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【完結】本当に悪いのは、誰?  作者: ころぽっくる
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シャンダウス伯爵家へ 2

ローザリンデは部屋から出ると、まず厨房に向かった。

暗くなる頃まで屋敷から離れていなければならないなら、何かでこの胃を満たさなければ。


久しぶりに感じる心地よい空腹に、自分が十代なのだという実感が増す。

使用人部屋に住み、こんな風に屋敷から一日中遠ざけられるということは、恐らく自分は今十七歳。

そして、王立学院を中途退学させられ、遅ればせながらラーラと同時に社交界デビューしてから初めての秋なのだと悟った。


二十年ぶりに目にする伯爵家の薄暗い使用人用の廊下。

きっと二十年後も変わらず、いやもっと老朽化していたのではないだろうかと想いを巡らせる。

父である伯爵はこういう内向きのことには関心が無かったし、領地を持たず王都の住まいも借家だった男爵家出身の継母には、領地と王都屋敷を管理する能力が乏しかった。


「おはようございます。何か食べる物をいただけませんか?」


厨房に声をかけると、薄く微笑みを浮かべたキッチンメイドが焼きたてのペストリーを差し出してくれた。その記憶に残る顔に、本当に時間が巻き戻ったことを実感する。

二つ皿に載せ、作りかけのスープを自分でよそうと、厨房の隅に立ったままそれらを胃に放り込んだ。

座って食事をしているところを、もし家政婦長に見られでもしたら、厨房の使用人たちがローザリンデに便宜を図ったと罰せられてしまうからだ。


以前のローザリンデではあり得ない速度で食事を済ませると、コック長がその目の前に、小さなバスケットを差し出した。


「今日はラーラお嬢様の婚約者様がおいでになるようですね。一日帰って来られないのでしょう?どこかで食べて下さい」


これこそ、もし見つかれば大変なことだ。

ローザリンデは無言で感謝の笑顔を浮かべると、一瞬周囲を確認してさっと受け取った。

申し合わせたように、厨房の使用人たちは見て見ぬふりをする。

そんなやり取りも、二十年振りなら懐かしくすら感じた。


初秋なら、学院から伯爵家に戻されて、もう数ヶ月が経過しているはずだった。

当初、家政婦長の言いつけ通りローザリンデを軽んじていた使用人たちが、メイド扱いされながらも、共に働き頼りになる彼女を、こっそり助けてくれ始めた時期だ。


(戻ったのがこの時期で良かった。これより前ではもう一度乗り越えるのに心が折れたかもしれないし、これより後だと、巻き戻った意味がない事態になるところだった)


「では行って参ります」


小さく、誰とはなしに声をかけると、ローザリンデは薄いデイドレス一枚で使用人用の勝手口から裏門に歩き出した。初秋の朝の冷えた空気に、一度ぶるりと体を震わせて。


それを視線だけで見送るキッチンメイドに、伯爵家に入ったばかりの下男が問いかけた。


「今の人はどこの担当なんだい?お仕着せは着てなかったけど、レディスメイドにしてはみすぼらしいじゃないか」


キッチンメイドは少し考えて、下男を物陰に引っ張った。


「あの方は、ここの上のお嬢様、ローザリンデお嬢様だよ」


下男はギョッとして、メイドを見る。


「お嬢様って、ラーラお嬢様だけじゃなかったのか?それに、どうして伯爵家の御令嬢があんな身なりで、立ったまま朝飯を食ってるんだよ」


メイドは少し周囲を見回すと、一気に教えるべきことを口にした。


「ローザリンデ様は前の奥様のお子様。ラーラ様は、今の奥様の連れ子様。分かったかい?」


下男は一瞬目を見開いた。しかしいくつかの貴族の家を渡り歩いている下男は、今教えられた情報だけで、色々なことを察してうなずいた。


「それ以上のことは、自分の目と耳で判断をし。でも、付け加えるなら、バーゼル夫人以外は、あの方を嫌っている使用人はいない。ここの女主人はめちゃくちゃだけど、あの方がいるから何とかなってる」


レオン様が生まれるまでは、あの方も将来は婿をとって伯爵家を継ぐ人間として、王立学院の寮住まいで勉学に励み、愛情はかけられなくとも、それなりの扱いを受けていたらしいんだけど…。


そう呟いたメイドの心の声が、しかし音として発されることはなかった。

それは他の使用人も同じだった。

もしここに、古参の使用人、わずかな恩給だけで解雇した前の執事や家政婦長がいたならば、それは音を伴った声として、伯爵にくらいは届けられたかもしれない。


しかし、伯爵は夫人がレオンを懐妊してから、王都の屋敷にはほとんど帰って来なくなっていた。

領地の収穫量を上げるため、農地改革に取り組んでいるとの理由でほとんどそちらに滞在し、今年は社交シーズンの数週間、王都に来ただけだった。


噂では、領地で伯爵の身の回りの世話をするメイドとして雇われた未亡人が、いたくお気に入りなのだとか。

待望の男児であるレオンが生まれた時ですら、祝いの言葉とともに、領地からしばらく離れられないから、王都の屋敷のことは夫人に任せるとの書状が届いただけだった。


それは夫人にとって、夫の関心を他の女に取られるという、大いにプライドが踏みにじられる行為だった。

シャンダウス伯爵は、薄情で、若く美しい女に目が無い。

だからこそ、男爵家出身の出戻りの自分が、後妻として伯爵家へ嫁いで来られたのだが…。


元々夫を愛しているわけでもなく、名門伯爵家の夫人の座が目的の結婚。

夫からの閨での破廉恥な要求にも何とか応え、やっと跡取りとなる男児を出産した。


今は、それにより自分の立場が盤石となったことへの喜びの方が勝っていて、逆に王都で夫の目を気にせずに好き勝手出来ると解釈すれば、悪い話ではなかった。


そこで夫人が真っ先にとりかかったのは、自分と娘にとって邪魔者でしかなく、レオンが生まれたことで伯爵家にとっても不要な人間となった、前妻の娘の排除だった。


しかもこの娘は、単に伯爵家の血筋を受け継いでいると言うだけで、この先、美しく可憐なラーラよりも良い嫁ぎ先に恵まれるだろうことは想像に難くない。


この娘に何らかの瑕疵をつけ、『シャンダウス伯爵家の令嬢』に来た縁談を、そのままラーラのものにすることが出来れば…。

そのためには、卒業するだけで評価がかなり上がると言う王立学院を、すぐさま辞めさせる必要がある。あの娘は、三年生の時には優秀生徒の称号まで与えられたと言う。


シャンダウスを名乗る娘として、当然ラーラも王立学院に入学させようと思っていた。

しかし、入学判定ののちに送られたきた書面は、入学の不許可の通知。

中途退学は多くても、伯爵以上の貴族であれば、どこも入学できるレベルにまでは家庭教師により幼い頃から教育しているのが当たり前とされていた。


ラーラは勉強や努力といったものが苦手だ。

仕方なく、不許可の事実を隠すため、医者を丸め込んで、ラーラは体が弱く通学に耐えられないから入学を辞退したと、伯爵や周囲の貴族たちには触れ回った。


だが、王立学院がどれほどのものだろうか。

夫人も卒業したのは、私立の花嫁学校だった。それでも、今こうして伯爵夫人としていられるのは、ひとえに自分の美しい容姿のお陰だった。


夫人は、すぐに領地の伯爵に手紙を送った。

未来の伯爵であるレオンのため、優秀なローザリンデの手を借りたいと。

彼女がレオンの教育に幼い頃から手を貸してくれれば、きっと王立学院に優秀な成績で入学が許可されるだろうと。


女性貴族の中途退学はよくある話だ。

伯爵は、未亡人とのただれた楽しみを送る蕩けた頭で、簡単に退学申請書にサインをし、ローザリンデの運命はあっけなく天国から地獄に突き落とされた。


その後、夫人はローザリンデの祖母である大奥様の時代からの使用人をすべて解雇し、その人員を一新した。

もうシャンダウス伯爵家に、彼女に異を唱える人間はいなくなった。


学院から三年振りに戻って来たローザリンデは、地味で醜くて、美しいラーラの脅威になるとはとても思えなかった。男が自分で妻を選ぶなら、間違いなくラーラを選ぶだろう。

しかし、貴族の結婚、特に跡継ぎを生むであろう最初の妻に重視されるのは、高位の貴族であればあるほど、その血統だった。


夫人は、ラーラの結婚が決まるまでは、決して気を緩めないと決意し、ローザリンデを使用人のように扱うことを決めた。矜持も、時間も、美しい指先も、滑らかな肌も奪ってしまおうと。

当初の予定通り、夫人は腹心のバーゼル夫人にローザリンデの扱いを、使用人と同等とするよう屋敷中に触れ回させた。


だから、当初はバーゼル夫人の言いつけ通り、使用人たちはローザリンデを軽んじて無視した。

亡くなった大奥様に可愛がられていたのを笠に着て、今の伯爵夫人と連れ子のラーラを虐げていたひどい娘だとも聞かされていた。


それはそれは、『あまりにひどく目に余るほどの所業』だったと。そのせいで学院に入学してからの三年間、一度も屋敷も戻ってくるのを許されなかったのだとも。


しかし、ひと月もすれば、その言葉こそが『あまりにひどく目に余るほどの嘘』であることが、誰の目にも明白となった。


使用人部屋を与えられ、早朝から深夜までメイド仕事に赤子の子守、時には伯爵夫人や執事の代わりに帳簿や礼状、社交に必要なやり取りまで文句を言わずにこなしている十七歳の娘が、かつてそのようなことをしたと、だれも想像が出来なかった。


それよりも、子どもを放り出して毎夜怪しげな夜会に繰り出し、夜以外は寝台で怠惰に過ごす伯爵夫人や、何人家庭教師を変えても、未だに学院入学前の子供がするような教本も理解できないわがまま放題の連れ子のお嬢様の姿の方が、なによりも真実を物語っていた。


こうして、ローザリンデを取り巻く屋敷内の空気は、少しずつ変化していった。


読んでいただき、ありがとうございます。

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