでないものの違いなのかと思っていた。しかしもしかすると、その中には、他の男たちとのことを書いたものもあったのかもしれない。
何しろ、今だってラーラの眼差しには、持って然るべき罪悪感や背徳感といったものが皆無だ。
晩餐会でのことを考えれば、ゲオルグとラーラの間に婚約中、互いを思う愛情があったとはとても思えない。ラーラにしても、抱いているのは愛ではなく欲。
ローザリンデは、立ち上がると、コンサバトリーに残る、秋バラの小さな花の匂いを嗅いだ。
気持ちを落ち着けたかった。
「ラーラ、ゲオルグ様は、あなたを好きではないかもしれないと言ったわよね?」
振り向かないまま、ラーラに問いかける。
「ええ」
「では、あなたは?」
「うーん…。素敵だし、一番最初に求婚してくれたから、良いかなって思ったけど、今はそうでもない。何より、わたしのことを好きじゃないの、楽しくないもの」
なにかを食べながら答える声。
ラーラにとっては、それはお茶の合間にするような軽い話題なのだ。
ローザリンデは一息ついて、ラーラに向き直った。
父の言う通り、義妹をシャンダウス家の所縁の者として立派に嫁がせるためには、このままではいけないと、覚悟を決めたのだ。
「ラーラ。今後、夜会へはわたしが同伴出来る時だけ、参加を許します。あと、『あなたを好きな殿方』とは、誘われても親しくしてはいけません。あなたには、大事な倫理観が欠如しています。それはあなたのせいではないけれど、本当の意味で幸せになるには、今後考え方を変える必要があります」
「り…りんり…?殿方と会っちゃダメ?え?どうして?」
「それは、あと半年もすれば、あなたにも分かるようになるわ。そして、もしそうする中で、あなたと楽しいことをしたいから『好き』なのではなく、互いをただ一人の人として、愛し尊重し合える方と巡り会えることが出来れば、躊躇なく今の婚約を解消して、その方に嫁ぎなさい」
ラーラは、大きな青の瞳を、これでもかと見開いた。
そして、白金色の巻き毛で覆われた頭の中で、一生懸命考える。
やがて義妹は答えを出した。
「…分かった。お義姉様のおっしゃる通りにする。だって、わたしに何時間もかけて何かを教えてくれたの、お義姉様だけだもの」
ローザリンデの覚悟が伝わったのだろうか。
ラーラの瞳は、まっすぐに、目の前の人物を信じる者の瞳だった。
期せずして、衝撃的なティータイムとなってしまったが、ローザリンデは気持ちを改めようとテーブルに座りなおした。
その時だった。
執事のラーゲンが、コンサバトリーの入口から、控えめに声を掛けて来た。
「ローザリンデお嬢様、よろしいでしょうか?」
「どうしたの?」
すっかり冷えたカップを持ち上げたところだったローザリンデは、それをそっとソーサーに置き返事をする。
すると、執事はコンサバトリーに足を踏み入れ、ラーラに一礼したのち、小さな紙片を渡してきた。
そこには、
『チュラコス公爵家のご令息から、本日の来訪の先触れが参りました』
と、書かれている。
ローザリンデはもう一度紙片を見た。
やはりチュラコス家の令息から、本日来訪の先触れが来たと書いてある。
「これ…、いつ頃きたのかしら?」
紙片を握る手に、自然と力がこもる。
本当に、次から次に、巻き戻った自分の日々は、なんと多忙なのだろうか。
「ついさっきでございます。そして、旦那様が、すでに諾とご返答なさってしまいました」
まったく…、と父に憤る。
気が変わったと言って、求婚の許しへの返答は保留したというのに、結局チュラコス公爵家に対して否やの返答はしかねるらしい。
このタイミングで来訪を受ければ、求婚への答えを必ず聞かれるだろう。
父はそこまで考えて、公爵令息を迎え入れるつもりなのか。
そして、ローザリンデに、どう返答しろいうのか。
まったく受ける気がないのに、上手くはぐらかす芸当などできるわけもない。
こればっかりは、前の時の経験は役に立ちそうになかった。
しかし、どちらにしても明日の茶会で顔を合わせるのは必然なのに、なぜ突然の来訪なのか。
迎えの馬車を断ったせいだろうか。
仕方なく、ローザリンデは立ち上がった。
見下ろせば、相変わらず、胸にインクの染みがついたままのグレイのデイドレス。
そして考える。
この姿を見て、フィンレーの思い込みが多少でも薄れてくれれば、それはそれで良しかもしれない、と。
ローザリンデは、どこかで思っていた。
フィンレーの自分への傾倒は、きっと学院という狭い世界の中でのみ通用した、かつての下級生に対しての間違った思い込みがあるのではないかと。
そこに、チュラコス公爵家の令息として、何度も招待状を送っているのに、返事すら寄越さなかったことへの、矜持から来る意地が加わった可能性がある。そして最後、ガッデンハイル公爵家の茶会という最高の場面で、学生の頃とはがらりと変わった淑女として装った姿を見たことで、新鮮さ故の驚きを、違う感情と間違えているのに違いないと。
しかし、それと同時に、前の時、チュラコス公爵家の嫡男が、いつまでも結婚しないという社交界の噂を思い出す。結局彼は、『ワッツイア城塞奪還』後、王弟派が弾劾され、自らが王都から領地に本拠地を移す頃に、二十も年下のマーシャシンク侯爵家の令嬢を娶ったのではなかったか。
その記憶が確かならば、フィンレーの妻となる女性は、今はまだほんの幼い子どもということになる。
国王派と王弟派に分かれての、数年にわたった国内の王権争いがあったとはいえ、大公爵家の嫡男の結婚は、なぜこんなに後回しになってしまったのだろうか…。
しかし、ローザリンデの思考は、そこで遮断されてしまった。
またしても慌ただしく駆け付けた、下僕のヘンドリックによって。
「お…お嬢様!ガッデンハイル公爵家のご令息が、いらしています」
今度はパトリック?!
ローザリンデは、緩く編まれた自分のお下げ髪に思わず手を差し入れ、くしゃりと握った。
のんきなラーラが、「パトリック様が?!」と、相変わらず許されていない『名前呼び』をして、ぴょこんと椅子から立ち上がった。
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