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【完結】本当に悪いのは、誰?  作者: ころぽっくる
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パトリックの迎え 1

侯爵夫人が、扇をパシリと閉じ、ローザリンデに話しかける。


「ご令息と、当家でお約束をされていたのかしら?」


その問いに内心震え上がった。

もしそれを肯定などしようものなら、晩餐会に招いてくれたカスペラクス家の顔に泥を塗るようなもの。

ローザリンデは慌てて否定した。


「いいえ!まさか!どうしてわたしが公爵家のご令息を、自分の御者のように扱えるものでしょうか」


その返答に、夫人は納得したように嘆息してうなずいた。

ゲオルグの婚約者の娘でもあるまいし、この思慮深いローザリンデがそんなことをするとは、夫人自身も実際には思っていない。


先日の公爵家の茶会での出来事を聞いていたカスペラクス侯爵は、突然俗世に舞い戻ってきた『神童』の予期せぬ登場に俄然興味を引かれた。


「ご令息をこちらに丁重に案内せよ」


執事に指示を出す。

しかし、執事は困った顔で主を見返した。


「それが、お待ちいただく間、エントランスホールにご案内しようとしたのですが、シャンダウス家のご令嬢を迎えに来ただけだから、馬車で待つとの一点張りでいらっしゃいまして…」


その報告に、侯爵は今日初めて、気分を害した表情をした。

それもそのはず。

他家の屋敷に勝手に乗り込んでおいて、それでも公爵令息だからと手厚く遇しようとした申し出を、にべもなく断ったのだから。


「ガッデンハイル家の(せがれ)は、おいくつかな?」


問われて、ローザリンデは恐縮して答えた。


「十三歳でいらっしゃいます」


再来週には十四歳のはずだが、それを言う必要はない。

その証拠に、そう聞いて侯爵はしかめていた眉を下げた。

年齢を聞いて、王立の学校の就学年齢にも達しない、まだ分別のつかない子どもと思ったのだろう。


しかし、実際に茶会で同席した夫人の方は何をか思案顔。

先ほどの返答で、ローザリンデが呼んだのでなければ、ここに公爵令息が来たのは、彼の、もしくは公爵家の判断だと考えなければならないからだ。


パトリックが何を考えて自分を迎えに来たのか分からないローザリンデは、それでもとりあえず幼馴染のもとへ行こうと考えた。


「あの…一度ご令息のところへ行って参ります。わたしが何か不調法をしていたのかもしれません」


そう言いながら立ち上がる。

すると、それと同時に、侯爵までもが席を立った。


「わたしもご一緒しよう。いつもは聖堂の奥深くに隠されていた神童に、間近にお会いする機会ではないか」


閣下は面白がっている。

それはとても『らしい』行動だった。

そして、この屋敷で、侯爵の行動を制限する権利は誰にもない。


ローザリンデは執事の案内で、侯爵と二人、この屋敷のメインエントランスに向かった。


しかし、目的の場所に着く前から、何やら穏やかではない声が聞こえてくる。


「ご令嬢はラーラ嬢と一緒に、伯爵家の馬車で帰られる。ここはお引き取り願おう」

「とにかく、リンディを呼んでください。急ぎ当家においでいただく事情があるから、こうしてぼくが迎えに上がっているのです」

「随分親しげに呼んでおられるが、君はご令嬢とどういった間柄なんだ」

「あなたにそれを言う必要がありますか?」


ローザリンデはそれが誰の声かすぐに分かった。


(パトリックとゲオルグ様が?!)


そう思った途端、体が勝手に動き出した。

ドレスの前を両手でつかみ、駆け出さんばかりにせかせかと足を動かす。

追い抜かれた執事が、驚きの顔で見送った。


声を頼りにたどり着けば、思った通り、メインエントランスの入り口で、パトリックとゲオルグが向かい合い大きな声をあげている。


ローザリンデと背丈が変わらないパトリックは、完全にゲオルグに見下ろされていたが、まったく気圧されている気配がない。


そして、ローザリンデの姿を見つけた途端、声を上げた。


「リンディ!」


その声音に、思わず足が止まった。


こんな場面には似つかわしくない、驚くほどの切実さがその声に溢れていたからだ。


まるで、戦場で見失ってしまった大切な友の無事を確認したような。

雑踏で迷い子になってしまった我が子を見つけた親のような。

そして、遠く離れ離れになってしまった、最愛の恋人をその腕に迎えるような…。


突き動かされるように、ローザリンデは止めていた足を動かし、一歩一歩パトリックを目指す。

パトリックが、眼前のゲオルグをかわし、ローザリンデに一直線に向かってきた。


しかしその歩みは、幼馴染に手が届くところまで来て、ぴたりと停止した。


パトリックが、カスペラクス侯爵の姿を認め、目を開く。

こんな屋敷の入口でお目にかかるはずのない人物の登場に、明らかに驚いている。

けれど、それは一瞬のことだった。


「これはこれは…、侯爵閣下にお出迎えいただくとは…。ガッデンハイル家のパトリックと申します」


すぐに平静を取り戻したパトリックが、素早く帽子を脱ぎ、それを胸に当てながら左腕を広げ、侯爵に向けて頭を下げる。公爵家の人間であるにもかかわらず、パトリックは最上位の礼を執った。

短く切り揃えられた銀の髪が額にさらりとかかり、優雅な仕草に目を奪われる。


しかし、侯爵が着目したのはそこではなかった。

パトリックが執った礼が、両手を胸の前で組む神官のそれではなく、一般的な貴族男性の作法に則った礼であったことだった。


そして、それに対して、自らも腕を広げて頭を下げる。


公爵家の成人前の少年に、最上の礼を示されて、大の大人がこれ以上何が言えるだろう。

しかし逆に、侯爵は、今の一件で、パトリックを年齢通りの子どもとして扱ってはならないと思った。


「お初にお目に掛かる。当家の主、ユングラウ・ザン・カスペラクスと申す。はて、本日は身内の集まりのはずでしたが、お招きしておりましたか」


その問いに、パトリックは言葉に詰まる。

誰がなんと言おうと、面識もない家門に先触れもなく突然訪れるのは、不躾な所業で間違いないからだ。


ゲオルグには強気に出ていたパトリックだが、さすがに侯爵を前にすれば、素直に自らの非礼を認めるしかなかった。


「いいえ。招かれざる客であり、無礼を働いていることは承知しております。申し開きのしようもありません。ただ、ぼくの望みはただ一つ。ローザリンデ嬢を連れ帰ることだけです」


そのキッパリとした物言いに、侯爵が顎の髭をひとなでした。

目の前の、まだひょろりとして、男の体になってもいない十三歳の少年を、まじまじと見つめる。


生まれながらに希少な神力を有し、わずか八歳で国教会が公爵家から慌てて囲い込んだとか。

侯爵には、その力の程を感じる能力はない。

しかし、この少年が、決して一筋縄ではいかない有能な人物になるだろうという匂いは、プンプンとその鼻を刺激する。


見た目の優美さに騙されてはいけない。


しかも、国教会を離れれば、この国で王家に次ぐ序列の大貴族、ガッデンハイル公爵家の嫡男という立場まで有するのだ。


侯爵は慎重に口を開いた。

この子息を、敵に回す気は毛頭なかった。


「ご令息。ローザリンデ嬢は、我が家にとって大事な客人でございます。本来なら、伯爵家の馬車でお帰りになるか、当家の馬車で丁重にお送りして、その安全を確認しなければなりません。ですが、ガッデンハイル公爵家を信用しない者も、この王都にはいないでしょう」


そこで一度侯爵は言葉を切り、ローザリンデを振り返った。


「しかし、ローザリンデ嬢は未婚の女性。よもやご子息にお預けして、評判に傷がつくようでは、当家の名折れでございます。そのあたりはいかがでしょうか」


もっともな言い分に、パトリックはうなずく。

そして、エントランスの外を指さし言った。


「ご心配ご無用です。そのために、壁のない幌馬車で来ております。それに、ご令嬢には、社交界で無責任に交わされる噂や多少の傷など、ものともせぬ信奉者がいらっしゃるかと」


侯爵が愉快そうに、それに呼応する。


「ほお!して、その中に、ご令息も含まれるのですかな?」


その質問に、パトリックはにこりと笑い、突然神官のように胸に手を当てた。


「そのご質問の答えは、神のみぞ知る…ということにいたしましょう」


その邪推しか生まないであろう返答に、ローザリンデは口をはくはくとさせて、パトリックを見た。

けれど、笑顔の中のその瞳は、これっぽっちも笑ってなどいなかった。


読んで下さり、ありがとうございます。

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