王都屋敷の伯爵 4
そうだ、前の時、パトリックは何か強い信念の下、寝る間も惜しんで祈りと研鑽に励んでいた。
あの、研ぎ澄まされたようなパトリックの姿を大聖堂で垣間見るたび、手紙で体調を労わらずにはおられなかった。
だからこそ、二十二歳の若さで枢機卿にまでなったのだろうが。
そんなローザリンデの言葉の語気に、伯爵は一瞬気圧されたが、それでも自分の言うべきことは一息に述べる。
「だが、チュラコス家のご令息への求婚の許しは、しばらく保留にしようと思う。いいね」
これ以上、自分の身辺が騒がしくなることなど望んでいない。ローザリンデは喜んで受け入れた。
「承知いたしました。わたしも、学院で一下級生として親しくさせていただいていたご令息のことしか存じ上げませんから、これからお人柄に触れて行きたいと思っております」
前の時、王弟派の黒幕となったチュラコス家を率いたのは、当然次代の公爵、フィンレーだった。
あれで急速に王弟派は力をつけ、勢力を拡大させたのだ。
しかも、ゲオルグが英雄と呼ばれる由来となった、『ワッツイア城塞奪還』後、力を失った王弟派の貴族たちが次々弾劾されていく中、チュラコス公爵家だけは公に裁かれる証がどこにも残されておらず、まんまと逃げおおせた。王都から広大な公爵領にその本拠を移して、煙に巻いたその尻尾を、誰にも捕まえさせることなく。
徹底的に、『陰の黒幕』として、その陰の中から一歩も出ずに王弟派を率いていたのだ。
その手腕は、カスペラクス侯爵家でもたびたび語られた。
侯爵閣下などは、なぜか親しみを込めて、『腹黒フィンレー』と呼んでいたのを思い出す。
敵対する派閥の長ながら、その能力を認めていたのだろう。
ガッデンハイル公爵夫人の言葉を思い出す。
『この国は、腐り始めているわ。そんな国のため、国教会のためになど、大事なパトリックの身を捧げさせるものですか』
それはローザリンデも同じ気持ちだ。
国教会が、これからの国内の騒乱にどう関与していくのか、知ってしまった身としては、なおさらだ。
それならば、その一方を主導することになる男のことを、もっと近くで知ることも必要に違いない。
学院での、穏やかで頼りがいがあり、常にユーモアを湛え明るい人柄だったフィンレーが、この国を二分する『影の黒幕』になることに、どうしてもローザリンデは違和感がぬぐえないのだ。
「ご令息が言っていた、明後日の約束というのが、チュラコス公爵家での茶会か?」
考え事を遮られ顔を上げると、伯爵が目の前の娘の姿を検分している視線に気が付く。
「はい」
「あれや、ラーラは?」
「その日は、わたしとパトリック様だけで参ります。その他の招待客がどなたかは知らされておりません」
実は、ほぼ自分を招くためだけの茶会だと知る由もないローザリンデは、ガッデンハイル家での茶会を小規模にしたようなものを想像しながら答えた。
それよりも、父が義母のことを、さきほどから『あれ』としか呼ばないことを不審に思う。
そう言えば、ケイティは、夜が来ないうちから酔っぱらっていた義母が、父によって『どこかに連れて行かれた』と言っていた…。
「ところで、お義母様とラーラはいまどちらに?」
さらっと問うてみると、父は一瞬不快な顔をして、ソファにその身を預けた。
「あれの娘は、自室におるだろう。カスペラクス侯爵家に嫁ぐまで、お前が教育することになったと聞いた」
では、義母は?言葉の続きを促すように、父の顔を見れば、目を閉じたまま、吐き捨てるように言う。
「あれは、ちょうど侯爵家から戻って来た実家の同門のシャペロンの家に、当分預けることとした。お前にも、あれの娘にも、悪影響でしかないからな」
パトロラネ夫人の家に?ローザリンデはまったく予想していなかった展開に、驚いた。
たった数日前、ローザリンデが反撃を決意し実行したことで、義母は少しずつ屋敷内での女主人としての立場を失っていっていた。
加えて、公爵家の茶会では思い通りにならず、カスペラクス侯爵家の晩餐会には招かれなかった。
その憂さを酒で紛らわせていたところに、領地にいて、自分達には何をしようと無関心だったはずの夫が、先触れもなく王都に現れ、その醜態を見られてしまったのだ。
伯爵夫人にしてみれば、不運以外の何物でもないかもしれない。自業自得だが。
「パトロラネ家に預けられた…ということでしょうか?」
「ああ、男爵家から連れて来ていた古参のメイドも共に行かせたし、その家には当分困らない小切手も切ったから、不自由はしないはずだ」
バーゼル夫人のことだろうか。しかし、そういうことを言っているのではなかったが、父の義母に対する思い入れはそれぐらいということなのか…。
「おまえは、あれの部屋に入ったことがあるか?」
突然の問いに、ローザリンデは首を横に振った。
伯爵が、薄気味悪い物を見たような顔をする。
「…悪趣味でしかない。伯爵家所有の宝石類が無造作に部屋中に置かれ、衣裳部屋に入りきらなくなったドレスが、タンス三つ分、扉が閉められない状態で詰め込まれていた。その中には、お前の母親の遺したドレスまであった…」
そう聞いて、背筋がゾッとする。
確かに、夜出かける時も、ありったけの宝石を身に着けた姿を何度となく見たが、それを金庫に仕舞わず、部屋のいたるところに置いて眺めていたとは。しかも、義母とまったく体形が違う実母のドレスまでどん欲に所有しようとしたその欲望の深さに、心の闇を感じる。
「レオンを産んだことで、跡取りの生母として、あれの好きにさせたことは間違いだった…。その血を引くと考えれば、あれの娘も、レオンも、しっかり教育しなければ、この家に害悪を及ぼしかねない…」
初めて聞く父の悔恨の言葉に、ローザリンデはしかし白けた気持ちになった。
そんなこと、一番身近で義母をしっかり見ておれば、予想できるたはずだろう。しかしそれをせず、無責任に振舞い、結果自ら招いた事態に今更被害者面をしていることが。
「今回、たまたまチュラコス公爵令息が書簡が領地まで届けられ、急ぎ王都に足を運んだことから、あれの素の姿を見ることが出来た。あんな薄気味悪い者を、妻としてシャンダウス家の籍に置いておくわけにはいかぬ。禍根を残さぬよう、手厚く南部の療養院にでも入れるつもりだ」
その冷淡な言葉に、目を見開く。南部のそれは、体の良い、貴族専用の高級な療養院という名の檻。
前の時、義母は離れに押し込められはしたが、ローザリンデが亡くなるまでに、伯爵夫人の座を追われることはなかった。
何をしようと、無関心がゆえに咎められることもなかった義母が…。
「…どちらの公爵家に嫁ぐにしても、お前にした仕打ちをその夫となる次代の公爵が知れば、必ずや鉄槌を下そうとするだろう。お前は政略ではなく、求められて嫁ぐのだから」
ローザリンデに、公爵家の嫡男からの求婚が寄せられたことが義母の首を絞めることになったのだ。
義母にとって、前の時とのあまりの運命の違い。
家門のことしか考えていない、仮にも妻として子まで成した人間に対してあまりに冷淡な、しかしある意味誰よりも貴族的な父の言葉に、ふるりと体が震えた。
「…お義母様を籍から外せば、ラーラはこの家とは所縁のない人間となりませんか?」
しかし、その問いにも、父は素っ気なく答える。
「どうせ元々、シャンダウス家の籍にあの娘の名前はどこにも載っておらぬ。『シャンダウス家からの持参金を持って嫁した』という事実が残れば良いのだ」
ゲオルグと結婚させるのが本当にラーラにとっての幸せなのか分からない今、その婚約だけが彼女をシャンダウス家に留めるという事実に、ローザリンデは困惑した。
そして、この家門の長である父によって、ここに住まう者の運命がどんどん変えられていくことに、自分の無力さを感じるのだった。
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