晩餐会 3
イデリーナに連れられて行ったのは、大広間の石造りの壁の前に設えられた大きなテーブル。
そこには、侯爵夫妻と、サイジェスの両親である、侯爵の実弟夫妻が座っていた。
料理も酒も進んだようで、ローザリンデを見つけると、上機嫌で迎えられる。
「やあ!これはこれはシャンダウスの!さあさあ、こちらに座られよ」
サイジェスの父が、彼そっくりの人懐こい笑顔で、侯爵夫人の隣の席から立ち上がった。
ローザリンデの知る通り、侯爵夫妻の席には、あいさつに訪れる人物のため、多くの椅子が置かれている。
そして、そこにイデリーナの夫である次期侯爵が同席していないことも、もちろん彼女は知っていた。
カスペラクス家では、有事に備え、当主と次期当主が同じ宴席に出席することはない。
イデリーナの夫が領地の護りに徹してからは、その役目は王都屋敷に住むゲオルグに変わった。
そしてその頃には、隠居となった侯爵夫妻に代わり、ローザリンデがこの晩餐会を差配していたのだ。
しかし、目の前の侯爵はまだまだ若々しく、現役の兵然としている。
「シャンダウス家のご令嬢、さあどうぞ。閣下とわたくしの近くへおいでなさいな」
その横には、二日前に会ったばかりの侯爵夫人が、公爵家の茶会のときよりも随分親しみのこもった笑顔で迎えてくれた。しかしそれに騙されてはいけない。間違いなくこの荒くれの軍閥をまとめ上げている、主家の人間。
必要な時には、その剛腕を揮うことに躊躇などしない。
ラーラがいないこのタイミングで御前に呼ばれたことに、油断は禁物だった。
くだけた空気のその中、ローザリンデはドレスの両脇を優雅につまみ、すっと右足を引いて流れるような淑女の礼を執る。一線を引くための、行為だった。
「ごあいさつが遅れ、申し訳ございません。本日はお招きいただきありがとうございます。ご令息の婚約者、ラーラの義姉、シャンダウス伯爵家のローザリンデと申します」
そして、今更だと思われようと、『侯爵の客人』ではなく、あくまで『令息の婚約者の義姉』の立場を強調した。さらにすうっと息を吸い、言葉を続ける。
「加えて、侯爵閣下に置かれましては、わたしの出過ぎた発言に対して寛大なるお心でのご処置、誠に有難く、また申し訳ございませんでした」
侯爵が、さっきの出来事を怒るどころか面白がっていることは分かっていた。
しかし、シャンダウス家の人間として、何かあった時に付け入られる隙を残してはおけない。皆が見ている席で不問とする返事が欲しくて、ローザリンデはわざわざ謝罪の言葉を口にした。
「ご令嬢は、なかなか…。これでサイジェスやゲオルグよりも年下とは…。まあ良い。先ほどのことは、ご令嬢が披露した見解以外、以後何人も不問とするゆえ、安心してわたしの話し相手をせよ」
そう言って、侯爵は立派な口髭の中で、にかっと笑った。
夫人が、その様子を満足気に眺める。
ローザリンデは覚悟を決めて、夫妻の前の椅子に腰かけた。
その横の椅子にイデリーナも座り、静かに笑いかけて来る。
先ほどの話が本当なら、彼女も別の思惑をもって、この場にいるということになる。
そして、ここにラーラとゲオルグが戻ってくればどうなるのか…。
座った途端、目の前に下僕によってグラスが運ばれて来る。
侯爵がそれを手に取り、小さく掲げた。
「シャンダウス家のローザリンデ嬢へ」
侯爵閣下自らによって、そのグラスはローザリンデに捧げられた。
仕方なく、ローザリンデも同じく手に取り掲げると、
「カスペラクス侯爵家の益々のご繁栄を」
と、その一杯を捧げた。
これより、ローザリンデは、侯爵夫妻直々の客人として、逃げも隠れも出来なくなったのである。
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「して、さきほどの説は、どのようにして導かれたのかな?」
ひとしきり当たり障りが無いようでいて、婉曲に身上調査をされているような会話が続いたあと、侯爵はローザリンデが披露した見解に関して問うてきた。
これを利用しない手はないと、ローザリンデは口を開く。
「あの見解は、あのように申しましたが、実はわたし一人で考えたものではございません」
それは真実のことだった。
最終的に、あそこまで見解を煮詰められたのは、かつて、この目の前の侯爵と何度もお茶の時間の話のタネとして繰り広げられた、お遊びの論戦のお陰だったからだ。
「ですから、あまりわたしのことを、買い被らないで下さいませ…」
そう言って、突然年頃の娘らしく恥じらいを見せたローザリンデに、侯爵は「はっはっは」と声をあげて笑った。侯爵夫人も、扇の陰で笑いをかみ殺しているのが分かる。
「ローザリンデ様、突然年頃ぶられても、もう遅うございますわよ」
イデリーナには、諦めるよう諭される。
そんなつもりではなかったのに、結果的に笑いを誘ってしまった自分の所業に、今度は本当に顔を赤くした。
「だが、やはり議論の始まりは、前国王による国内での酷政に端を発した、シャンダウス家の王弟派への転換を知るローザリンデ嬢の着眼点であろう。まあ、その論戦の相手も、相当見識の深い人間だったと思うが」
当然だ。この国の軍閥で最も見識が深いであろう、目の前の侯爵がその相手だったのだから。
結局、ローザリンデは夫妻から名前で呼ばれることになってしまった。
ガッデンハイル公爵夫人のように、「おじ様。おば様」と呼ぶようにとも言われたが、まだラーラが嫁しておりませんのに、とやんわりはぐらかした。
侯爵夫人が何か言いたげにする。
すると、イデリーナが、
「そう言えば、ラーラ様は遅いですわね。ゲオルグ様も。もしかしてご一緒かしら?」
と言って、場の空気を掻きまわした。
しかし、相手は一枚上手。
「そうね…。ラーラ嬢とは今日まだきちんと会話できていないわ。ローザリンデ嬢、閉会後、奥の居間にラーラ嬢と一緒にいらっしゃいな。ゲオルグも一緒にお話しましょう」
イデリーナが、ちらりとローザリンデを見た。
その目は、行かない方が良いと伝えている気がする。
しかし、侯爵夫人直々のお誘いを、どうやって断れば良いのか。
いまだ戻らないラーラを口実にするか…。
そうローザリンデが考え込んだ時だった。
大広間の入口から、突然執事が一人、早足で現れ、侯爵の耳元に口を寄せ何かを伝えた。
それを聞き、侯爵の目がみるみる驚きに見開かれ、次にそれは、ゆっくりとローザリンデの顔に注がれる。
そして、その表情のままあごひげに手をやり一瞬思いを巡らすと、執事から報告されたことを目の前の伯爵令嬢に伝えた。
「ローザリンデ嬢、ガッデンハイル公爵家のパトリック殿が、そなたを迎えに我が屋敷まで来られているそうだ」
ローザリンデは、口を開いて固まった。
巻き戻ってきたこの世界で、もっとも予測不能なのは、やはりパトリックだと思った。
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