晩餐会 2
遠い席からでもあのハプニングに気付いたのか、下僕辺りから報告があったのか、レディスメイドらしき使用人まで引き連れている。
「義妹様のドレスがワインで汚れてしまったと聞きましたの。お力になれるはずですわ」
次期侯爵夫人の登場に、ローザリンデは、あえてさっと礼の姿勢を取った。
ラーラがそれを見て、慌てて同じ姿勢を取る。
この義妹が、礼儀作法はまだまだ付け焼刃だと知っているイデリーナには、自分の意図はお見通しだろう。
優雅な所作で二人のそばまでやってくると、イデリーナはラーラのドレスを見て、一瞬眉をしかめた。
「まあ、素敵なお召し物が…。でも、このくらいなら大丈夫。この者はドレスの扱いには慣れていますからね」
三十代くらいの使用人が、そう言われて礼をする。
ラーラがあからさまにホッとするのが分かった。
着替えを持って来ているわけでもなく、腕の立つ使用人まで用意されれば、示された好意を受け取らない理由が無い。
これに便乗して、ドレスを取りに行くなどの言い訳で、この場から去ってしまえないかと考えていたローザリンデは、目論見が外れしまった。
しかし、それを表に出すことは出来ない。
「ご配慮に感謝いたします。良かったわね、ラーラ」
「はい。ローザリンデお義姉様」
仕方なく、次の手立てを考えようと、そのレディスメイドとラーラを連れて控えの間に行こうとしたところで、再度呼び止められた。
嫌な予感しかせず、ゆっくりと振り返る。
イデリーナがにこやかに近づいてきた。
「ローザリンデ様はお待ちになって。控えの間には、ラーラ様のシャペロンもいらっしゃるのでしょう?ご心配でしょうけれど、義妹様のことはこちらにお任せいただいて、ローザリンデ様は侯爵様のお席にお連れするよう仰せつかっているの」
なんと。手際が良いと思ったら、最初からそれが目的だったのか。
本当に、自分のしでかしたこととは言え、なんてことをしてしまったのだろうか…。
ローザリンデの表情の変化に、イデリーナは敏感だった。
「ご心配なさらないで。侯爵ご夫妻は、とてもお優しい方々だから。それに、さっきの論戦、わたくしも聞き入ったわ。と言っても、そのような知識はまだまだ浅いのだけれど。代々軍閥のご家系でもないあなたが、あんな見解まで持ってらっしゃるなんて、さすがチュラコス様が目をかけていらした方ね」
曇った表情は、侯爵夫妻との対面に委縮したわけではないのだが、イデリーナは当然そう取ったようだ。
そして、彼女との会話には、しばしばチュラコス公爵令息の話題が出て来る。
よほど、ローザリンデとご令息が、イデリーナの中で結びつくのか。
「先日の茶会といい、今日の論戦といい、あなたを得難いと思う方は多いでしょうね。それは、このカスペラクス家でも当然のことだと思うわ…。でもね、わたしは学院にいる頃から、あなたには結ばれるべき方がいると思っているのよ」
その真剣な表情に、ドキリとした。
今の会話の流れで、イデリーナの言う『結ばれるべき方』が誰かなんて、バカでも分かると言うものだ。
何が彼女にそこまで思わせるのかは分からないが、ローザリンデ自身には、チュラコス公爵令息は雲の上の人物過ぎて、そういう対象にすら考えたことがない。さすがに、先日の茶会での様子に、自分が憎からず思われているのは察したが。
「だから、侯爵夫人が何をか考えられていても、わたくしも同じだと思わないでちょうだい。必ずお力になるわ。どうにも逃げられない理由が無い限り、ね」
驚いた。彼女にとっては、婚家の義両親の意向よりも、それは優先度が高いと言うのだ。
もしかして、前の時も、イデリーナはそんなことを考えていたのだろうか。
しかし、あの時は、自分自身がその『どうにも逃げられない理由』を抱えてしまっていた。婚約すらしていない男性の子を懐妊してしまうと言う…。
だから、何も言わず、ただローザリンデを優しく義妹として受け入れるしかなかったのだろうか。
そう言えば、カスペラクス家の人間になってから、夜会でチュラコス家のご令息に引き合わせたのは、イデリーナではなかったか…。
その時、廊下の端から歩いてくる人物が目に入った。
長身で、艶やかな黒髪。野生動物のような身のこなし。
遠目にもすぐわかる。ゲオルグだった。
ラーラを追って来たのだろうか。
それとも、イデリーナを…?
真っ直ぐこちらに向かってくる足取りに、皮膚が粟立つ。
さっと視線だけを外し、気持ちイデリーナの陰に体を動かした。
「まあ、ゲオルグ様。ラーラ様なら、今は女性の控室よ」
イデリーナが、当然、ハプニングに見舞われた婚約者を心配して来たのだと思い声をかける。
自分は関係ないと、斜め下に視線をさ迷わせた。
しかし、その視界いっぱいに、大きな軍靴が映し出され、イデリーナの戸惑った声が聞こえて来た。
「ゲオルグ様?ローザリンデ様にご用事?」
がばりと顔を上げると、自分を見下ろす深緑色の瞳とがっちり目が合った。
思わず逸らそうとしたのに、その視線のあまりの強さに、逆に瞬きもせず見つめ返してしまう。
「わたしに、何か?」
硬い声は、晩餐会前のあの時の空気をそのまままとっている。
しかし、そんなローザリンデの態度に、ゲオルグはすぐに尻尾を下げた。
「ローザリンデ嬢。さっきまでの自分の態度はあまりに酷かった。謝罪させてくれないか」
イデリーナが、はっとして義弟を見る。
ローザリンデも、あまりの態度の違いに、逆に猜疑の眼差しを向けた。
しかし、ゲオルグはその視線にさらに肩を落とす。
「どうやらわたしは、自分の思い込みであなたを誤解していたようだ…」
その項垂れた様子は、さっきまでとは別人のよう。
しかし、サブエントランスにローザリンデを置き去りしたところから知っている兄嫁は、ゲオルグの言う『酷い態度』を目の当たりにしていた。
ローザリンデより先に、抗議の声を上げる。
「どんな思い込みなのか分かりませんが、こちらに来るのが初めてのローザリンデ様を放りっぱなしにしたり、広間での態度もいただけなかったわ。いつも冷静なあなたのあんな様子、よほどのことがあったのかもしれないけれど、謝罪して簡単に済むものではなくてよ」
イデリーナは、ローザリンデの代わりに義弟に厳しいことを言ってくれたのかもしれない。
けれど、自分は、目の前の男におもねるところなど何らないのだ。
「イデリーナ様、ありがとうございます。そしてご令息様、謝罪、確かに受け取りましたわ。わたしも、先ほどの舌戦では、義妹の婚約者様に取るべきでは態度ではありませんでしたから、お詫び申し上げます」
ローザリンデは、一度も目を逸らさず、一句一句刻み付けるように話しかける。
その間、ゲオルグも、一度も彼女から目を逸らさず、その言葉に耳を傾けた。
イデリーナが、ホッと詰めていた息を吐く。
しかし、ローザリンデはそれだけで終わる気は毛頭なかった。
「ですが…、一言よろしいでしょうか?」
正面から見ていた視線を、鋭い上目遣いに変える。
そして身構える相手の鼻先に指を突き付け、一気にまくし立てた。
「ご令息。何か物事を判断する時は、一方の意見だけを聞き、鵜呑みにすることだけはおやめになった方がよろしいですわ。これが人の命をかけた場所ならば、どうなるかご想像できますでしょう?そのような場では、冷静に両面の情報を判断なさっているものと思いますけれど。それと、何かを求め決断なさる際には、自分が心から欲しているのはどういうものかをしっかり見極めてから求めないと、後悔するのはご自分ですよ。それが人生に関わることなら、殊更」
最後にぐっと睨みつける。
すると、ゲオルグは素直にこくりとうなずき、そのまま自然に吸い寄せられるように、『シャンダウスのヘーゼル』の瞳を覗き込み顔を近づけて来た。
咄嗟にローザリンデが避ける。
「ひ…一言と言いながら、色々申し上げてしまいましたわね。で…では、侯爵様のところに参りましょう。イデリーナ様」
動揺を隠し、くるりと背中を向けた。
二人を交互に見て、イデリーナが「じゃあ、ゲオルグ様。また後で」と声をかける。
ただ、その義弟の視線が、背中を向けたきり、一度も彼を振り返らない、マスタードイエローの背中にじっと注がれているのが気にかかった。
立ち去る二人の淑女を見つめる深緑色の瞳。
いつもなら、なぜか自然に目が吸い寄せられる兄嫁が目の前にいるというのに、その視線は、赤味を帯びた不思議なヘーゼルが、もう一度こちらを振り返りはしないかと、いつまでもその背中から剥がすことが出来なかった。
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