ラーラと午後のお茶 1
ここに巻き戻って来て五日目。
一日目の朝は、前の時の記憶の通り、半地下の使用人部屋から始まった。
バーゼル夫人に、屋敷から追い払うための無謀なお使いを言い渡され、厨房で立ったまま朝食を摂り、王立公園を目指した。
そこまでは、ぴったり前の時と同じだった。
しかし、そこからが大きく変わってしまった。
そう、神学校を休学したパトリックと、王都の通りで再会してから…。
前の時と人間関係だけでも、大きく様変わりしてきている。
そして、今また目の前で、前の時、ほとんど会話らしい会話もしたことのなかった父親が、自分の想定とは違った動きの気配を漂わせている。
(今頃になって何を勝手な…)
しかし相手は、間違いなくこの家の主。家門の長なのだ。
シャンダウス家の復権のため、自己満足のため、もしくは領地で入れ込んでいると噂の未亡人のため…。
動機は何であれ、ローザリンデをこの世である意味、最も好きなように扱える立場の男が、自分の既知の枠から這い出てしまったことに、不安と苛立ちを感じるのはどうしようもなかった。
「では、レオンの世話もありますので、部屋に戻ります。予算案はどういたしましょうか。お父様がこちらにいらっしゃるなら、わたしの出る幕ではないかと?」
早口で述べた言葉に、伯爵は思索を遮られハッと顔を上げた。
「あ…ああ。あ、いや、予算か。あれは、あのまま組んでしまおう。細やかなところまで、よく詰めてあった。それに最終の確認は、どのみちわたしがするはずだったのだから、あとは任せなさい」
まるで普通の父親のような発言に、ローザリンデは目を伏せて席を立つ。
「では、失礼いたします」
前の時、この父親の無関心と無責任によって、自分が被った不条理を思えば、まだそんなことが起こっていない今の時点においてでも、安易に心を開く気にはなれない。
なのに、結局は冷たく突き放すことも出来なくなるであろう自分の性分にも、苛立ちを覚えてしまうのだった。
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その日の午後、ラーラは楽しそうに花嫁学校から帰って来た。
そして、マナーの確認も兼ねた、ローザリンデとのアフタヌーンティーの用意は、義妹の希望で例のコンサバトリーにされていた。
「お義姉さまぁ~。今日、昨日の晩餐会の話をしたら、皆さんとっても羨ましがったのよ!ガッデンハイル公爵家の茶会にもお招きいただいた話をしたら、上級生まで、わたしにすっごく親切にして下さるようになって。学校って、こんなに楽しかったのね!」
テーブルに肘をつき、カップを両手で持とうとするラーラに、ローザリンデは、にっこり笑ってそのピンク色の肘をつついた。
「あ!」
途端に頬を赤らめ、ピンと背筋を伸ばして左手にソーサーを持つ。
その姿勢で、そーっと上目遣いで義姉の顔を確認した。
「良く出来ました」
褒めると、ぱぁっと表情を明るくする。
「ほ・ほ・え・み・す・ぎ」
その言葉に、今度は慌てて歯を見せていた口元を引き締め、貴婦人らしいアルカイックスマイルを浮かべた。
ひとつうなずき、ローザリンデもカップを手にすると、ひとまず合格と思ったのか自分もお茶を口に含む。
晩餐会の前の夜、何時間かかけ、最低限の礼儀と教養の付け焼刃のレッスンをしてから、この義妹は急速にローザリンデに心を開き始めていた。
前の時の、あの悪意に満ちた手紙の主と同一人物とは思えないほどの素直さに、毒気を抜かれるほどの。
しかし、このコンサバトリーで濃厚な口づけをゲオルグと交わしていたラーラは、確かにこの目の前の、無邪気にマカロンをつまむ義妹と年齢も違わない同一人物だったのだが…。
そして、自分の母親がこの屋敷からいなくなったことを、どう思っているのだろうか。
まさか、まだ知らない?
しかし、バーゼル夫人もいなくなり、逆に夫人付きのレディスメイドが朝から自分の部屋にやってくれば、どれほど鈍感だったとしても気づいているはずだろう。
ただ、この義妹は、結局義母から、このシャンダウス家の籍に自分が入れられていないことを聞かされていない。父自身もこの義娘を、伯爵家から責任もって嫁がせると言っていた。
ここで何か踏み込めば、かえって不安だけを募らせる結果になるのかもしれない。
ローザリンデは、義妹の様子を窺いながら、とりあえず昼下がりに面接を済ませた家庭教師の話を伝えることにした。
「そうそう。今日、ユーチャリス子爵家のミス・バーバラに来ていただいて、あなたに貴族の家のお金の使い方や運用の仕方を教えて下さるようお願いしたのよ」
そう言った途端、ラーラはうへぇと唇をゆがめた。
その表情に、ローザリンデが片方の眉を上げると、慌てて取って付けた微笑みを貼り付ける。
「わたし…、数字を見ると、すぐ眠たくなるんです…」
しかし、その直截な言葉に、思わず吹き出す。
「ふふふ。もちろん、それも教えていただくけれど、一番大事なのは、入って来るお金と、出て行くお金をいかに効率よく、かつ有意義なものにするのか…ということなのよ」
その言葉に、ラーラがきょとんとする。
「例えば、ここに百プラメントのお金があったとして、それでドレスを買うのと、領民に農機具を買い与えるの、どちらが良いと思う?」
「ドレス!」
もちろんラーラは思った通りの答えを即座に口にした。
ローザリンデは続ける。
「でも、領民に農機具を買い与えた場合、次のシーズンには、二百プラメントのお金が、いいえ、上手く行けば三百プラメントになっているかもしれないわ。それなら、どう?」
そう言われて、ラーラは残念そうに眉をしかめた。
仮定の話でも、ドレスを我慢するのが辛かったのかもしれない。
「けれど、もしかすると、農機具を買い与えなくても、気候がとても良くて、勝手に収入が増える年もあるかもしれない」
「ええ~それなら、新しいドレスが欲しいわ」
「でも、その百プラメントで麦を買って、領民に与えなければならないほどの不作の年があったとしたら?」
途端に、ラーラは口をつぐんだ。
ドレスか命か…となれば、当然命なのは、義妹も分かっているようだ。
「そういうことを考えながら、領地からの収入を使っていくのが、貴族の勤めなのよ。ゲオルグ様は爵位を継がれるわけではないから、騎士として国庫から支給される俸禄がその収入になるのだけれど、それだって、いかに使うかによって結果は変わってくるの。妻となるなら、そういう知識を持って、毎年新しいドレスを買えるようにしたくない?」
そう言われて、ラーラは複雑そうな面持ちで考え込む。
そして、気まずそうに口を開く。
「…わたし、もっと小さい時、簡単な計算も出来なかった。その時の先生は、いつもわたしのことバカにして、わざと赤ちゃんに言うみたいに話しかけたりした…。マダム・ヘジリテイトの学校は、わたしよりも文字を読むのが苦手だったり外国の子がいたりするから、先生が何を言っているか分からないなんてことないけど…」
ローザリンデは、眉をしかめた。
ラーラが努力が嫌いな子なのは知っていた。しかし、まさか伯爵家に雇われた家庭教師が、令嬢に対してそんな態度を取っていたとは。それは初めて知る事実だった。
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